二章―2 二八一〇年〇八月〇四日
4
朝の日差しが直に目に当たる。
眩しい……。
樹は、カーテンがなく遮られることのない日光に恨みの目線を送る。
「……まあよく寝れたからいいけどね!」
樹は自分を目覚めさせた太陽に強がりを言いながら起き上がった。
枕元のノートPCを覗き込む。彼女も起きているようだ。
『おはようございます。樹様』
「ああ、おはよう。……ていうかAIも寝るの?」
『電源を落とせば寝られますが、必須ではありませんし。そもそも寝るという表現が正しくないですね』
「……よく分からないからいいや」
仕組みを一から長々と話されても理解できるわけがなかったので、早々に話を終わらせた。
「下に降りてみる?」
『ええ。二人はもうお目覚めかと』
「……どうしてわかるの?」
『色々抜け道があるんですよ』
「そういえば、昨日お風呂場でも助けてくれたけど、あれ見てないとできないよね?」
『樹様? 知らなくていいこともあるんですよ?』
盗撮かぁ……、と頭を抱える樹。
とはいえ、そのおかげで助かったのだからひとまずに水に流すことにした。
樹は、快眠からのすっきりした頭で部屋を出て、階段を降りる。
廊下を抜け、リビングを見ると双子の姉妹。各々は缶詰を開けたり、パンをかじったりと既視感のある朝食を取っていた。
「あら、おはようございます」
缶詰の開封に苦労していたサチが足音に気づき樹に挨拶した。
「おお、おはよう樹ちゃん。ご飯あるよー」
マチも同じく樹を見るなりサチに負けない笑顔でそう言った。
「うん、おはよう。缶詰開けようか?」
「いえ、大丈夫です。力がないもので、缶切使うのが苦手なんですよ……」
「ふふん。ならあたしが開けようか?」
「嫌。マチが開けると絶対『チカラ』を使うじゃない」
『チカラ』とは昨日、樹の見たあの魔法みたいなもののことだろう。
サチは缶切と格闘しながら、話し始める。
「ところで樹さん、分かっているとは思いますが絶対に外に出ないでくださいね?」
「うん、そりゃあ当然……」
サチに言われなくても出るつもりは毛頭ない。
彼女達が知っている以上の秘密をこちらは抱えているのだから。
「樹ちゃんなら大丈夫だって! ほらもう! 開かないんだったらあたしに貸して!」
缶切とラベルの貼られていない銀の缶をサチから取り上げる。
サチは不満気な顔でマチに言った。
「樹さんの前だからってかっこつけなくていいのよ?」
「何ー!? かっこつけたことなんてないし! まあ、あたしがやるとなんでも画になっちゃうからサチが嫉妬しちゃうのも無理ないけどねー?」
キラキラと周りに星でも舞っていそうだ。
サチの方は「全く」とでも言いそうな呆れた様子で。
「だったら早くやって見せなさいよ。昨日と同じ失敗を繰り返してもいいなら、ね」
「ふふん。見てなさい」
ペン回しの要領でクルクルと回していた缶切を右手でしっかりと持ち直す。
余った左手で薄手の端末を操作する。
「現入力の変数で対象を改変」
彼女の詠唱後、特に何か変わったことは起きなかった。
「いくよー!?」
マチは缶切を振り上げ……、とそこまでいったところで、
「樹さん、机の下へ」
サチが樹の腕を掴み机の下に引っ張る。
マチはそれに気づかず缶詰へ缶切を振りおろした。
直後、
爆発にも近い音で、缶詰が破裂した。
あたりに噴出していく白い液体。匂い的にココナッツミルクだろうか。
「ああ、私の朝食のお供が……」
「いやいや、それよりマチが」
「マチなら大丈夫ですよ」
そうは言っても気になるので樹は机の下からそっとマチの様子を伺ってみる。
「うええ……」
全然大丈夫じゃなかった。
マチは今にも泣きそうな顔で、ココナッツミルクに濡らされた寝巻きを見ていた。
透けているような気がするが樹の目には何も見えていない。何も見えていないのだ。
「素晴らしい光景ね」
サチも満足そうに、マチのその様子を眺める。樹が見たその横顔はまるで悪魔のようにも見えた。
「……絶対わざと焚きつけたでしょ?」
「さて、何のことだかよく分かりませんね」
ああ、絶対怒らせないようにしようと樹は心に決めた。
5
お風呂行ってきます……、とマチがリビングを出て行った後。
樹はビシャビシャになった床を布巾で拭きとっていた。
サチも罪悪感なんて微塵も思わせない明るい顔でそれを手伝っている。
「どうかしましたか?」
「人ってわからないなって思っただけ……」
敵に回してはダメなタイプの人間だ、というのを遠まわしに口走る。
サチは意味に気づいているのかいないのか、特に気にした様子はなかった。
