一章―6 同日_reception



  13



「最悪の居心地だ」


 埃っぽい部屋に無理やり押し込まれた樹がポツリ。


『まあ、好都合です。まだこの世界についてお話しきれていない部分もありましたしね』


 そう言われると丁度いいとは思う。先ほど話していた生体管理チップのことについても教えてもらえたし、彼女たちの会話についていくこともなんとかできそうだ。

 ついでにもう一つ聞いておこうと、Yukinaに質問する。


「ねえ、内円都市と外周市っていうのは何なの?」


 エリートと凡人を分ける境界線。二人からはそう聞いていたが、それ以上のことは細かく知らない。


『この世界では女性しかいないというのはもうお話したと思いますが。現在の日本では女性のみで出産できる方法が確立され始めたのです』


 そういえば、将来的にそんなことが可能になると話題になっていたのを樹は思い出した。iPS細胞とか言っていたような。


『ですが、それができる人間も限られています。全員にやらせようにも機材も資金も資材も何もかもが足りない。なら選別をしようと、そういう話になったわけです』

「つまり、頭の良い人間、使える人間にだけ子供を作らせよう……ってこと?」

『そうです。それなら優秀な遺伝子のみを残すと同時に人口妊娠をさせる人数を制限できるのでとても合理的なのですよ』


 こんな世界ではもう人権もクソもないらしい。人類を生き残らせることに必死だ。

 人類全体としては確かに正しい。でも個人にとってそれは確実に正しいと言えるだろうか?

 皆の納得できる答えなんて出せないのは分かっている。

 でもこれは多くを救っているのだろうか?

 考えに考えて出した最良の答えか?

 自分はどちら側につくべきなのか?

 残念ながら樹にはまだ判断材料が足りなかった。


『内円都市はとても裕福な街です。妊娠者や優秀な学生たちにストレスフリーな生活を送ってもらうために税のほとんどをここにつぎ込んでいます』

「じゃあ外周市は?」

『医療、教育以外には力を入れていません。貧富の差はここでもうすでに生まれているのです』

「道がボコボコだったり、建物の工事が進んでいないのはそういう……」

『はい。電気、上下水道、ガスなどのインフラは最低限整えていますがそれ以外はほぼ手付かずです。ちなみに警察、消防などの緊急派遣人員もほぼいないと思ってください』


 つまりだ。

 生きるための最低限のラインは用意されている。

 だが、おそらく治安は最悪。ゴミは回収されないから汚れ放題。

 ちょっと豪華なスラム街くらいの認識でいいのかもしれない。


「食料は? どこかにあるの?」

『あり余っていますよ。内円都市防壁の近くの商店街でタダ同然の値段で販売しています』


 日本の食料自給率は下がっていると中学で習ったが、今は違うのだろうか。


『食べ物は生の要ですからね。過剰に供給するくらいで丁度良いとでも考えているのでしょうか』


 食料がなければどうにもならない。

 逆にそれだけあれば何とか生きられるということでもあるが。

 でも食べ物を用意するというのはとんでもない手間がいる。

 それも何千、何万と用意するなら尚更。だが、現在の二八〇〇年代(実際は三〇〇年止まりだが)の技術なら食料の栽培、捕獲、養殖技術もそこそこ高いのだろう。

 まあ、そんなものを調べたところで今役に立つとは思えないが。

 とりわけ重要な話でもなさそうなので、樹はこの話をここで一旦終わらせ別の話題を振った。

 

「そういえば、まだ出ちゃダメなのかな?」

『今は待ちましょう。鉢合わせでもしたら危険です』

「そっか……。ねぇ、もしかしたらこういう生活がしばらく続くのかな?」


 逃げては隠れ、の生活なんてこれから先ずっと続けていくことなんて可能だろうか?

