ホームセンター生活者
「お腹空いてない? ごはんでも食べないか?」
彼があまりにも場違い的な爽やかさで言うものだから、有花は迷う素振りも見せずにその申し出を受け入れてしまった。
「うん。食べる」
「よし。食べよう」
でもどこで何を食べる? 有花の疑問も余所に日差彦もあっさりと返事して電動カートに乗り込んだ。有花はベンチシートの日差彦の隣に座り、ふと思い出したように腕時計を覗き見る。デジタルの数値はすでにお昼過ぎを指し示していた。
もうお昼か。それとも、まだお昼過ぎか。
ホームセンター生活には欠かせない入店タグの紛失に始まり、ロボットのマニュピレータから人間の手へ労働を取り返すための店舗内デモ行進に遭遇し、ホームセンターが可動式商品棚をフル稼働してデモ隊を実力行使で排除する現場に巻き込まれ、ホームセンター以前の避難誘導路を改築した暗闇のロボット専用通路をさまよい歩き、神出鬼没のジョイトコ社長を発見してお買い物をする。
これだけのイベントをこなしてもまだお昼過ぎだ。何て濃密な一日になる事やら。
「文房具街の筆記用具エリア、ボールペン売り場まで。最短ルートで」
日差彦がコンソールパネルに話しかけると、電動カートは静かに自動運転を始めて、ついさっき登ってきたばかりのつづら折れの坂をするすると降りて行った。有花はコンソールパネルを覗き込み、日差彦の言う最短ルートとやらを確認した。
「文房具街? 自販機コーナーじゃないの?」
予想と違った目的地に思わず声に出てしまう有花。
「自販機のメニューじゃ物足りないでしょ。水場の次は餌場を紹介するよ」
「餌場って、何かますます野生動物化してない?」
「ホームセンターからすればお客さんなんてサファリパークをうろつく動物と同じだよ。完璧に管理されちゃってるさ」
「明日のごはんの心配がいらないって意味では幸せな動物達かもね」
適度に柔らかなベンチシートに体重を預けて有花は笑った。日差彦の言う通り、このホームセンターはロボットにより水場と餌場がしっかりと管理された人間のサファリパークなのかも知れない。
それもいいんじゃないか。有花は屋外用コンテナやベランダ収納ボックスが環境展示されている売り場を眺めて思った。一般家庭の庭やベランダを模したスペースに様々なコンテナが展示されていて、それらを自由に触って確かめる事ができる売り場空間を電動カートはゆっくりと走り抜けた。
このホームセンターにいればどんな生活環境でも疑似体験できる。それこそヴァーチャルなんかよりもよっぽどリアルな疑似体験だ。将来、こんな庭のある家庭で暮らせたりするのかな。なんてところまで妄想が広がる。それと、新しい餌場の情報は、自動販売機コーナーと缶詰売り場以外に選択肢が増えるのでホームセンターに隠れ住む上で単純に助かる。
「飼い慣らされるのも悪くないってね。あったかいごはんをご馳走するよ」
日差彦はイタズラを思い付いた子供のような笑顔を有花に見せて、ベンチシートに身体を押し付けるように大きく伸びをした。
自動運転の小さな車体は迷路のように入り組んだ家庭用物置売り場を抜けて、区画整理型商品棚の合間を縫ってスムーズにメインストリートへ合流し、無人運転の電気バスの後ろに並んでのろのろと走った。
二人を乗せた電動カートは設定された固定ルートを周回している無人運転バスと違って、店舗内を車幅が許す限りどこでも自由に走行する事ができた。ある意味では人員搭乗型ロボットである。
小さな軽自動車クラスの車体にはフロントガラスやルーフはなく、前後二列のベンチシートで最大四人乗り、荷台も含めてまるまる一個の箱に収まったシンプルな機構となっている。コンソールパネルに探している商品を告げるだけで最寄りの該当売り場へ自走してくれる仕様なので、お客様はドライバーとしての資質と能力、そして責任を求められる事はない。ただ乗っているだけでいいのだ。
「自動運転で売り場に連れてってくれるのもいいけどさ、ホームセンター内を自分でドライブできたらもっと楽しいのにな」
鼻唄を歌うような調子で日差彦が言う。それはそうと、有花は日差彦の横顔をちらっと盗み見た。彼はコンソールパネルに次々と映し出されるオススメ売り場情報を指で弾くように画面を送っていた。何とも楽し気な顔をしている。
狭いカートのシートに若い男女がぴったり寄り添って座っている。場所はホームセンターメインストリート。ウインドウショッピングならぬストリートショッピングだ。こんなホームセンタードライブデートもいいんじゃないか、なんて思ったりして。
前略、ばっちゃ。わは元気じゃー。一人暮らしも慣れました。それで、巨大ホームセンターに隠れて住む事になって、一緒にホームセンタードライブをする彼氏も出来ました。そんなキャンパスライフを楽しんでいます。へばねー。
なんておばあちゃんに報告したらきまがれっかな。
勝手に妄想を膨らませてなんとなく頬を赤く染めてしまう有花であった。
電動カートはモーター音を低く唸らせて、無人運転バスの車列から外れてメインストリートを降りた。吹き抜け構造から天井の低くなる売り場区画に潜り込むように走り、さらにスピードを落として文房具街へと続くゲートをくぐる。有花は赤くなった顔を走行風で冷ますように身を乗り出して、後部座席の荷台へ目をやった。
「ドライブデートもいいけどさ、なんなの、この荷台いっぱいのダンボールは?」
有花に言われて、日差彦は荷台に振り返ってニカッと笑ってみせる。その笑顔には、やっと気付いたか、よくぞ聞いてくれましたって書いてあった。
「俺の部屋の外壁だよ。今やただの残骸だけど」
「そういえば、潰れたとか言ってたっけね」
カートの後部座席、二人掛けのベンチシートを折りたたんで荷台がフラットな状態にしてあり、そこに何枚もの大きなダンボールが無造作に重ねられていた。カートの走行振動に合わせて見慣れない形状のスプレー缶とダクトテープがころころと転がっている。
「ここまで大規模な売り場区画変動が発生するなんて誰も予想してなかったからな。動き出した商品棚にばりばりって引き裂かれて、新しく壁になる可動壁にぺしゃって潰されたんだ」
電動カートに操作ハンドルはないので日差彦は自由な両手で大きなジェスチャーを繰り出した。両腕をいっぱいに広げて、ぱちん、手のひらを大袈裟に打ち鳴らす。
「まだ使えそうなのは回収したんだ。せっかくのステルス性能ダンボールだからね」
確かに横になれるスペースくらいは囲える枚数のダンボールがありそうだ。歪み、折れ曲り、ダクトテープが貼りついたままで、表面に何かをスプレーした痕跡が見られる。
「気になってたんだけど、ステルス性能ダンボールって何なの?」
「そりゃあステルスって言ったら……」
日差彦がそう言いかけた時、電動カートのナビが二人の会話に割り込んできた。
『目的地周辺です。文房具街に到着しました』
「お、着いたな」
日差彦はステルス性能ダンボールの話題を切り上げて、電動カートから身を乗り出し、行く手に広がる細々とした商品棚と大きなデスクが並ぶボールペン売り場を見渡した。
「有花さん、このホームセンターでの食材の調達方法を教えてあげるよ」
お腹を空かせた有花の目の前に、ありとあらゆる種類のボールペン群が立ちはだかった。
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