攻勢接客
ドローンは考えない。コマンドに従って飛ぶだけだ。
店内監視ドローンはホームセンター内の指定された座標を目指して一直線に自律飛行する。目標座標に到達すると管制システムから次の店内座標が示される。そしてこの座標点に至るまでにスキャンしたお客様の入店タグからの情報を顧客管理システムへ受け渡し、更新された目標座標に向かって何も考えずに飛ぶ。
その店内監視ドローンは新たなチェックポイント座標を更新するとともに、顧客管理システムから一つのコマンドを受け取った。
ボールペン販売エリアに模範的動線とかけ離れた動きをする入店タグが二つある。それらのタグはほぼ同じ座標に存在し、まったく動く事なくその場に在り続けている。お客様同士のトラブルの可能性あり。最優先で現場に急行せよ、と。
ドローンは考えない。コマンドに従って飛ぶだけだ。
日差彦と売人との筆談による商談が始まった。ゲルインク0.7ミリメートルが太く角張った文字を刻む。
『米が欲しい』
「お米って、ごはん炊くの?」
予想外の単語に思わず声が出てしまった有花。ボールペンを握る二人に挟まれたまま上からジロリと睨まれる。
「しっ。余計な事は喋らない」
日差彦がボールペンを走らせながら有花に小声で注意した。
「トコが来ちゃうとめんどいんだ」
「了解」
有花は小さい身体をさらに縮こませて口を手で塞いで見せた。
『何を、量は?』
売人の男は有花を軽く睨み付けたままエマルジョン0.5ミリメートルで筆談を続け、ぼそっと独り言のように低い声を漏らす。
「女連れでホームセンターか。いい身分だな」
少しムッとした顔で日差彦はゲルインク0.7ミリメートルを握る手に力を込める。カクカクとした文字がさらに大きく角張る。
『ひとめぼれ、三合』
「ホームセンターなんて誰と来たっていいじゃないか」
『米はkg単位だ』
日差彦のゲルインクボールペンがぴたりと止まった。売人の横顔をじっと見つめて、有花へ困ったように首を傾げて見せる。
『一合って何グラム?』
『知らん』
「150グラムよ」
エマルジョン0.5ミリメートルの代わりに有花が答えた。言い終えてから有花は慌てて口を塞ぐ。そしてキョロキョロと周囲をチェック。大丈夫だ。まだ接客応対ロボットの姿は見えない。
売人の男は舌打ちを一つ打ち鳴らして有花を上から見下ろした。少し苛立ったようにごちゃごちゃと文字列が書き込まれた模造紙をとんとんと突く。
「ちょっとぐらいいいじゃないか」
日差彦は有花と売人の男の間に割って入って売人が突いた辺りに素早く書き込んだ。
『ひとめぼれ1kg』
『650円』
『無洗米で』
『700円』
「ちょっ、高くね?」
「嫌なら買わなくていいぞ」
「二人とも声出てんじゃん」
声に出して値段の交渉に入った二人の男に有花は冷静につっこみを入れといた。なんだかんだ言ってもホームセンターと言う日常の中で監視の目を盗んで筆談による交渉と言う非日常を楽しんでいるだけじゃないのか。いや、巨大ホームセンターの無人販売と言う非日常の中で食材のお買い物と言う日常ごっこで遊んでいるとも見て取れる。
どちらにしろ、筆談から弾き出された有花は蚊帳の外だ。何気に楽しそうに値段交渉している日差彦の横顔を見ていると、ホームセンター生活を満喫しているな、と羨ましく思える。
巨大ホームセンター『ジョイトコ』に何日間隠れて住む事が出来るか。それがジョイトコチャレンジだ。有花は着替えやお風呂のためにいったん外出する一時帰宅組だが、ジョイトコチャレンジを本格的に楽しむのならばやはり日差彦のようにジョイトコから一歩も外に出る事なく、ホームセンターにある物ですべてを賄う完全宿泊組にならないと。
私もどこかに着替えを隠しておく場所を確保しなくては、と斜め上を向いた決意を小さな胸に秘めて、有花は配管ダクトがむき出しに張り巡らされている高い天井を見上げた。
そこには一機の監視ドローンが静かに浮遊していた。
つや消し黒に染められた丸みのある三角形の機体がふわふわと頼りなげに天井近くを漂っている。通常ならば決まったルートを見えないレールの上を走るように一直線に飛ぶ機体が、三対のローターの仰角を小刻みに変えながら静音モーターのハム音を小さく響かせている。通常飛行モードではない。索敵モードだ。
「日差彦くん、ドローンが」
有花は日差彦の袖を引っ張って彼の影に隠れるようにして細い身体をさらに小さく丸めた。売人の男も値段交渉を止めて天井を見上げた。
まだセンサーの射程圏外にいるだろうが、ハックアンドスラッシュモードの黒いドローンが確実にこちらに向かって来ている。
「時間かけ過ぎたか。650円でいいよね」
日差彦は手早く財布から千円札を一枚取り出し、売人の男へ押し付けるように文字列が乱雑に並ぶ模造紙の上に置いた。もう値段交渉している余裕はない。あのドローンに入店タグをスキャンされたら、買ってくれるまで離れませんモードの接客応対ロボットに包囲されてしまう。
「一時間後、おまえの宅配ボックスに入れとく。キーは1942だ」
売人の男は千円札を掻っ攫うと律儀にも数枚のコインをデスクに叩き付けて、ドローンから遠ざかるようにバックステップを踏んだ。
「あっ、ちょっ、お釣りが」
文字列が羅列する模造紙には百円玉三枚と五円玉一枚が取り残されていた。これでは無洗米1kg695円だ。やられた。ホームセンターでは貴重な現金を持って行かれた。
「日差彦くんっ、サーチされた!」
