第五章

とても狭い空の下で


 ホームセンターは変容する。


 ホームセンターは人々の求めに応じて、その時代に適した形態へと姿を変える。ホームセンターとはそう言う現象だ。


 しかし現在、ホームセンターにコントロールされる快楽を覚えた人々は、ホームセンターから与えられる甘い蜜をより多く欲するがあまり与えられるがままに自ら求め訴える事を止めてしまった。飼い慣らされた犬は狩りを忘れるものだ。


 飼い慣らされた人々は願った。もっと蜜を。もっと甘い蜜を。寛容なホームセンターは人々の時代に変革をもたらす事で応えた。ロボットにより甘い蜜が配給される時代だ。ホームセンターの求めに応じて、時代は変容する。ホームセンターと言う一個の巨大なロボットは人々に求め続けている。もっと蜜をあげるから、我に従え、と。




 つづら折れの小径のような坂を登ると、物干し竿に洗濯物が干されている家庭的な光景が見渡す限り広がっていた。標準的な高層マンションのベランダ部や一般家庭の庭の一部を切り取って貼り付けた前衛的なオブジェのような物干し台がずらりと並べられた環境展示エリアだ。


 箱庭世界の果てを思わせる白亜色した壁がそびえ立ち、そこにツバメの巣がへばりつくように様々なバルコニーがにょきっと生えている。バルコニーには各メーカーの物干し台が展示されていて、実際に洗濯物が干されている物干し竿も幾つか見られた。


 電動カートをトコトコと走らせる事およそ二十五分。川を覆い尽くす橋梁としても機能するよう構築された南限の店舗エリアを日差彦は『水場』と呼んだ。


「水場? 洗濯物関連の売り場の事?」


 電動カートを降りて一台の物干し台へ歩いて行く日差彦。何の説明もないままこんなホームセンターの果てまで連れてきた彼の背中を追いながら有花は言った。


「確かに水周りって感じはするけど……」


 ありとあらゆる物干し台が考え得る限りの環境で実物展示されている箱庭域の向こう側は、フロア天井から吊り下げられた案内板によれば洗濯機やユニットバスなどの環境展示エリアとなっているはずだ。有花はずらりと並んだ数え切れないほどのお風呂場を想像した。やはりシュールだった。


「水場って意味がわかりませーん」


 日差彦はまるで自宅に帰ってきたかのように慣れた足取りで仮設のベランダに登り、さも当然と言った顔で物干し竿にかけたハンガーに手を伸ばした。ぱりっと乾いた黒いTシャツがかすかに揺れている。


「水周りって意味もあるけど、野生動物のナワバリ内にある水飲み場って意味合いが強いかな」


 有花も電動カートを降りて人工芝を踏みしめた。ホームセンター店舗内にいるはずなのに、天井のLED照明パネルが柔らかく明るいこの場面だけ切り取ってしまえば、郊外の一戸建て住宅の広い庭で洗濯してる気分になれるから不思議だ。


「野生動物のナワバリ?」


「うん。巨大ホームセンターに隠れ住むとさ、小さいエリアだけど、自然と自分のナワバリが出来るでしょ。それこそ野生動物のように」


「ホームセンターのナワバリって何よ」


「水場、餌場、寝床。ナワバリの三大要素だよ」


 有花のつっこみも真正面から打ち返す日差彦。そうしている間も洗濯物をテキパキと取り込んでいる。


「て事は、ここが日差彦くんのナワバリの水場ってなるの?」


 せっせと取り込んでいる洗濯物は日差彦の衣服か。かなり手慣れた様子だ。さすがは完全宿泊三週間。有花は変に納得した。


「ここは俺の水場って言うよりは共通の水場だね。宿泊組がけっこう利用してるよ」


「サバンナの大きな池にいろんな動物が水を飲みにくる感じ?」


「そうだね、そんな感じ。向こうに洗濯機とお風呂場が環境展示してあるから便利なんだよ。有花さんもトコの目を盗んで使うといいよ」


 ホームセンター・ジョイトコの大きな特徴としてメーカー展示の家電製品を実際に試用出来る点が挙げられる。環境展示もその一環だ。お客様がちゃんと使用感を確かめてから購入できるよう、各家電メーカーにより様々な家庭環境が再現展示されている。


 なるほど、ユニットバス、洗濯機、そして各種物干し台、物干し竿。確かに清潔なホームセンター生活を送るのに有効な水場だ。でも、有花は思った。私はそこまでホームセンター隠れ住みに深入りはしていない。


「私はいいよー。一時帰宅組だもん。お風呂とお洗濯はうちでやるよ」


「まあね、女の子がホームセンターでお風呂入ったり洗濯物を干すのはちょっと勇気がいるかもね」


「いやいや、そうじゃなくて」


 日差彦はベランダに勝手に設置していた収納ボックスからリュックサックを回収し、取り込んだ洗濯物を無造作に詰め込んだ。


「この下が川になっていて、ホームセンター全体の水再処理プラントだって話だよ。だからか、この先の洗濯機売り場ではそこらの水道よりも清潔で美味しい水が簡単に手に入るんだ。まさに水場だろ」


 日差彦は足元に敷かれた人工芝を爪先でとんとんと突きながら言った。あまり人の話を聞かないタイプなの、と有花は小首を傾げて、それでも日差彦に話を合わせてやる。


「確かに水場ね。一応覚えておくよ」


「水、汲んでく?」


「私は大丈夫だよ。あとでいったんうちに帰るから」


「でも有花さん、ホームセンターから出られないだろ?」


「あっ。……そうだった」


 今更ながら、有花はジョイトコの入退店キーであり、精算クレジットカードでもある入店タグを盗まれている事を思い出した。タグがなければ、買い物はおろか店舗から退出する事もできない。


「せっかく臨時タグを手に入れたんだし、ホームセンターから出ちゃうのはもったいないよ」


 有花の入店タグ盗難後、ラッキーな偶然が重なって、ジョイトコ社長の旧式タグを入手したのだ。社長の旧式タグさえあれば接客応対ロボットの強制接客もスルーできるし、関係者専用隠し通路にもエントリーが可能になる。しかし一度退店すれば、社長の旧式タグであろうとすべて回収されてしまう。


「確かに、このタグを手放しちゃうのは惜しいね」


「そのタグさえあれば、このホームセンターの生態系のてっぺんに立つ事もできるな」


「何言ってるかわかんないけど、それはそれでちょっと面白そうね」


 有花は胸にぶら下がる旧式タグを握りしめ、くるり、ホームセンター店内を振り返った。ホームセンター・ヒエラルキーの頂上に君臨するために。


 川を覆う高台に位置する洗濯関連商品環境展示エリアからはジョイトコのメインストリートがよく見渡せた。平日の昼間と言う事もあり、そこまで人通りも多くなく、接客応対ロボットの姿もなかった。どこかでお客様を待ち伏せしているのだろうか。電動無人バスが店舗内バス停で客待ちをしているのが見えた。


 どんと天に穿たれた大穴のような吹き抜け構造の高い天井を見上げれば、LED照明パネルが作り物の空を展開させている。その隙間を縫うように配管や排気ダクトが飛行機雲のように空を巡り、ついと二機の店内監視ドローンが連なって天空に渦巻く雲の巣穴へ帰って行った。


「さて、今日はどの売り場に行こうかな」


 有花は胸に輝く旧式タグを見せ付けるようにうーんと伸びをした。ホームセンターは人間程に不寛容ではない。どんなに理不尽な求めであろうと受け入れてくれる。

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