第3話
「先生、失礼します。」
そう言ってドアを開けたのは飛鳥だった。小池はいつも通り準備室の奥にあるソファに腰掛け、何かの本を読みながらコーヒーをすすっていた。彼ら五人の姿に気が付き、本をパタンと閉じて、柔和な笑みを彼らに向けながら言った。
「やぁ、来ると思ったよ、皆適当に座っていいよ。」
そう言われ、次々と小池の座っていたソファの対面のソファ、近くにあったパイプ椅子を持って五人で座った。その様子を見て小池は少し慌てながら席を立ち言った。
「あぁしまった、皆ごめんね、インスタントコーヒーぐらいしか無いけどいいかい?」
統はふっと笑って返した。
「先生、いいですよ、あまり気になさらないで下さい。」
小池は返した。
「いやいや、折角の来客だ、少しぐらい気を使わせてくれないか?」
五人全員は顔を見合わせて、少しクスっと笑った後、飛鳥が言った。
「では、お言葉に甘えて、頂きますね。」
小池は嬉しそうな顔をしながら、白衣を翻しながらコーヒーを用意した。その間に五人はそれぞれ座って待つことにした。そんな彼らを見て小池は言った。
「あまり堅苦しくしないでね、リラックスしてゆっくり待っててよ。」
小池の声に、五人はまたくすくす笑った。胡散臭い丸メガネ、少しウェーブのかかった教師とは思えぬ程の長髪を後ろで束ね、薄っすら青みのかかったシャツにグレーのパンツ、そしてオリーブグリーンのネクタイを少し崩して巻いており、その上に白衣を着ていた。
コーヒーの準備が出来たのを見計らい、准と統が立ち上がり、近付き小池に一言言った。
「先生、運ぶの手伝いますよ。」
小池は返した。
「ありがとう、じゃあお願いしていいかな。」
准と統は小池の優しい笑みを見て、さっとコーヒーを持ち皆に配った。そして全員の前にコーヒーが入った紙コップが並べられるのと同時に小池が定位置に座り、皆に話しかけた。
「今日の話しを聞いて来てくれたのかな?君達に何が出来るかを聞きたくなったかな?」
その言葉を受けて秀が言った。
「そうなんです、僕達は先生の言う通り世界は変えられません、だから、僕に何が出来るかと思いまして。」
小池は嬉しそうな顔をして続けた。
「君達が世界を変える事も出来るよ。ほんのすこしずつ続けて行けばね。」
統は言った。
「ボランティアするとかですかね。」
「違うよ、世間のため、世の中のため、そんな事じゃなくて、君達自身にもっと簡単に跳ね返って来る事さ。」
少し難しい顔をして准が言った。
「例えばどんな事?」
「そうだな・・・例えばなんだけど、准君は絵が描けるよね、それを活かして、人に何かを訴える事が出来るじゃないか。」
「芸術の表現って事ですか?」
「もっと簡単だよ、准君が絵を描いて、その絵を誰かが見た時、何かしらを感じとってその人の何かを変えた時、准君はその人の背中を押す事が出来る、それは准君が人を変えたということだ、そうなれば君はその人の役に立ったっていうことさ。」
なるほど。皆が頷いた。そしてそれに小池は更に続けた。
「秀君の音楽にしてもそうさ、君が曲を作って人の心を動かした時、リスナーは何かを受け取って、そのリスナーの人生や世界を変えた時、その人にとっては必要な存在となるんだ。君達の存在意義はそういう所にあると僕は思うよ。」
目からうろこだった。彼らは素行不良が多く、それ故学校からも見放されている。しかし、小池のように何かしらの可能性を見出す事の出来る人はやはり一定数いるわけで、小池は彼らの持つエネルギッシュな部分を変えてみよう、彼らのフラストレーションやエネルギーを他へ向けてもいいんじゃないか、と考えていた。
そして、そんな事を皆に伝えるべく、続けた。
「それに、そういう事はお金を稼ぐ事に直結するかもしれない。もしそれぞれがその道のプロとして生活するのは非常に困難な道だろう、だけど、それでもし成功すれば、君達の目の前にはまた可能性として、選択肢としてそれが出てくる。君達は君達の信じた人生を歩んでほしいな。」
全員が、その話しを聞いて頭の中で夢を描いた。自分の理想に近づくために、少し将来の事を考えた。しかし、小池の力はそこではなく、彼らを前向きにさせた。前向きに夢を考えだしたのだ。
小池の言葉を受け、飛鳥が言った。
「先生、ありがとうございます。」
小池は返した。
「とんでもない、君達が同じクラスで、僕が授業を受け持つ事になった時、初めて目を見た時、『彼らは何か大きくなるな』と僕は確信したよ。元々馬が合わなそうな君達が、こんなに仲良くしてるんだもの。生物の遺伝子に組み込まれた本能が一緒にいろって言ってるのかもね。」
いつも通り、結局は遺伝子や生命の話しに繋がった時、全員はくすぐったそうに笑った。そして輝一は言った。
「やっぱり先生、相変わらずですね。」
その言葉を受けて小池は返した。
「やや、これは性分でね、好きだから仕方ないんだよ。だけど僕は冗談で言ってないよ。君達の持つ可能性は本当に何かあると思ってる。君達が持つ可能性は、何かを変えるよ。」
全員の目に何か強い力が宿った。彼らはそのまま全員で顔を見合わせた。そして秀は言った。
「本能に忠実に生きてみます。やりたいこと、やってみたいこと、今まで以上に。」
小池は愛おしそうに五人を見ながら言った。
「そうだね、君達なら何でも出来ると思ってる。さぁ、羽ばたいてくれ。」
そして、最後に秀は力強く言った。
「はい、とりあえずやってみます。」
全員頭を下げ、生物準備室から出て行った。そして五人は帰り道、それぞれ考えた。しかし、全員顔を見合わせてクスクスと笑った。そんな中、統が言った。
「本能、か。そうやって生きてみるのもいいかもね。」
准は返した。
「そうだな、好きなように生きて、好きなように死ぬ、悪くない。」
輝一は言った。
「確かに、俺達、今まで何にも出来なかったから、ちょっと挑戦してみるか。」
秀は言った。
「考えてる事は同じっぽいしな。」
最後に飛鳥が締めた。
「いい女、作ってみるか。」
夕暮れ時、彼らは学校を後にしてそれぞれの帰路につく。駅まで一緒に歩いて行き、それぞれのホームに立ち、電車を待ち、さっきの話しを考えていた。五人全員小池の同じ発言を考えていた。
『君達の持つ可能性は何かを変えるよ。』
今までロクに考えた事も無かった。高校一年を無駄に費やし、何かあれば喧嘩をして自分をごまかした。そんな五人組が、初めてそれ以外に何かしらのエネルギーを使おうとしている。
全員がぐっと拳を握る。それぞれ違う場所で、同じタイミングで、同じ事を考えながら。シンクロニティだ。
恐らく明日は何かが変わるだろう、いや、自分達が変えてやる。駅のホームはいつも通りだが、一筋の風が吹いたような気がした。やってやる、全員そう思い、明日を待つ事にした。
茜色の空 深井健一 @winston_rr
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