第5話 宇宙船2

 静かな船内だった。何も変わったことはない。

 起き抜けに思ったのはその事、僕の不安、何物かに監視されているという妄想の事だった。

 しかし、こうやって耳を澄まし、怪しい気配を探しても、船内には何の異常も感じられなかった。

 当たり前だ。この星間の暗闇で何を心配する。

 僕は自分にそう言い聞かせ、もう一度体を横にすると、目をつむりひたいの汗を手で拭う。

 しかしどうしても胸騒ぎが収まらない。

 馬鹿な事と思うのだが。どうしても何かの視線を感じてしまう。

 そんな者がいるわけも無いのに……。

 もしかして、僕は少しおかしくなりかけているのか。

 あるいは、忙しかったこの半年が終わり、心配する事が無くなって、手持ち無沙汰でそんな事を思ってしまっているのか。

 どちらにしても、何にしても、僕は、余計な事考え始めてしまっている。

 理屈も無く、何か不安になって行くような——。

 また背筋の辺りがゾクッとして——。

「馬鹿な!」

 僕は声に出して、自分で自分を叱咤した。

 この何もない宇宙空間の中で、僕はいったい何を怖れるのだ。

 星と星の間、この無の空間に何があるというのだろうか。

 いるのは僕だけ。それならば怖れるのは自分自身しかいない。

 なのに何を?

 しかし……。

 自分自身?

 そう思えば僕の心臓はその刻みを早めて行って……。

 ——馬鹿な。

 僕は、自分で自分を鼻で笑う。

 そうすると心は少し落ち着きを取り戻す。

 その隙に、僕はベットから素早く身体を起すと、深い睡眠の後のふらつく足元に気をつけながら、船内を見回ることにした。

 不安ならば実際に見れば良い。そして確かめれば良いのだった。

 僕はゆっくりと船内を歩き始めた。

 まずは船の先端にあるコクピットに行き、そこを組まなく調べたら、後部にある機関部までの狭い廊下へ。

 百メートルを越えているこの船の中の設備をつなぐ細長い廊下を、僕はあまり真剣にならずに、適当に見ながら進む。

 僕は、この船内に何かがいると本気で思っているわけではないのだ。

 ——落ち着け。

 僕はまた、自分で自分に言い聞かせる。

 ここには何もない。誰もいない。僕以外は。

 それを確かめるんだ。

 ほら何もいない。

 必要以上に明るい廊下の照明は、塗料のデコボコまでも鮮明に浮かび上がらせるが、そこには無機質な表面以外は何もない。

 ゴミひとつ、チリひとつさえない。

 無駄なものは何もない。

 このチリや埃さえリサイクルする船内のシステムが、任務に必要もない余計な存在を許容するわけがない。

 ここにいるのはやはり僕だけだ。

 廊下をさらに歩き、奥まで行っても、もちろん何も変わったことは何も無い。

 何者もいないし何物もない。

 元からあった壁以外、そこにホッとして立ちすくむ僕以外には。

 ——何もいない。

 そうだ。当たり前だ。

 分かり切っていたことだった。

 実のところ目視するなど、時間の無駄以外の何ものでもなかったのだった。

 人間の知覚なんかよりも、何十倍も細かい反応をする、船のセンサー類も何も反応していないのだ。

 見るよりも、そちらの方が正確に状況をつかんでいるだろう。

 それが何のアラームも上げてこないのだ。

 あの星を離れる時に、ウィルスの一つさえつかないように(そんなものがまだあの星に残っていたとしたならばだが)厳重な検査を行ってから船に戻ったのだ。

 少なくとも、目に見えるような異物がこの船の中にあるはずは無い。

 僕が直に目で確かめて、何もいないと安心するなどというのは、客観的に見たらとても滑稽な事をやってしまっているのだろう。

 人間に、船の感知システム以上のことを、僕が、やれるわけも無いのだった。

 しかし——自嘲の念を持ちながら——僕は思う。そうしないとダメな何かがやはりここにあるのでは、と言う思いがどうしても治まらなかったのだ。

 実際に見て見たかったのだ。

 それは実質的な意味は無く、心の平安のため、念のためだったかも知れない。

 でも見ないと落ち着かなので僕はこんな事を始めたのだが、——ウィルスどころか、原子の侵入でさえ関知するだろう船の監視システムで、見つからない何かが、目視で発見されるわけも無く。

 僕はむなしく何も無い壁を延々と見続ける事なり……。

 すると、責付かれるような衝動からでた意欲は、最初の勢いを瞬く間に失って行き……。


 結局、数時間かけて僕は船内を見て回ったのだけれど、中には、何の異常も無いようだった。

 監視システムがそう伝えているのだ。それ以上を僕にできるわけもなかった。

 最初から分かりきっていた話だった。

 なので、初めからそれほど真剣ではなかった僕の探索は、最後の方は部屋の入り口から中をざっと覗く程度の、かなりおざなりなものになってしまていた。

 でも、それで良い。

 本気で何かいると思って始めた探索ではなかったのだから。

 僕は、一応全部の部屋を見て回ったところで、この無意味な探索を止める事にした。

 最初にあった切迫感もどこへやら、異常のかけらもない船内をただずっと眺めているうちに、僕は、最後には、やる気をまったく失っていたのだった。

 でも、やはり、それで良い。

 頃合いだった。

 偏執的な思いが怠惰に飲込まれ、僕の不安が無くなるなら。それこそ望ましい結果であった。

 そして、それで気がすんだのなら、後は何も憂い無く僕は、今本当にするべき仕事に戻った方が良いのだった。

 記憶が薄れないうちに、あの惑星での経験を記録しておかなければならないのだ。

 こうやって、人生をかけて向かって行ったあの惑星。

 しかし、何も無かったあの星。

 その、無い事を、その空虚を僕は語らねばならない。

 空虚の中に潜む意味を、その豊穣を語らねばならないのだ。

 だから……。

 僕はあの星での出来事を思い出し始めた。

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