第10話 異星4

 その女性をレアと僕が呼び始めた理由は、いつもアザレアに似た花でつくった花束を持ってやって来るからであった。何時も満面の笑みでやって来ては、彼女は僕にその花をくれた。僕はその度に、彼女の笑顔の可愛さにどきりとしながら、感謝の言葉を返したのだった。

 それは、その花は、僕が知っているアザレアそのものではないのだろう。この草原にたまに見かけるその花は、そもそも木にではなく草に咲いている。それをアザレアと呼ぶのは間違いなのだろう。

 しかし、他に似た花を知らない僕は、レアと言う名前を、アザレアのイメージから名付けることになったのだった。

 彼女は僕に好意を抱いているように思えた。それが男女の愛のようなものなのかは分からないが、少なくとも僕に特別な感情を抱いてくれているのは間違いは無かった。

 ここの妖精のような人々の間に、愛欲のようなものがあるのかも怪しいが、もしかしてそんなものがあるとしたら、僕らの関係はそれに落ちて行くだろう、と思わせるものであった。

 この優しく美しい人々は、互いに、等しく皆を慈しみ、愛してた。僕に向けられた優しさもそんなものの一つであるとも思えたが、何か特別なものが彼女との間にはあると僕には思えたのだった。

 いや僕は信じたかったのだ。レアとの間には他とは違う何か特別な物があるのであると言う事を。

 記憶の無い僕は、突然この場所に生えてきたのか、元々とここの住人だったが記憶を失って見知らぬ場所にいると思っておるだけなのか、それともやはりあの宇宙船(となぜか僕が信じている)銀色の金属に乗ってここにやって来て何がしかの理由で記憶を失っているのか。真実は未だに分からなかったけれど、ここでの穏やかな生活に慣れ、しかしその穏やか過ぎる日常の繰り返しに正直少し退屈を感じ、僕は、ここに何か特別な物を欲しがっていた。

 その対象として手近にあったものが彼女だったから、彼女のとの間に築けるものが愛と思えば自分をうまく騙せることを知っていたから、僕は、この恋愛ごっこを始めたのかもしれなかった。

 他に何も思いつかないために、自分を騙せるものを愛と呼んだ。それはそれで良い。始まりはなんでも良い。嘘から真が出ないと言う理屈は無い。結果が良ければそれで良い。でも、それならば、それを愛にするならば、自分を騙し続けることが必要であったのだが……。

 僕はそれに失敗した。


 ——でもそれは、もうちょっと後の話。


 今日は、相変わらずの良い天気の草原を、僕はレアと一緒に、歩いていた。二人きりではなかった。歩き始めは二人きりだったのだが、いつのまにか途中で一緒になった人々と一緒に、いつの間にか誰かが歌い始めた歌を、ここの言葉を知らない僕以外が、一緒に歌い始めるのを聴きながら歩いていた。

 少し疎外感を感じないではなかった。僕だけ歌に参加できずにいる。もちろんその事で人々を責める気なんてなかったが、その時僕の表情に現れた微妙な変化があったのかもしれない。

