一章―4 同日_runaway

 


  10



 ナゾの建物から脱出し、少しでも離れようとひび割れのあるアスファルトの上を走る。


(ここが、八百年後の日本……)


 八百年も経っているだけあって、全く知らない建物の方が多い。

 樹のいた時代とあまり変わらずコンクリート作りで、その上修繕されていないせいか崩落しかかっている。

 当然電気などはついておらず、ガラスも割れていた。

 何というか、世紀末を感じさせる風景であった。


「この先に私たちの乗ってきた車があります」


 どう見ても、樹と同い年くらいだが、この時代に免許制度はないかもしれないので黙っていた。

 しばらく走ると、手の施されていない道路の上にポツンと一台だけシルバーの車があった。

 サチの言っていたのはこれのことだろう。


「さぁ、乗って乗って!」


 マチに急かされ、後部座席に乗る。

 軽自動車で、電気と水素で走るタイプのようだ。そのせいか、エンジンを駆動させていても排気ガスの匂いが全くしない。


「んじゃあ、行くよん!」


 マチが運転席で助手席にサチが乗る。

 そして運転手の声ともに車は発進した。

 そういえば、彼女達は何をしにあんなところまで来ていたのだろうか。

 樹を助けに来た、というわけでもなさそうなので、二人に問いかけてみた。


「どうして二人はあそこに入ったの?」

「私たちはあの企業の秘密を暴いてやろうと思い侵入したのです。あそこの地下で秘密の実験をしている、という噂を聞きつけてね」


 まあ、あながち間違ってもいないわけだ。

 樹の冷凍保存コールドスリープ実験は世間に隠され、八百年経った今でも秘匿扱いされていただろうから噂レベルでとどまっていても不思議ではない。

 そうでなければ、樹はとっくに世界唯一の男として無理やり叩き起こされ実験施設に隔離されていたに違いないからだ。

 

「おかげであんな大きな装置を隠していたことも暴けたし、何より人間を監禁していたなんて事実が公になったら……」

「即倒産、ですね」

「樹ちゃん、どうしてあんなところにいたの? やっぱり監禁されていたってこと?」

「ええと……」


 冷凍保存装置に放りこまれたなんて言ったら、男であることがバレてしまう可能性がある。

 ここは嘘を使って、この場をやり過ごそうと口を開く。


「いや、ごめん。全然分からないんだ。全く記憶がなくて」

「記憶関係の操作実験でしょうか……」

「うーんさすが悪徳企業イガラシ。人間の記憶を操って奴隷にでもするつもりだね」

「イガ……ラシ?」


 聞き覚えのある名前だ。

 そう、何を隠そう雪菜の苗字である。

 とはいっても苗字など被ることも多いし、関係しているのかどうかはまだ判断もつかない。


「あの監視塔の管理、運営を兼業している企業の名前だよ。国が監視塔すべてを管理しきれないから一部だけ一般の企業なんかに任せているの」

「そういえば監視って何を監視しているのさ?」

「私たち人間を、ですよ」


 樹の問いにサチが返した。

 

「人間が簡単に逃げ出せないように。勝手な行動をしないように。《内円都市に入り込まないように》しているのです」

「内円都市?」

「選ばれたエリートのみがいける特別な街です。そこならありとあらゆる自由は保障されるといわれています。まぁ実際どうなのかは行ったことがないので分かりませんが」

「あたしたちが今いるのは《外周市》。無能な人間の集まる場所ってこと。バカのレッテルを貼られた使えない人間の住む場所なの」

「あの魔法みたいなのが使えるのに無能なの?」

「樹ちゃんホントに何も覚えてないんだねぇ。先生、教えがいがあるよぉ」

「あはは……」


 覚えていないのではなく知らない、なのだが。

 マチは黒板の前で教鞭でも取るように続きを教えてくれた。


「あれなら誰でも使えるよ。と、いっても勉強しなきゃだけど……」

「魔法がうまく使える人間が優秀ってこと?」

「大体そんな感じです。人類の発展に役立ちそうな力を作った者が評価されます」


 マチのセリフを横から掠めとり、サチが続けた。


「そして外周市で使えると判断された人、すなわち有能な人間も内円都市に行くことができます」

「じゃあ二人はもうすぐ行けるの? あれだけできるんだし……」

「ううん、残念だけど万年四位止まり。サチに至っては六位。あっちに行けるのは三位までだから後少しだけ足りないし。でもまだあっちに行く気はないの」

「どうして? それだけできるならほんとちょっと頑張れば……」

「そ、それはね……」


 マチの顔が少し赤らんだ。


「サチと一緒じゃなきゃ行く意味ないし……ね。だからサチも頑張ってよ」


 彼女の言動が予想外だったのか、隣の席のサチも顔を赤らめる。


「ふ、ふん。マチのくせに随分偉そうね」

「何ー!? あたしがお姉ちゃんなんだからいいじゃん!!」

「そもそも双子で、生まれた時間はほぼ一緒なんだから姉もクソもないわ。最初に母体から出た方を姉と呼ぶやり方に私は苦言を呈する」

「双子特有の悩みだね……」


 どちらが姉か決着つけようか、臨むところ、と前の座席で決闘の申し込みが繰り広げられている中、ふと気づいた。

 先ほどからYukinaが一言も声を発していない。

 彼女が話し始めると話がこじれるが、それ以前に心配だったので意を決してノートパソコンを開く。

 Yukinaはさっきと全く変わらず、画面に鎮座していた。

 目を瞑って、両手を前にして立っている姿は雪菜そのもので少し見とれてしまう。

 そこで彼女は樹の視線に気付いたのか、目を開け、

 

