【4】
やがて城門前の大広場に到着すると、荘厳な佇まいのクロト城がセーラとフリューを出迎える。
赤煉瓦造りのこの王城は、ラケシスの塔を除けばこの王国で最も巨大で歴史のある建造物である。
大広場の入り口には清らかな水を無尽蔵に湛えている大きな噴水があり、その周囲には街の中では決して見られないような珍しい種類の観葉植物が、整然と植えられている。
ラビニアの話では、今晩この王城で晩餐会が開かれるようだが辺りに人影はなく、大広場は静謐な雰囲気に包まれていた。
「フリューちゃん、少し休んでいこうか?」
ここに辿り着くまでお日様の下を歩き詰めだったセーラの額には、珠のような汗が吹き出していた。
セーラはどこかに休憩できるような場所はないかと周囲を散策してみると、城門へ向かう石畳の先に小高い丘があり、その中腹にまるで遺跡のような大きな石門があるのが見えた。
大理石を切り出して造られたこの石門は、凱旋門 (トリンプアーチ)と呼ばれ勇者アンキセスがかつてこの王国に災厄を振り撒いていた闇の魔王を討伐したことを記念して建立されたものだ。
ちょうど、モイライ文字の『∩』のような形状で、中心部は空洞で吹き抜けになっている。
この建造物が自分の父親の記念碑 (モニュメント)とは知る由もないセーラは、この石門の中でしばしの休憩をとることにした。
「フリューちゃん、ちょっとだけ様子を見てきて」
セーラがそう命じると、フリューはバタバタと羽撃きながら凱旋門の内部へと入っていく。
飛行タイプの従者にとって斥候は最も得意とする任務である。
しばらくして、フリューが戻り内部の安全が確認されると、セーラは緩やかな斜面を登り、丘の上に屹立する凱旋門の中へ足を踏み入れてみる。
内部はちょうど洞窟の入り口のように薄暗く、心なしか空気もひんやりとしている。
セーラは数歩進んで周囲の様子を確認してから、石壁に寄り掛かるようにして座り込む。
ふうっ……と溜め息を吐くと、渇ききった喉を潤すために、アーメンガードからもらった例の小瓶をポシェットから取り出す。
高級回復薬 ( ハイポーション)の中味は透明な液体で、仄 かな甘味がして口当たりもよく、セーラはごくりごくりと一気に飲み干してしまう。液体の回復薬を飲むのは初めてではなかったが、こんなにも美味しいと感じたのは初めてだった。
「あっ、ゴメン、ゴメン。フリューちゃんの分もちゃんとあるんだよ」
セーラは隣で物欲しそうな目で見ていたフリューに、もう一つの小瓶を取り出して高級回復薬を飲ませてあげる。
少々バテ気味だったフリューもすっかり息を吹き返し、セーラの周りをぐるぐると飛び回り始める。
(こんな美味しいものが毎日飲めるなら、アーメンガードちゃんのいうとおり、冒険者になるのもいいかな……)
セーラが石門の天上を眺めながら、心の中でそんなことをぼんやり考えていると、ふとあることに気付く。
向かいの壁面の上方に彫られている大きなレリーフの下にある猫の額ほどの踊り場のよう空間で、自分がよく知る人物が優雅に午睡を満喫しているのだ。
セーラは立ち上がると、精一杯の大きな声を出す。
「おーい。イシュタルちゃ~ん」
就寝中のその少女は、肌の露出がやや多いセパレートの赤い服の上から、襟の部分に漆黒のラインが入った純白の外套 (マント)を羽織っている。
この外套が、王国騎士団に所属する騎士だけが身に着けることを許されている代物ということは、この国に暮らすものなら誰でも知っているだろう。
彼女の名はイシュタル――国王直属の親衛隊である王国騎士団の紅一点の女騎士。そしてセーラのよき理解者であり、何よりも一番の親友なのだ。
セーラがもう一度呼び掛けると、イシュタルは眠そうに[[rb:瞼 > まぶた]]を擦りながら、石壁で反響するその声の聞こえた方向を見下ろす。
「あれっ? セーラ……セーラじゃない?」
ここにいるはずもない親友の姿を眼下に見たイシュタルは、むくりと身体を起こす。
「わわっ、イシュタルちゃん危ないよ~」
イシュタルが眠っていたその場所は、人が一人やっと立っていられるくらいの狭い場所で、ちょっとでもバランスを崩したら、そのまま地面に落下しかねない。
「ちょっとそこで待ってなさい。今そっちに行くから」