「二人が学園……だっけ? に行ってる間、何かすることない? なんでもするよ?」
ただで居候させてもらうのは樹の良心が許さないのだった。
何かしら、二人の助けになりたいという思いからの提案であった。
「いえ、大丈夫ですよ。大きい音立ててしまうと、見つかるリスクも増えますし……」
「掃除くらいなら全然やるよ! ただ家で待ってるのも忍びないし」
「……じゃあ、お願いしますね。くれぐれも外には出ないように。それだけは守ってください」
言われなくても出る気はなかった。
外に出て、捕まったが最後。一生、研究所コースなんて人生は送りたくない。
「サチー時間はー?」
ホカホカとした湯気を頭から立てながら、マチがリビングに戻ってきた。
なぜか……いや、当然バスタオル一枚で。
樹は、彼女の方に目を向けたのを後悔した。
また忘れていた。
この世界には男女間の羞恥がないことを。
「マチさんや」
「なんでしょう、樹さんや」
「服着ようよ」
「サチみたいなこと言うね!? 面倒だしいいじゃん!」
良いわけない。
「この子はいつもこうなので。お気になさらず」
「いつもじゃないし! お客さん来てるときはやんないし!」
自分はお客さんではないのかと樹は思った。だがそれは自分がこの家の住人であるということを認めてくれたことの裏返しであると気づき文句も何も言わず目だけ逸らした。
ふと、サチがデジタル表記の時計を見る。
「マチもうこんな時間! さっさと着替えて行くわよ!」
「え、ちょっと待っ……フギャッ!」
マチが解けたバスタオルを踏み、猫のような声を出しながら転んだ。
鼻の頭が赤くなったマチは手品のような早着替えでサチを追いかける。
樹は彼女がしっかりと服を着たことを確認してから二人を玄関まで見送った。
「それじゃちょっと家空けるけど絶っっっ対に外出ちゃダメだからね!」
「分かってるって」
「樹さん行ってきますね」
「行ってきます!」
行ってらっしゃい、と双子の背中に手を振った。
まだ一日しか経っていないが、順応し始めたような気がする。
いや、そう錯覚しているだけかもしれない。
だがマイナスに捉えても仕方ないのだ。樹の失った八〇〇年間はどうやっても取り返せないのだから。
今はまだ制限も多いけれど、きっとこの世界でも楽しむ方法はあるはず。
そう信じていないと今もこの先もとてもじゃないがやっていられない。
「さて、と……」
玄関の戸締りを確認した後、リビングに戻る。
そこはまだ、今朝のココナッツ撒き散らし事件の影響で床や壁、テーブルがベタベタと気持ち悪かった。
マチたちが帰ってくる前にもう少しキレイにしておこうと、布巾を探す。
が、見当たらない。さっきまで使っていたものはどこへやってしまったのだろうか。
忘れてしまったし、洗面所で新しいものを使おうとそこへ向かう。
入ると、洗濯カゴの中にさっき使っていた布巾と……、
(あっ、)
さっきまでマチが着ていた寝巻きと下着のフルセットが無造作に脱ぎ捨てられていた。
(気にするな気にするな! こんなのただの布きれじゃないか、何を怯えているんだ俺は)
女の子だと騙しているということがあるから、罪悪感も大きい。
(そんなことより布巾だ布巾!)
邪念を振り払い、捜索を再開する樹。
それでもピンクな妄想をかきたてるただの布切れから好奇心を消すことができなかった。
(参考! そうだ参考にするためだから! これから俺は女として生きていく必要があるわけだから! なら仕方ないわけだ!)
欲に負けた。
参考などというアホな建前を使い、恐る恐る寝巻きに手を伸ばす。
ココナッツミルクでベタベタで幾分気持ち悪かったが、好奇心の前には無力だ。
マチの薄桃色の寝巻きを持ち上げたところ、ゴトッと何かが落ちた。
「なんだ?」
見ると。樹の生きてきた二〇〇〇年代でよく見たスマートフォンに似た携帯型の装置のようだ。
慌てて寝巻きのポケットに入れたままにしていたらしい。
二階へ上り、YukinaのいるPCを開き聞いた。
「なあYukinaこれって……」
『魔法再現用のデバイスですね。忘れていかれたのでしょう』
「これってないとマズイのか?」
『今日は……』
彼女が黙りこくった途端、画面内に新たな窓が開いたり閉じたりと忙しなく切り替わる。
ムッ、とYukinaの表情が強張り。
『ちょっとヤバイかもしれません』
どうやらこの世界に男は俺一人だけらしい らいちゅそ @raiden25pi
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