【3】

時折吹く爽やかな南風の音を遮るように、ガタガタ……ガタガタ……と規則的な物音が聞こえてくる。

 最初は気にならないほどに小さかったが、やがてその音は耳を塞ぎたくなるほど大きな音になっていた。

 セーラが後ろを振り返ると、美しい毛並みの白馬に引かれた一台の馬車がこちらに向かってくるのが見える。

 ブルームと言われるタイプの一頭引きの四輪の馬車で、車輌には華麗な装飾が施されており、身分の高い人物が乗っていることがうかがえる。

 馬車はあっという間にセーラとの距離を詰めると、セーラのすぐ傍で土埃を舞い上げながら停止する。

 自分よりも遥かに大きい白馬の姿を目にしたフリューは、興奮気味にキィキィと声を上げる。

 馬車を引く白馬を魔物と間違えて攻撃でもしてしまったら一大事なので、セーラは慌ててフリューを宥めるように優しく抱きしめる。

「ちょっと! こんな道の真ん中に突っ立っていたら邪魔ですわよ!」

 馬車の飾り窓から金髪縦ロールの少女が顔を覗かせると、セーラに対して高圧的なお嬢様言葉を浴びせかける。

 色鮮やかなピンク色のドレスに身を固めた、このいかにもお嬢様している少女はアトロポスの街の領主の娘――ラビニアだ。


「わぁ……ラ、ラビニアちゃん? 」

「あら? 誰かと思ったらセーラじゃない? こんなところで一体何をしているの?」

「うん! ママにお使いを頼まれて、これからお城まで行くところなの」

「へぇ……ママのお使いくらいでしかお城に行く機会がないなんて、なんだか可哀想ね」

 ラビニアは、冷ややかな目線をセーラに向ける。

 彼女は幼少の頃からセーラと面識はあるものの、セーラのことを友達とはこれっぽっちも思っていない。理由は簡単で、ラビニアは貴族で、セーラは庶民だからだ。そのことは彼女の言葉や態度の端々に見てとれる。

「ラビニアちゃんは何処に行くの?」

「あら? 私もこれからお城へ向かうところよ。今夜お城で催される晩餐会に招待されていましてよ。もちろん王子様も出席なさるのよ。ああっ……私の美貌を以てすれば、必ずや王子さまの方からお声を掛けていただけるはずよ。そして王子さまにお近づきになれれば、私が将来のモイライのプリンセスの座を射止めるのはもう時間の問題ですわね」

 ラビニアは半ば妄想めいたことを一気に捲くし立てると、口に手を当てながら高らかに笑い声を響かせる。



「どうしました?」


「親御さんとはぐれてしまったのですね」


「お嬢さんのお名前は?」


「……貴方のことはいつもお母様から聞いていますよ。なるほど、どことなくあの勇者アンキセスの面影がありますね……」


「もう泣くのはおよしなさい。さぁ、お母さんのところへ行きましょう」



 たった一度ではあるが、セーラはモイライ王家の王子と対面したことがあった。

 それはまだインテグラ女史が宮仕えしていた頃、モイライ王国の建国記念の式典に母親に連れられて出席したときのこと――式典の準備の最中に王城の中で母親とはぐれてしまい、泣きじゃくっていたところを偶然通りかかった王子に保護してもらい、無事母親のところまで送り届けてもらったのだ。



 セーラはまだ幼かったこともあり、このときに王子とどんな言葉を交わしたのかということはおろか、王子がどんな容姿だったのかということもほとんど記憶には残っていない。

 インテグラ女史が王宮アカデミーの学長を退官してしまった今、王家の行事に呼ばれることはもうないだろうし、庶民であるセーラが王城まで出向いて王子に面会できる可能性は、モイライ王国の領域で魔物と遭遇(エンカウント)する確率と同じく、ほぼゼロといっていいだろう。

 もう一度王子に逢って、せめてあのときのお礼が言いたい……セーラは自分のおぼろげな記憶の中の王子様に想いを馳せるが、ラビニアの姦しい声ですぐに現実に引き戻されてしまう。

「まぁ、セーラはセーラらしく、その地味な緑色と一緒にお使いごっこでもしているといいわ。……ってちょっと、セーラ! 人の話を聞いていまして?」

 本来、従者は自分が仕える召喚士以外の人語は解せないはずなのだが、フリューは『色』呼ばわりされたことに腹を立てたのか、目尻を吊り上げ威嚇のポーズをとっている。そのことに気が付いたセーラは、もう一度フリューを優しく宥めるように抱きしめる。

「さぁ、何をしているの? 早く馬車を出しなさい。急ぐわよ」

 ラビニアの指示で、馭者台に座っていた召使いが手綱を握ると、馬車の車輪がゆっくりと動き始め、再び街道の石畳の上に土埃を舞い上げる。

 ラビニアには、たとえ目的地が同じでも自分とは身分が違うセーラを馬車に乗せてあげるという発想は全くなかったようだし、セーラはセーラで極度に馬車酔いしやすい体質なので、別に馬車に乗りたいとは思っていなかった。

セーラはラビニアの馬車の行方を見守ってから、お気に入りの赤い帽子に付いていた土埃を払うとフリューと共に街道を南に向けて歩き始める。

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