『御用ですか?』


 まさか、発声されるとは思わず画面を手で塞いでしまった。


「何、今の声? 樹ちゃん?」

「いや、違うんだけど……」


 運転席のマチがAIの声に反応し、後部座席確認用のミラーで樹を見た。


(おい、Yukina何かうまいこと……)


 樹について、そしてYukina自身について何か今後のためにごまかせる方法はないかと、小声で助けを求める。

 

『樹様、画面をあちらへ』


 樹はYukinaに言われた通り、PCの画面を前の座席に向ける。


『どうも、先ほどは樹様を助けていただきありがとうございました。私、樹様の専属教育型AIのYukinaと申します』

「は、これはご丁寧にどうも! マチです!」

「サチです。よろしくお願いします。AI……ですか、私初めて見た」


 この年代でも珍しいものなのか、それともこの外周市と呼ばれる場所ではあまり使われないだけなのだろうか。

 サチは珍動物でも見るようにYukinaをじっと見ている。


『お二人には樹様の事情を説明しておこうと思いまして、いかがでしょうか?』

「うん! それは聞いておきたいね」

「ええ。だってなんだか樹さん、今を生きるのに必要な知識がごっそり抜け落ちていて少し不安ですし。私も知っておきたいです」


 それは、樹はこの時代に生まれたわけではないし、どうにもならないことだ。

 必要なことはYukinaが全て教えてくれるが、今の今までそんな余裕がなかったので上手いごまかしもできない。


『はい。樹様は監視代行会社イガラシの中に幽閉されておりました。中ではとてつもなく悪逆非道な実験が繰り返され樹様もその被験者の一人に……』

「……!? なんてこと!」

「そして、彼らの実験内容とは……。知識と記憶を消す。と、いうものだったのです」

(お、おいYukina。さすがにそれは……)


 樹の小声で抗議にも耳を傾けず、Yukinaは話を進めた。


『なので樹様はこの時代における社会情勢、科学、常識などは全て知りません……。そこで私が樹様の教育係として選ばれたわけです』

「記憶を消す実験なのにどうしてまた知識を植えつけさせるのでしょう?」

『脳のどこに知識を溜め、どこにエピソードの記憶を溜めるのかという実験です。生まれた頃からそんな実験を何度も何度も繰り返されてきました』

「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ! イガラシめ、絶対に許さんぞ!」

「ちょ、ちょっとマチ! 熱くなるのはいいけど前見て前!」

 

 急なハンドル操作で車体が大きく揺れるも何とか立て直した。

 

『樹様はとてもかわいそうなお方なのです。私はだんだん罪の意識に耐え切れず……。密かに救難信号を出していたのです』

「だから、古代OSの反応がでたのね。それにしてもその機械も随分と古い型のようですが」

『私自身の動きを封じるためのものです。メモリ量のそれほど多くないPCですので、私も会話以上のことはできないのですよ」

「反逆しないための重り、ってこと?」

『例えるならそうなるでしょうね』


 すごい、と単純に樹はそう思った。

 よくここまででっち上げられるものだ。


『お二人は……樹様の味方をしてくださいますか?』

「モッチロンだよ!」

「こんな話を聞かされて、黙っているわけにはいきませんよ! 協力させてください」

『ありがとうございます。樹様を、よろしくお願いします』


 Yukinaが二人に画面越しで頭を垂れた。

 樹は二人に嘘をついていることが申し訳なくなってしまったが、今自分の身分を明かすわけにはいかない。

 せっかく、父から受け取った命、無駄に使い果たしたくない。

 樹はPCを自分の方に向けなおす。

 スタート画面からメモ帳を開き、二人に聞かれないよう文字でYukinaと会話を試みる。


『大丈夫なのか、こんな嘘ついて』


 メモ帳に書き込んだ後、すぐに自動で文字を打つかのような速さで返信が来た。

 

『問題ありませんよ。そもそも彼女達が来たのだって、地下で実験が行われているという噂を聞いたからではありませんか。なのでそこに便乗する形で嘘をついてみました』

『まあこれならしばらくは何とかなりそうだし、別にいいんだけど……』

『とにかくマズイことになったら私にお任せください。できる限り、何とかいたしますので』

『頼りにしてるよ』


 そこまで会話したところでメモ帳を閉じ、窓を見る。

 外の眺めは最悪で、崩落しかかったビル群と間に申し訳程度の土の空き地が見えるだけだった。

 そういえば、


「どこに向かってるの?」


 樹の疑問に、マチが運転しながら答える。


「あたしたちの住処。樹ちゃん、どうせその様子だと行くあてもないんでしょ?」

「まあないんだけど……」

「それなら私たちの家でしばらく匿いましょう。Yukinaさんもその方がよろしいですよね?」

『住居まで用意していただけるなら嬉しい限りです。ありがとうございます』

「よし、じゃあ家まで飛ばしちゃうよん!」


 駆動音の少ない電気自動車で荒廃した道を走る。

 変わりすぎていて記憶とは全然違う自分の生きてきた街を窓から見ながら、樹はふと眠りに落ちた。

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