セーラの心配をよそにイシュタルは、徐に屈伸運動を始めたかと思うと「とうっ!」という掛け声とともに、自分の身長の五倍以上はあろう高さから躊躇なく飛び降りる。
白い外套を靡かせて華麗に宙で一回転し、見事に片膝をついて着地に成功したイシュタルは、緑柱石(エメラルド)色の長くしなやかなサイドテールの髪を揺らしながら、騎士らしくセーラに恭しく礼をする。
「もー、イシュタルちゃん。あんな高い所から飛び降りてケガでもしたらどうするの? あんまり危ないことしちゃダメだよ!」
イシュタルの向こう見ずな行動に、セーラは頬を膨らませて滅多に見せない怒りの感情を露わにする。それくらいにセーラはイシュタルのことを気にかけているのだ。
「いやいや、これくらい危なくもなんともないから。むしろ、これくらいできないとセーラがピンチのときに駆けつけられないよ」
イシュタルは口元を緩ませて、そう嘯いてみせると、眉を吊り上げていたセーラの表情も自然に綻ぶ。
「それにしてもこんな退屈なお城に何の用? もしかしてセーラも今日の晩餐会に招待されたとか?」
「ち、ちがうよ。セーラは、ママに頼まれてお手紙を届けにきたんだよ」
「ふうん……どんな手紙なの? 見せてごらんなさい」
イシュタルは、少しお姉さんぶった態度で、騎士用の白い長手袋をはめた腕を伸ばす。
ちなみに、イシュタルの方が少しだけ年上で、身長もイシュタルの方が頭半分ほど高いので、彼女のほうが年上のお姉さんに見えるのは事実である。
セーラはふと、母親に「お城の人に取り次いでもらいなさい」と言われたのを思い出す。
イシュタルはもちろん王国仕えの騎士なので、その条件を満たしている。それどころか面識のない門番の兵士などよりも手紙を渡す相手として遥かに信頼があるといえる。
そう思ったセーラは、ポシェットから大切な手紙を取り出しイシュタルに差し出す。
「ふーん。なんだかずいぶん本格的なお手紙ね。誰宛てなの?」
「……誰宛てかは分からないの。ママはお城の人に渡しなさいって」
セーラにそう言われて、イシュタルはスノーホワイトの封書に記されている宛名を、まじまじと眺めてみる。
「あはは……この達筆具合じゃあ、さすがに読めないわ~。名前の最初の一文字は『A』、苗字の最初の一文字は『M』かなぁ……まぁ、適当だけど……」
「う~ん……イシュタルちゃんでも読めないのかぁ……」
「いや……ワタシはそもそも読書とかそういうの嫌いだしね。……よし! それじゃあ、手紙を開けて中身を確認してみよう!」
イシュタルは爽やかにそう言い放つと、腰に下げていた騎士剣を引き抜き、刃の先端を器用にレターオープナー替わりにして封書を開封する。そして、中の便箋を取り出すと、それに目を通し始める。
「ええっ……イシュタルちゃん!? ダ、ダメだよ~勝手に中を見たら。セーラがママに怒られちゃうよ」
手紙というのは差出人が記した宛名に書かれている人物が開封して読むものであり、それ以外の人が勝手に開けて中身を見てしまうというのはマナー違反である。これは万国共通のルールであり、この規則を破るようなことあれば、厳罰に処されてしまうことも十分にあり得る。
礼儀・礼節を重んじるはずの王国騎士の型破りな行動に、セーラは蝋人形のように固まってしまう。
「大丈夫、大丈夫だよ。気にしない、気にしない。そんなことよりここにはとても素晴らしいことが書かれているよ」
手紙の内容を把握したイシュタルは、蒼玉(サファイア)のような青い瞳をキラキラと輝かせている。
「えっ? そのお手紙、イシュタルちゃん宛てだったの?」
「まぁ、そんなことどうでもいいじゃない。ワタシもちょうど退屈してたところだし、晩餐会の会場の警備なんてやりたくないなぁって思ってたのよ」
「イシュタルちゃんズルいよ! 自分だけ手紙を読んで。セーラにも何が書いてあったのか教えてよ!」
セーラは細い眉を八の字にして、何も教えてくれないイシュタルに精一杯の抗議の念を示す。
「ふふふ……今日はこのまま家に帰りなさい。そうしたらこの手紙に何が書いてあったのか全部分かるから」
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