第12話 地球? 4

 僕は、深夜営業のファミレスにいた。自転車は、一体いつの間にと思うが、パンクしてしまっていたため、乗って帰るわけにも行かずに、押して歩く内に、開いてるファミレスを見つけ、僕は、そこで朝まで過ごす事にしたのだった。

 堤防の上の道を走っているうちにパンクしてるのにも気付かずに走り続けたのだろうか。でも、いくら昂揚した気持ちだったにしても、そんな事に気付かない程であっただろうか。それとも堤防から公園に行くまでの間に落ちてた釘かなんかを踏んでしまい、空気が抜けたのであろうか。

 どちらにしても空気が抜けて自転車に乗っては帰れないのは事実であったので、このまま朝電車かバスが動くまで、僕は目についたファミレスで時間をつぶそうと思い立ったのだった。自転車で大分遠くまでやって来ていた。1時間以上は走っていたので、歩いたら数時間はかかる距離まで来てしまっているかも知れない。

 もし根気が続くなら、自転車屋が開くような時間までここに居座って、パンクを直してから自転車で戻ろうか。自転車をこの辺においてまた取りに帰って来る事を考えればその方が良い。今は三時を大分回っていた。早い自転車屋なら九時くらいに開くところもないだろうか。深夜の人気のないファミレスであったから、良い席が、角の身体を預けられるソファーの席が取れた。これなら仮眠だって十分にできそうだ。一度寝て、朝食もここで取ってから、自転車屋を探すついでに散歩でもする気で、ちょっと早めに出れば、それほど煙たがられることもないだとう。朝食にファミレスを使う人達の集まって来る前に……。

 どちらにしても、取りあえずは、一度休んで、その後にどうするか考えれば良い。今夜は、良く分からないまま、衝動に任せ動いてしまったが、見知らぬ場所まで来てしまった結果、身動きもできずにファミレスで落ち着いている。

 なんか、——どうでも良くなっていた。

 ここは、深夜のファミレスとはそんな場所であった。良くも悪くも、人間の気力を全て吸い取って落ち着かせてしまう、そんな場所であった。そんな場所で僕は、何も考えられない、そのダウナーな幸福の中に沈みながら、注文したドリアがやってくるのを待っているところであった。

 店内には、僕の他には五人。その内、三人は一人で座っていて、二人は三十代半ばくらいの男女が一緒のテーブルにいた。

 流石に眠いのか、カップルのように見える男女も余りしゃべらずにただ窓の外を眺めていた。他の一人の客も半ば寝ているような者が多く、店内はとても静かだった。無音よりも静かな無がここにあるような気がした。ここでは、この無機質な深夜には、僕を囲む意味がすべて消えてしまったような気がしていた。

 窓の外、街路樹は街灯にてらされ、作り物のように見えた。 室内の風景、 僕のいるところから柱がそれを二つに分けている。僕から見て、片方の奥には大学生くらいの男が机の上にレポートと本を広げ、あまりやる気なさそうな様子で時々ペンを動かしている。

 その前には水商売風の格好をしたお姉さんが、テーブルの上に突っ伏して寝ている。

 その前にはカップル、派手だが安っぽい格好が合わなくなる年齢であるのに気付いていなさそうな二人は、その似合っていないチグハグさが妙にこの場所にあっていると思える。

 そして、柱で分けられたもう片方の側には、胸元のネクタイを緩めてはいるが、こんな深夜のファミレスでもスーツを着込んだままのサラリーマン。彼は僕が見てるうちに、突然立ち上がると、コーヒーカップを持ったまま僕のドリンクバーに向かう。

 コーヒーミルの音。湯気の上がる光景。僕はそれをじっと見ていると、ドリンクバーにある飲み物の名前を心の中で唱えてしまう。

 オレンジジュース、コーラ、アイスティー、 アイスココア。

 それは、言葉をただ唱えるのは何故か気持ちがよかった。なのでもう一度僕は唱えてしまう。

 オレンジジュース、コーラ、アイスティー、アイスココア。

「アイスココア? ドリンクバーですか……」

 僕の最後の言葉が知らずに口から漏れてしまったのを、調度料理を持って来たウエイターに聞かれてしまったようだ。

 少し顔を赤くしながら、僕は取り繕うように、慌てて頷く。

 するとウェイターはドリアを僕の前に起きながら、

「了解しました」

 と言い一度起きかけたレシートを持って店の入り口のレジ付近に向かう。

 ああ、そういえば何か飲みたいような気もする。アイスココアでなく、コーヒーか何か。

 僕はドリンクバーに向かおうと立ち上がり、そして、やたらとピカピカな床を少しまぶしく感じながら、明るく深みのない店内をゆっくりと歩く。

 なんとも味気ない、そんな店内であった。もし世界の多様性が、その環境の複雑さから起きるのだとしたら、ここからは何も新しい事はおきない。そんな風に感じさせる単純な場所であった。

 しかし、

「あれ?」

 僕はドリンクバーから帰ってきて、もう一度座った時、足元に何かが当たったのに気づいた。

 浅く腰掛けて、足を長く伸ばしたので、さっきは当たらなかった場所に落ちている物にぶつかったのだろう。僕は、その感触に、どきっとして、あわてて足を引く。何か。薄く、板のような感触。

 僕は、何だろうと、テーブルの下を覗き込んだ。何もかもが均一な、この空間の中に、何もかもが平板にあるこの深夜のファミレスの中に、そんな予想外の物が現れる。それは何かとても僕を興奮させる物であった。深夜のファミレス、この絶対の平板を破るもの、そんな物があるのならば、それは奇跡のような物なのではと、馬鹿らしくも、僕は、意味不明な程期待し、下を見た。


 ——のだが……。


 当たり前の事では在るが、そこにあったのは大した物では無かった。そこにはノートが落ちていた。何の変哲も無い。事務用の、その辺の小さな文房具屋でも売っているような、普通のノートであった。たぶん、前の客か、その前の客か、この席に座った先客が落としたものなのだろう。ここで勉強でもしていた学生か、仕事でもしていたサラリーマンあたりのものだろう。

別に珍しい話じゃないだろう。どの位そう言う事が在るのかは知らないし、僕は今までそんな経験をした事など無いけれど、しかし、普通にありえること、特に異常な話じゃない。

 僕はそれを拾い、店員を呼び、落とし物として渡そうと思った。しかし、手を挙げて、「すみません」と呼びかけるのだが、深夜で疲れているのか、入り口付近をずっと見つめこちらには気付かないウエィター。

 ああ、なら無理に呼ぶ事もないか。と僕は思った。店を出る時に、渡せば良いだろうと思ったのだった。もし持ち主がこれを急いで探しているのなら、本人がやって来るか、店に連絡を入れるだろうから、あせった表情の誰かが入って来るとか、店員が探し物を始めるとかそんな様子があったらその時にちゃんと声でも掛ければ良い。

 いや、でもすると、僕は仮眠を取れなくなってしまうが? 

 じゃあやはり、店員を呼ぶか?

 僕はそう思い、ノートを持って立ち上がろうとした瞬間——。

 僕の身体に電撃のような何物かが走り抜けた。

 突然、なんの前触れも無く、

 ——世界は止まったのだった。

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