行間―1 同日_Blowup
「と、言うわけで。今日も特に異常は見られませんでした。……以上になります」
夜光紅葉は超薄型の端末を紙のように持ちながら言った。
担当領域の市内点呼を終えた紅葉。彼女は状況報告を上層部にあげるため、本来の職場の西監視塔へ戻ってきていた。
「そ……、ご苦労様」
彼女の直属の上司、
紅葉は仕事の報告のために雪月の仕事部屋を訪れているわけだが。
正直言って、紅葉はこの個室が大嫌いだった。
なぜなら、部屋の真ん中に置かれた天蓋付きの皇族を思わせるような大きなベッド。
真ん中に寝そべる雪月は周りに首輪以外一糸も纏わぬ少女達を侍らせていた。
雪月はまるでペットのように少女達を撫でている。
紅葉は嫌悪感を募らせながらも聞く。
「失礼ですが、やはり趣味が悪いと思います」
「何のことかしら?」
「自覚がないならもういいです」
雪月は全く気にした様子もなく、紅葉へ言った。
紅葉も最近は面倒になってきたのか、言う回数も減ってきていた。
初めて見たときは衝撃というか、気味の悪さを感じていたものだ。
「それで」
雪月は意地の悪い笑みを浮かべながら、紅葉に聞いた。
「お友達とは会えたのかしら?」
「っ……! やはりあなたが……っ!」
「せっかく、十四地区の監視委員に任命してあげたんだから、もうちょっと喜んだらどうなの? で、どうだったの? 裏切った友人との再開は?」
「あなたに言う必要などありません」
「そ。でもあなたの様子を見る限りじゃあ……」
雪月が紅葉の体全体を舐めまわすように見る。
その瞬間、紅葉の体に悪寒が走った。気持ちが悪い。
ゆっくりと時間をかけながら、無言で、じっくりと。
ここに配属されてから何度も何度も何度も何度もこのように選別をするかのように雪月に見られた。
そのたびになんとも言いがたい嫌悪感が体を襲うのだ。理由はわからない。
紅葉は体を見られている間、気持ち悪さを感じながらも我慢し、耐えながら必死に強がってみせる。
言いようのない吐き気。顔は火照り、熱い。でも恥ずかしいわけじゃないはずだ。
気持ちが悪い。吐きそうだ。見るな。やめろ。
紅葉はこの時間が大嫌いだ。
これは恐怖なのか? それとも……。
「お友達と一悶着あったってところかしら」
「…………、」
「別に口なんか開かなくてもいいわ。私には分かるもの」
「あなたには関係のないことです」
「喋った。私にこれ以上踏み込んで欲しくないから。あなたはとても分かりやすい」
この人に隠し事は無意味だ。
彼女と接していると紅葉はいつも手玉に取られ、まるで頭の中を覗かれているような気分に陥る。
何もかもを見透かされ、抵抗しようという気にもならない。
やはり、雪月に対するこの感情は恐怖で間違いないのだ。
「人と人が憎悪をぶつけ合うその姿。とても醜いのに美しい」
恍惚ともいえる表情で、雪月は言う。
「カメラで一部始終を余さず見てみたかったわ。一体、どんな言葉をぶつけてどんな感情がそこにあったのか」
「やめろ……っ!」
「それはきっと甘美。甘くて、美しいのよ。人の間で渦巻かれる黒い感情。とってもおいしい」
「やめろ!」
体の震えが止まらない。紅葉は思わず叫んだ。
サチとの一件。それは確かに紅葉が悪い。本人もそう思っていた。
でも、謝罪も何もかもをサチに拒否された。その瞬間に自分の中に憎悪が芽生えたのも否定できなかった。
どうして、自分はこうも罪深いのか。
だから全て自分の中の奥深くに隠して、しまいこんだはずだった。
でも雪月は、そんな人という箱など簡単にこじ開け、どんな感情でもいともたやすく見つけだし、晒してしまう。
彼女には自分の汚い感情も何もかもをさらけ出さなくてはならない。
だから、紅葉は雪月を恐れている。
「今日はもう……あがります」
「ふふ、そう。……それじゃあね」
雪月は一通り紅葉を弄び満足したのか退室を許す。
恐怖と、恥辱にまみれた紅葉は乱れた呼吸とふらついた足を必死に抑えながら部屋を出た。
監視塔内の廊下をゆっくり、ゆっくり歩く。
エレベーターに乗り、一階を目指す。
いつもなら、三十秒もかからない。でも、今日は十分は乗っているような気がした。
だからか。
雪月の言葉の全てが体の中に染み込んでくる。
「違う」
私はサチに憎悪など向けたりはしない。
いや、したくない。
でも雪月は否定した。
いいや、お前はサチを憎んだのだと。
そして、サチもお前を憎んだのだと。
「違うっ!」
ダンッ、という音でエレベーターが一瞬揺れた。
腫らした右手を見ていると、目の前が滲んでいく。
ポタッと、雫は床に落ちた。
「私はただ、私が憎いだけだ。それをサチに対してなど……」
エレベーターは一階に着いた。幸いにも待ち人はいなかったので、泣き顔を見られることはなかった。
フラフラとした足取りでエントランスを抜ける。受付のお疲れ様でしたという言葉など耳に入らない。
そのまましばらく歩き、錆びて歪んだガードレールに腰をかけた。
まだ、雪月の言葉は離れない。
まるでウイルスのように頭を冒していく。
「…………サチ」
頭の中の雪月の言葉は紅葉の過去の記憶を掘り返そうと探り始める。
それは約一年前のことか。
紅葉は確かにサチを裏切った。自分もそう認めているし、彼女もそう思っていることだろう。
思い出す。思い出す。
だが、記憶を掘り起こそうとする思考は止まった。
なぜなら、
「忘れなさい」
横から、甘ったるい声。
でも、雪月とは違う慈愛と優しさに満ちた声。
紅葉は振り向こうとするが、それは頬に当てられた手によって止められる。
後ろから、ゆっくりと手を回され、紅葉の体を抱く。
「雪月の言ったことは全て忘れなさい」
暖かく、気持ち良い、眠くなるようなうっとりとした声で誰かは言う。
紅葉には誰なのか声だけで分かっている。
「…………はい」
紅葉の体はさっきよりも軽い。
もうこのまま眠ってしまいたい。何かに守られるような感覚を味わいながら、
「お母様」
それを聞いた紅葉を抱きしめている女は、薄っすらと笑った。
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