第16話 どこでもない場所

 そうして、惑星は、輝き、脈打った。波のように広がった原形質のような物質は、地表をすっかり覆ってその表面の人々を、草原を飲込んで行った。瞬く間の出来事だった。あっという間に広がってあっという間に飲み尽くす。その間数分も無かったのかも知れない。様々な宇宙を喰らい尽くして来た「それ」は、伸ばした触手の一つであるこの星に、まんまと迷い込んで来たある知的生物、ある一つの可能性を食らいつくし、究極の平衡にまた一歩近づいたはずであった。

 珍しく、ずいぶんと一緒になるのを拒んだ生物であった。不可解で風変わりな生物であった。一度はうっかりと、別の因果の世界に逃げ込まれ、取り逃がしかけてしまった獲物だった。そして、可能性の別の宇宙にまで至りやっと取り込んだ獲物であった。

 それゆえ、得難い獲物であった。この宇宙の向かう、究極の平衡からはみ出してしまうような変異を、より多く持つ生物なのだった。であれば、取り込み平均化する事の意味は大きかった。

 なので、「それ」は、一体を取り込んだくらいでは満足せずに、すぐに次の行動に移ったのだった。

 取り込んだ、その生物につながる因果をさらに遡り、その種族、地球の人類を喰らい尽くそうと自らを伸ばしたのだった。

 様々な宇宙、様々な時代へとそれは入り込んで行くのだった。

 時間も空間も関係ないそれには人類は気付いた時にはすべて吸収され、いなくなってしまっているはずであった。

 しかし……、

 なぜかそうはならなかった。

 人類はそれに取り込まれる事なく、可能性を食い尽くされる事も無く、まだ宇宙の中にあった。

 不思議だった。「それ」に狙われて、そんな風に存在できる生物など他にいないのに。

 人類はいまだ在った。

 「それ」に取り込まれずに、宇宙まだ在った。

 なのであの男も在った。この惑星の丘の上で、原形質の中に取り込まれたはずの男は、緑の草原の消えた、荒れ果てた荒野の中に、まるで別の世界から吐き出されるかのように、突然、現れ在ったのであった。

 その出現に、彼自身も、きょとんとした、不思議そうな顔をしていた。

 なぜここにいるのか、なぜあの原形質の中に取り込まれたと思ったのに吐き出されてしまったのか、彼自身にもなぜそうなったか良く分からないようであった。

 そのため、状況が分からずに彼はしばらくの間呆然とする。変わり果てた惑星の表面。それを見て、自分が何処にいるのか、何が起きたのか分かるまでしばらくかかった様だった。

 しかし、自分の状態に気付けば、しなければならない事は彼には自明のようであった。

 彼は、今、自分が現れた丘から素早く降りて、草原が消えると同時に枯れた、沼の畔へと行く。

 そこには彼がこの星に着陸したシャトルがあるのだった。彼はそれに乗り込み、素早く出発の準備を行うと、あっと言う間に宇宙へと戻って行ったのだった。

 「それ」からすれば、不思議な行動であった。すべての時空にたどり着く事のできる「それ」から、いくら急いだところで、ましてや、こんな原始的な宇宙船で、彼は逃げる事ができると思っているのだろうか。

 「それ」から逃げるには距離でも、時間でも無かった。結んだ因果を切る他は無いと言うのに。

 「それ」は興味本位で、その生物の行き先に着いて行って見た。

 その生物を乗せたシャトルが収容された宇宙船は、すぐさま、発射するための準備が急ピッチで行われていた。

 しかし指示を出した後はほとんどが自動で行われるらしい。発射準備の為の自動プロセスが動き始めたら、その生物は何か気になる事があるらしく、宇宙船の後部のある部屋へと向かって言った。彼は、自動では開かなかった部屋のドアを、まずは口頭での強制解除命令でロックを外し、手で引っ張って、むりやり開けたのだった。

 そこには、様々なバイオ設備と、彼の生命にもしもの事があったときのクローンをつくる培養槽がある部屋なのであったが、その中に、培養槽の中に彼そっくりの子供が浮かんでいるのが見えた。ああ、と「それ」は思った。あの中にいるのは、一つ前の因果の時、彼となにやら言い合いをしていた生物が完成する前の姿であるようだった。ならば今回の因果のなかでも彼らは敵対する運命とこのままではなるのだろうが……。

 すると、彼はどうするのだろう。「それ」は期待して、待った。

 果たして、——彼はその培養槽についた赤いスイッチを押す。すると、槽内の液体に高圧の電流が流れ、その中の子供は命を失い浮かぶ。

 彼は目を瞑り、何か祈るような言葉を呟く。

 その瞬間だった、船内に鳴り響くアラーム。

 発信の準備ができた合図のようだった。

 彼はあわててコクピットに向かってかけて行くが、「それ」はその場に残り、今ここで失われた命を、その可能性を散り込むと、もう彼には興味を失ったのか、船の向かう方向から、その因果から離れ、惑星へと戻るのだった。

 なんとも、不本意な結末に、「それ」は少しくさっているようにも見えた。まさか自分の中に取り込めない生物が、可能性がこの世に在ったなんて。在ることの創る、在り得る事ならばなんでも起きるが、在りえる事しかおきないこの世界に、無い事を夢想に求める生物がいるなんて「それ」には思いもよらなかったのだ。

 「それ」は、大いなる平衡に至る事のできないあの生物を憐れんだ。まさしく悲劇ではないか、宇宙が至る、最高の美しさの中に、終局の中に、「それ」の中に、地球と言う星に済むあの生物は入れないのだから。

 しかし、聡明なる、全能の「それ」はもちろんもう一つの道に着いても思い至っている。あの生物は、もしかして在る物だけでなく、無いものにまで至る宇宙を構築できる可能性があるのではと。もちろん、そんな可能性はほんの僅かしかなく、彼らは、宇宙の全時代生きる「それ」からすれば、瞬くような間に滅んでしまうのだろうが……。しかし可能性は可能性だ。「それ」はある時代、自分の全能の近くより消えて見えなくなった何物かの事を思い出す。あれは、もしかして、この生物の……?

 いやいや、「それ」にも分からない事はあり。因果を越えて先に行こうと言うものならばなお。

 なのでただ見送る。「それ」は、飛び去って行く、宇宙船を、因果を、可能性を、見送り。「それ」は惑星へと戻る。すっかりと荒れ果て、荒涼となった惑星。そこに降り立って、「それ」は、また何時の日かここを訪れる何者か、その因果が現れるまで、——しばしまた地下に、可能性の中に戻る。「それ」は宇宙の狭間に戻ろう。そして待とう。その日まで、「それ」は消える。

 その後は、荒れ果てた地表に残るのは、ぼろぼろになって今にも崩れそうだがまだ何とか形を保っている横たわる巨人、その上に群れて咲く花。それは、もちろん、あのアザレアに似た真っ赤な花だけなのであった。

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透明な結び目 時野マモ @plus8

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