 ましてや、自分の全く知らない世界で、だ。


『分かりかねます。ですが、させません。そのために私がいるのですから。マチさん達と何か手を考えます。それまでは申し訳ありませんが我慢してください』

「……分かったよ」


 素人の自分が無理に現場を引っかき回してはいけないと思い、樹は手を出すようなことは言わなかった。

 自分が入ることで解決できなくなってしまうのは怖い。全く知らない場所で手詰まりなんてことは避けなくてはならない。

 手の打ち用がなくなったとき自分はどうなるのだろう。

 ……やめておこう。

 と、そこまで考えたところで、コンコンコンという規則性のあるノックが聞こえた。

 どうやら、は済んだらしい。


「また入ることになるだろうし、今度掃除しておこうかな。この部屋」



  14



「まあ、というわけで」


 マチがガラス製のコップを持ち上げ、立ち上がりながら言う。


「樹ちゃんの軽い歓迎会を始めちゃいたいと思うわけなんですが……」


 なんだか先ほどから元気のないサチと、同じく覇気のない顔をした樹の二名を見下ろしマチはため息をつく。


「うう……なんだよぉうこの空気……。あたしが空気読めてないみたいじゃんかぁ……」


 サチは仕方ないとして……。

 樹はどうしたのか。

 ズンと沈んだ場を変えなくてはと思い、樹に聞いてみた。


「樹ちゃんは何があったの、突然。さっきまで普通だったじゃん!」

「いやぁ……。何か今日教えてもらったこと整理してたら頭パンクしちゃって……」

「何をそんなかわいいこと言ってるの!? もう、樹ちゃんのための歓迎会なんだからね!? 今は忘れて忘れて!」


 「かわ……」、と褒められているが全く嬉しみを感じないことを言われ更に頭をヒートさせてしまう樹。

 マチは見てみぬ振りで、


「それじゃあ、ほら持って持って」


 二人にジュース入りのグラスを勧めた。

 

「はい、面倒なのは抜きで乾杯!」


 あっさりした挨拶と共にグラスを合わせた。

 

「歓迎会……か」

「樹ちゃんこういうの嫌い?」

「いや、別にそういうんじゃなくてさ。歓迎してもらえるんだなって……」


 どこの誰とも知らない人間を信用して家に置いてもらえる上に、更に簡単にではあるけれどこうして歓迎会まで開いてもらえて。

 申し訳ないというか……と、やっぱり思ってしまう。


「気にする必要なんかないよ。私たち、今まで二人で過ごしてきたから……。人が増えるのは寧ろ嬉しいよ」

「そっか……。家族は他にいないの?」

「……家族?」

「うん家族。生まれたんだったら絶対にいるでしょ?」


 この世界には女性しかいない。

 けれど、そうであっても母体は必要となる。

 だったら絶対に母親は誰かいるはずだ。


「分かんない」

「……へ?」

「だから、分かんないんだってば」

「え、何で?」

「なんでって言われても……、見たことないよ。気づいたら外周市で暮らしてたもん。みんなそうなんじゃないの?」


 親の顔を知らない、しかもそれが普通であるような反応。

 樹と彼女らの意識の差はまだどこかにあるようだ。


「会いたくないの? だって、たった一人の親なんだよ? 寂しくない?」


 樹はもう会うことはできない、父親と母親の顔を浮かべながら聞く。


「寂しいとかそういうのはないよ。でも興味はあるかな、あたしたちをこの世に産み落としてくれた母親に」


 樹の『会いたい』とはまた違う『会いたい』。

 きっと外周市の人間にとって母親という存在はそこまで大きくない。

 時代とは恐ろしいものだ。


「そっか……。サチさんはどうなの? ……サチさん?」

「…………、」


 サチは乾杯した後からグラスを握ったまま俯いていた。

 樹は、まさか寝ているのかと思い顔を覗きこみながらもう一度声をかけた。


「サチさん?」

「…………あ」


 今の今まで声をかけたのも気づいていなかったようで、驚いた顔で樹を見た。


「ご、ごめんなさい。で、何の話だったかしら?」


 樹は先ほどのやりとりを見ていない。見ていたとしても何のわだかまりがあるのかすら分からないだろうが。

 だから樹には様子が変だくらいにしか感じられなかった。


「具合でも悪いの?」

「いえ。なんでもないですよ」


 サチは笑顔でそう言った。でもやはりその顔にはどこか無理がある。


「サチさん、本当に大丈夫?」

「全然平気。ごめんなさいね、せっかくの樹さん歓迎会なのに」

「うん。だからサチさんもあんまり暗い顔しないでくれると嬉しいかな……なんて」


 出すぎたことを言ったか、と思った。

 でもサチはそれを特に咎めるでもなく、


「そうね……わかったわ」


 変わらず、彼女の笑顔はぎこちない。

 でも樹にはさっきの笑顔とはまた違う、やさしさを感じた。


「あと、樹さん。私に『さん』はいらないかな」

「え、じゃ、じゃあ……」

「サチでいいわ」

「あ、ずるい! あたしも、『さん』はなしでいいからね!?」


 同年代なのだから、始めから必要なかっただろうが最初にそう呼んでしまってから変える機会を失ってしまった。

 だから、向こうからそう言ってもらえるのはとても嬉しいことだ。


「それじゃあ、サチ」


 樹と同い年だが、自分よりもクールな印象を受けた少女の名と、


「マチ」


 サチとよく似た顔をしているが全く正反対な性格をした少女の名を呼び、


「これからよろしく!」


 樹は照れ隠しでグラスのジュースを一気に飲み干す。

 恥ずかしさと緊張で甘かったとか酸っぱかったとか、ましてや何が入っていたかなんて分からなかった。

 でも、とっても優しい味がしたことだけは、明日になっても覚えていた。

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