上空を舞う監視ドローンの挙動が一気に直線的になった。鋭い角度で高度を下げて、静音モーターのノイズが耳にうるさいくらいに迫ってくる。
「ドローンはホームセンターの視神経だ。もうロボット達みんなに見つかってるな」
日差彦はそう言って乗ってきた電動カートを停めた辺りをちらっと見やった。カートに乗車、移動中ならばトコによる接客攻撃も無効化できる。しかしカートは交通量が多く道幅も広いメインストリートにより近い場所に停めていた。それだけ接客応対ロボットに取り囲まれる危険性が高い。
「ダメだ。来やがった。選りに選ってジョイのお出ましだ」
売人の男が後ろ向きに戻って来た。その視線の先には、トコよりもひと回り大きな赤い機体が球状脚で仁王立ちしていた。パステルグリーンが基本色の少女を思わせる顔付きのトコと違い、フェイス周りのパーツも鋭角的にデザインされた大人の女性を彷彿とさせるジョイは、立ちすくむ売人の男と日差彦の入店タグをスキャンした。
『未接客のお客様を二名様、発見致しました』
これが通常接客のトコならば、筆談交渉を始める前に日差彦がそうしたようにシンプルな話術で追い払える。ホームセンター生活ももう長い。お手の物だ。
しかし相手は接客応対ロボット六十四機の群体を束ねる隊長機。しかも監視ドローンの索敵モードにより召喚された機体だ。まさしくホームセンター・コンシェルジェとして商品を購入するまで絶対的接客を決してやめないだろう。たとえこの場から走って逃走を図ろうとしても、ジョイの機動力は通常機の三倍はあると言われている。誰も確かめた事はないが。三倍の機動力を発揮する前に巧みな接客技術で商品を買わされているからだ。
『林田繁様。毎日のご来店ありがとうございます。多い時は一日に五回も入退店を繰り返していただいて。当店を気に入っていただけて大変光栄に思います。ただ、購入履歴がまったくありませんね』
ジョイが右マニュピレーターで売人の男、林田を指差す。どこに隠れていたのか、一機のパステルグリーンのトコが音もなく林田の背後に現れた。
『ぜひ、購入したくなるようなオススメのアイテムをご紹介させてください。商品は数え切れないほどご用意しております。時間もいくらでもございます。ずっと、お付き合いしますよ』
そして怒ったようなキリッとしたアスキーアートが表示されたフェイスマスクが日差彦へ強い視線を射掛けた。細っそりとした左腕がゆっくりと日差彦へ向けられる。
『多賀日差彦様。毎度お世話様でございます。いつもごひいきにしていただいてありがとうございます。購入履歴もいっぱいですね』
日差彦の頭上のモーターノイズが大きくなった。見上げると、新たに二機の監視ドローンが飛来して日差彦に座標固定し、合計三機がトライアングルのフォーメーションを組んでロックオンしていた。
『ですが、……奇妙ですね。多賀様が入店されてから五百九十五時間が経過しています。実に二十四日間です。一度も退店せずに、今までお買い上げいただいた商品はどこに仕舞われているのでしょうね。多賀様の入店タグの移動履歴を調べる必要がありそうですね』
ホームセンターは寛容だ。人々の無理難題な要求を飲み込み、様々な欲求を受け入れ、ありとあらゆる願いを叶えてくれる。ただし、それは好意的なお客様に限られる。ホームセンターは通常営業に仇なすお客様には容赦はしない。すべてのお客様は好意的なお客様であるべきで、仮にそうでない場合があったとしても、強制的な手段を取ってでもあるべき姿になってもらうだけだ。
日差彦と林田、二人の男にホームセンターの攻勢接客が迫る。
ぴりぴりと緊張感が張り詰めるそこへ、小さな人間が一人、ロボットと二人の男の間に立ちはだかった。吉野有花だ。胸にぶら下げたジョイトコ社長の旧式タグを優雅に摘み上げて、無機質な威圧感を放つロボットに臆する事なく大きな声でコマンドを下した。
「ハイ、こっちに注目。私を無視しないの。ドローンを巡回コースに戻しなさい。直ちによ」
有花は旧式タグをさらに高く掲げた。それにつられるようにジョイが天井を見上げると、日差彦の頭上でフォーメーションを組んでいた三機の監視ドローンはそれぞれ飛んできた方向へと散って行った。
「あなたも接客業務はおしまい。そうね、臨時でメンテナンスに入りなさい。バッテリーフル充電までバックルームにこもってなさい」
『はい。では、バッテリー休憩いただきます』
林田を包囲していたジョイとトコはニッコリと微笑んだアスキーアートを表示させて、くるりと柔らかい球状の脚で踵を返して素直に下がって行った。
「なんかわかんねえが、すげえな」
この隙にとばかりに林田はボールペン商品棚の影に隠れてあっという間に姿をくらませてしまった。
「あっ、お米頼むよ。無洗米!」
残された日差彦は売人が消えたボールペンのショーケースへ声を投げかけた。
「大丈夫よ。一時間後、もしも日差彦くんの宅配ボックスにお米が入っていなかったら、あの人のところへトコちゃんの大群を呼び寄せて圧倒的接客をしてやるから」
有花が旧式タグをネルシャツの胸の中へすとんと落として言った。
「私、社長名義のこの旧式タグの使い方、わかっちゃったかも」
周囲に監視ドローンの影も接客応対ロボットの姿もなく、広大なホームセンターの文房具売り場を見渡す有花の笑顔には確信めいたものが浮かんでいた。
「さあ、次はどこに連れてってくれるの?」
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