 僕の顔は少し暗くなっていたかも知れない。

 それにいち早く気付いたのが、レアであった。

 彼女は、歌を止めると、僕に駆け寄って、手を組むと、ぴっったりと僕にくっついたのだった、

 顔を上にむけ、心配そうに僕を見つめ、小鳥のさえずりのような声で何かを語りかけて来る。

 その言葉の意味は分からなかったが、それは何か僕を元気づける為に言ったものにちがいない。と僕は思った。

 レアは一生懸命に相手を思う顔をしていた。

 その姿に僕は思わず顔がほころんだ。

 彼女の思いが、嬉しくて、嬉しくて、そして少しその必死さがおかしくて。

 笑ってしまうが、

 するとレアも嬉しそうに笑いながら頷いた。

 周りの人々も、僕を見て何か納得したような表情になり。

 ——歌が止まる。

 僕が一緒に同じ言葉で歌えない事に気を使って止めてしまったのだろうか。

 静かになる草原。

 それはそれで荘厳な感じであったが……。

 何かが足りない。

 これではいけない。

 それを取り戻すため、僕は、真剣な顔つきになると、

「みんな、……歌って欲しい」と言った。

 僕の言葉は分からないのだろうが、その意味は分かったようだった。

 人々が、皆、満面の笑顔になると、また始まる。

 ——歌。

 僕は、今、この人々と意思が通い合ったような気がして、今度はは全く疎外感もなく、顔には喜びだけを浮かべていただろう。

 それを見たレアも嬉しそうに僕の周りを回りながら、草原を行く。

 薫風が野を吹き抜ける。優しい太陽が照らす。

 人々はは巨人の丘の周りを特に方向も決めずにぐるぐると回り、あちらこちらに生えている果物を刈り、食べ、柔らかな芝生をみつくろっては午睡をし、また歩き出しては清水を見つけて乾きを癒す。

 この草原で、なぜか、喉も乾かなければ、食欲もわかない僕だったけれど、そんな人々の食事をただ眺めているだけで、それだけでも十分に腹が満たされるような気がした。

 いっしょにいるだけで楽しい食事の時間がすごせるのだった。

 昼。様々なグループが混じり、一緒に食べ、歌い、舞い、いつの間にか分かれ、また合流し、人も入れ替わり、歌も楽器も入れ替わり、

 ——それでもずっとそばにいたのは、レア。

 僕は彼女の手を握りながら、朽ちた石造りの壁の中、天井が崩れ落ちた、元は教会のような、宗教的な建物であったのではと感じさせる、そんな建物の中にいる。

 夕暮れ。真っ赤に染まる空を半分崩れた階段に腰掛けて眺めながら、二人きりになった僕ら。レアは無邪気な顔で僕にぴったりと寄り添って、僕のうなじの辺りの髪の毛をずっといじり続けている。

 僕はされるがままでいながら、彼女の膝に手を置くべきかどうかについて悩みながら、そんな淡い感情が満ちる、この気持ちの良い状態でずっとこうしていたいと思っていた。

 この子供のようないちゃつきを、微笑ましくも、少し白々しい、ごっこ遊びのようなものと思えたけど、これ以上進めなければ壊れない、そんな関係がとても好ましく思えた。

 彼女がなんで僕に関心を持ち、そして一緒になるようになったかは良くは分からない。レアにだけでなく、僕はあっさりと集団の仲間として受け入れてもらえたのだけど……。

 彼女は特別だった。

 この草原の人々はみんな、優しく、人懐っこかったのだけれど、その中でも、ほんのちょっと他よりも多く僕に微笑みかけてくれたように思えたレアに、僕は他の人よりもちょっとだけ多く踏み込んで、そうしたら彼女は踏み込んだ分だけ受け入れてくれた。

 そうやって過ごすうちに、僕は彼女を特別に思うようになったのだった。そんな彼女が僕にとって、いつのまにか、大切な、絶対なくしてはならないものになっていたのだった。

 その花が好きなのか、アザレアに似た花でつくった花束を抱え、僕に渡し嬉しそうに微笑むレア。

 思い出す。丘を下りながら一緒に走り続け、火照った身体を、勢いで、走ったそのまま、二人で泉に飛び込んで冷やした時。

 ——僕は、水で張り付いた服の下に透ける彼女の艶かしい曲線に、思わず一歩踏み出して、抱きつき、しかし何が起きたのか不思議そうな彼女の顔、その底意のない純粋な表情に、僕は恥ずかしくなって思わず離れ……。

 レアはいつの間にか、僕の膝の上で寝息をたてていた。天井のないこの建物には、夜とは言え、今日は、月が煌々と光り、彼女の寝顔が見えるくらいには十分な光りが差し込んでいた。

 その美しい寝顔に僕は思わず見蕩れていたけれど、階段の途中、身体をねじるような変な状態で寝てしまっている彼女は時々苦しそうな寝息をたてるものだから、僕は彼女がもっと楽に寝れるような場所を探す。

 この廃墟の中、周りは崩れた瓦礫の落ちた床ばかりであったが、見渡すと、左側の、昔は窓であっただろう開口部のそばに、レアの小柄な身体ならば丸ごと横になれそうな、でこぼこの無い綺麗な床を発見する。

