第3話 地球? 1
テレビという物がもし夕食と同じ程度の価格で買える物であったならば、世の中のテレビと言うのは頻繁にたたき壊されてしまう物となるのではないか。
僕はそんな事を思った。
少なくとも、僕のアパートに有るテレビはそう言う運命となるだろう。
なぜなら、僕は、今もそうした破壊衝動に駆られている真っ最中であった。
ニュースのアナウンサーの蔑んだような目つきにイラっとなり、その画面に向かって思わず持っていた皿を叩き付けそうになっていた。
しかし、その手は直前で止まる。
自分の今の経済状況では壊すとしばらく買えなさそうなテレビの値段を考えると、その手はあっさりと止まるのだった。
その様子を自覚して——。
僕は冷ややかに笑った。
自分自身を笑った。
まったく。
小物だ。自分は。
突き通す事もできない怒りを安易に起こすが、それは小市民的な損得であっさり押さえ込まれてしまう。
そのくせ意識の高いつもりで義憤に駆られ、誰かがそれを正してくれない事に不平を言っている。
そうだ政府が悪いのさ。世間が、時代が、誰かが悪い。
僕は被害者なのだ。だからしょうがないのだ。
しょうがなくなければならないのだ。
そうでないといけないのだ。それしかないのだ。
そこにしか居場所がないのだ。
それしか駄目なのだ。
そうしてほしいのだった。
——そうなのだ。
僕の心はそんな鬱屈した気持ちの上にしか築けないのだった。
なぜなら、僕の心の大地はまるで淀んだ泥沼の様であり、うっかり踏み入るとそのまその中に沈んでしまうのだから……。
偽善でも、いやそうであればこそ良い。偽物の大地の上に立たないと、僕は心の奥底に沈んでしまうのだから……。
いや、もちろん、そんなものはごまかしでであるとは僕は知っていた。
そんなものの上に築いたものなど、いつまでも続くわけは無いと。
しかし他に何も考えつかなければ……。
ああ。
なんとも……、
「つまらない」
と僕は思わず口からもらした言葉とともに深いため息をついた。
チャンネルを変えよう。
適当にザッピングをして、あまり頭を使わないようなバラエティ番組にでも……。
と、番組がかわり笑い声。
偶然、最初で目的通りの番組に変わったのだが……。
——しかし、そのわざとらしい声に僕はイラっとなる。
この頃良くテレビに出ている若手芸人が画面には見えない観客に向かって何か芸を披露したばかりのところだった。
しかし、僕が反射的にチャンネルを変える前に、カメラはパンして最近人気の女性アイドルの顔を捕らえる。
その顔に浮かぶ満面の笑み。僕のチャンネルを変える手は止まる。
完璧で、完全な善意をその身いっぱいから現そうとするその姿に、一瞬僕も思わずニヤリとしかけてしまう。
ならば、このままこの番組を見ていようかと思うが。
しかし、彼女の口元は少し不満げな歪み。
それはちょっと前までにしていたであろう無関心な表情の残滓なのだろうか。
それが、たまたま気付かなけれな見過ごしていたようなちょっとした違和感が、あっという間に僕の頭の中に満ちてゆく。
笑顔が偽物に見えてくる。
と思えば、テレビの中の連中も皆同じような笑みを浮かべ……。
画面の中では、いつのまにか何か不定形の形状になったヌルヌルとした物たちが、ノイズにまみれながら、色をにじませながら、気持ち悪く蠢いている。
少し吐き気がした。
僕はテレビを消して、体を起こし、ベットから立ち上がるとそのままユニットバスの洗面台へ行った。
鏡に映る自分の顔。生気の無い目の光。
そこにいるのは何者でもなかった。ただ在るだけの物だった。色の無い形だった。中身の無い空っぽの顔であった。
そんな自分の姿を見ていると、ますます気持ち悪くなってくる。
喉がいがらっぽく、少し咳をすれば、つられて酷い嘔吐感がこみ上げてきて……。
しかし、ものすごく気持ち悪いのだが、吐こうとしても何も出てこなかった。そう言えば腹は空っぽだ。
昼過ぎに起きてから面倒臭くて外に出ないでいるうちにいつの間にか日付も変わりそうな時間になっていた。
それでも吐き気はした。吐きたいのは胃の中の物ではなく……。空虚。自分の中にあるそれを吐き出してしまいたかったのかもしれなかった。
でも、無い物をどうやって吐き出せと言うのか。僕は下を向いて、際限なく繰り返すように思える、嘔吐感の波に耐える。その永劫とも思える時間。
そして……。
僕は、アパートの自転車置き場から、自分の自転車を取り出そうとするところだった。
誰かが僕の自転車を塞ぐように斜めに並べたせいで、それに揃って並べられた他の自転車をどかせてから取り出さなければならない。
しかし、乱雑に並べられた自転車はハンドルどうしが絡み合い、なかなか巧く抜けなくて……
呪う。
こんなつまらないことをするやつに。
こんなつまらないことだが、それゆえに出てきた感情は単純で、自分の中で理屈をつけて止めることもできず……
僕は、直情的に、浮かんで来た感情にそのまま捕らえられ、
「死ね」と、思わず呟いてしまう。
すると、瞬間、声が静寂に思った以上に響き、あせってまわりをキョロキョロとうかがってしまうが、
——誰もいない。
ほっとしながら、そんな事にほっとしている自分を軽蔑して笑いながら、僕は、邪魔している最後の自転車を取り出しながら、上を向き、こんな気分には似つかわしく無い、清らかに輝く、満点の星空に向かって僕はまた言葉にならないような悪態をつくのだった。
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