 僕はレアの身体を抱き、立ち上がる。華奢な見た目よりもさらに軽いその身体に、僕は、一瞬、落としてしまったのか、あるいは抱きかかえたのが幻か何かなのではと一瞬ぞくっとするが、確かめると、確かに手の中には暖かで柔らかい彼女の身体はあった。

 それにほっとした、僕は、しかし、消えてしまわないようにと無意識に思ってか、回した手で、きつく彼女の腕を握りしめてしまう。

 軽いうめき声。

 僕は握りしめていた手に気づき、それをあわてて緩めるが、もう手遅れ、レアを起してしまったらしい。パッチリと目を開けた彼女は、小鳥の鳴き声のような囁くような声で何かしゃべりながら、僕を不思議そうに見つめている。

「起してしまってごめん」

 と僕は言いながら、歩き始めてしまった歩みを止める事ができずそのまま開口部まで行き、彼女を抱きかかえながらそのまま外の風景を眺める。

 月の照らす野は、明るく綺麗だった。遠くまで開けた眺望。繰り返す低い丘と、川と沼。昼見るのと違う、昼の光りでは塗り込められてしまうような、風景の繊細な部分が今ならば見えているような気がした。

 影。月に照らされた野には、点在する廃墟のような建造物の淡い影が伸び、幾何文様的な構築美を大地に刻んでいた。

「綺麗だね」

 と僕が言うと、その伝えたい意味を理解してくれたのか、レアも僕の言葉に軽く頷いた。

 軽く吹く風はジャスミンのような匂いを運んだ。艶やかで、穏やかな夜だった。星は今にも降りだしそうなくらいに輝き、その光りは僕の心の中の星一つ一つに合わせて輝いているかのように思えた。

 星、流れる星。

 それは……?

 何かを思い出しそうな気がした。

 しかし、もうちょっとのところで思い出せない。

 その、もどかしさに僕はさらに思考の中に入り込み……。

 そのまま——。

「……いや何でもないよ」

 難しい顔になってしまっていたであろう僕が心配になったのか見つめ悲しそうな声をだすレア。それにハッとなった僕は一度思考を中断して、レアを安心させるように微笑む。

 すると、嬉しそうに、僕に微笑みを返したレアは、腕から猫かなにかのようにしなやかに身体をひねりながら降り、ぴったりと身体を寄せながら僕の横に立ち、また腕を絡めて安心したような声をたてる。

 その姿を愛おしく感じた僕は、彼女の頭を撫でながら、

「一緒に外を見ようか」と。

 頷くレア。

 目の前には巨人の眠る丘が見えた。その横の塔が月光を背にハッキリとシルエットを浮かび上がらせる。

 なぜかさっぱりと危険な感じがしないあの巨人に比べて、何処か不気味な感覚を得ていたその塔が、今日はますます不気味に見えているように思えた。

 ああ……。

 もう一度見直してみて、僕にはその理由が分かった。塔の先端がほのかに輝いている事に僕は気付いた。それが、どことなく不自然で人工的な感じのするその光りが、僕が気味悪く思う原因なのだ。

 もしその光りが、塔の中から漏れているものだとして、レア達は、見たところ松明以外に人工の光りをだすような方法を持っているとも思えない。するとそれはレア達と違う何者達かの存在をこの地に示すと言うことになるのだが……。

 もしそうならば……。

「レア……」

 僕は、僕以上に熱心な様子で、レアが塔を、その禍々しいシルエットを見つめているのに気付いた。

 彼女は明らかにあの塔につて、何か特別なものがあるのを知っていた。それは、その目は、熱を帯び、大きな待望を示していた。

 その様子を見て、その常ならざる熱気を見て、レアをそんな風にさせる、あれは何なのだろうかと。

 ——質問が通らなくても、その答えが分からなくても、聞いてみようと、言葉が喉元まで出かかるのだが。

 ……それをすんでのところで飲込む。

 なぜなら、そんな質問をするのがはばかられる程に、いままで一度も見た事が無い程に、邪悪な、悪魔的な笑みがその顔にあったからであった。

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