ホームセンターの神様


 有花を乗せたウグイスは、暗闇の通路にぽつんと現れた明かりの灯った一角を通り過ぎてからようやく止まった。


 少しだけ戸惑いつつ、有花はゆっくりと振り返る。通り過ぎざまに見えた光景は、あまりに違和感のあるものだった。


 それは店だ。


 駅のホームに設置されているおばちゃんが一人立ち尽くすのが精一杯の狭い売店のような、とても小さな店だった。


 有花はウグイスの背から降りて、恐る恐る明かりを放つ店に近付いた。売店のような、露店のような、壁にぽっかりと空いた空間にすっぽりと収まるように様々な商品が置いてある。店内には二つのLED電灯が強い光を灯していて、ずっと昔からそこに在り続ける置物のように一人の老人が佇んでいた。


「やあ、これはこれは。可愛いお客様がいらっしゃった」


 白髪頭をリーゼントに決めた老人が言った。びくっと有花は立ち止まり、いつでも逃げられるようある程度の距離を置いたまま、リーゼントの老人から目線を外さずに頭を下げた。


「あ、こんにちは。あの、ここって、何ですか?」


「ここって、店だよ」


「店、ですか」


 ぐるり、有花は狭い店内に視線を巡らせた。


 まず目に飛び込んできたものは乾電池だ。見た事もないような太いものから小さくて小指みたいに細いものまで様々な乾電池が並べられていた。その隣にマグライトをはじめとするヘッドライトやLEDランタンなどの懐中電灯類が揃えられている。今時こんなの使う人がいるのか、ロウソクとライター、マッチまで置いてある。さらには携帯用ビニールカッパ、使い捨てマスクに使い捨てカイロ、雑誌類、そして驚く事に本日分の新聞まで売られていた。


「店、ですね」


「店、だろう?」


 レジカウンターと思しき作業台の前に座り、白髪リーゼントの老人はニコニコして言う。


「今日初めてのお客様だな。何か必要な物はあったかい?」


「ええっと……」


 急にそんな事言われても、と有花は口ごもる。改めて店内を見回し、何か目ぼしい物はないかと適当に雑誌を手に取る。『月刊ホームセンター』最新号だ。


 あとは、とレジ傍に目をやると、ホームセンター・ジョイトコには売っていない物が陳列されているのを見つけた。チョコレートや喉飴などの携帯菓子類に栄養ドリンク、それに保存の利くレトルト食品群だ。


「あのー、ここってジョイトコ、なんですか?」


 有花はチョコバーを一本摘み上げて、品定めするかのようにさりげなく賞味期限をチェックした。大丈夫だ。日付には全然余裕がある。


「ああ、ホームセンターだよ。出張売店のようなものだな」


「出張売店ですか」


「ああ、出張売店だ。ちょくちょく場所を変えながらやらせてもらっているよ」


「お客さん、来るんですか?」


 我ながら余計な御世話な質問だな、と有花は周囲の暗闇を見回しながら思った。こんなロボット専用通路を通る買い物客なんか存在するのだろうか。有花がこのロボット専用通路に入ってからすでに四十分以上は走っているが、その間にすれ違ったのはバッテリーを充電しに帰るトコちゃん一機のみだ。


「来る時もあるし、来ない時もあるな」


「人なんか歩いてないじゃないですか」


 有花は背後を振り返って言った。暗闇の通路にウグイスのフェイスマスクがぼうっと光っているだけで、相変わらず人の気配どころか時間が進んでいる様子さえない。


「ここがまだホームセンターになる前から、そこそこの人がここを道として使っていた。そういう人達のための店だ」


「ホームセンターになる前って、避難誘導路時代ですか?」


「もっと前だな」


 店番の老人の目にはどんな光景が映っているのか、ゆっくりと首を巡らせて、暗闇の通路を遠い日々を懐かしむような目で見つめた。


「震災直後の事だ。津波の被災地域への臨時出店として軽トラに商品を積んで、ここらで店をやっていたんだ。確かに今はここを道として使ってる人こそ少ないが、誰か一人でも、お客様がいる限りって奴だ」


「お客様、ですか」


 さっきウグイスが言っていたな、と有花は足元へ視線を落とした。もうだいぶ移動してきた。かつての津波被災地域、沿岸部まで来ているのだろうか。


「ここはな、震災当日に海に飲み込まれた場所だ。何もかも海に持って行かれてしまった。乾電池一本でも貴重品だったよ。お嬢さんは、震災の時は幾つだったんだ?」


 有花は少し困ったような眉を寄せた笑顔で首を横に振った。


「私はまだ生まれてませんでした」


「そうか。もうそんな昔の話なのか」


 白髪リーゼントを撫で付けて老人は笑った。


「いやいや、どうでもいい話だな。お嬢さん、お買い物は以上で?」


「あっ、ハイ。じゃあ、これください」


 有花はレジ脇の作業台に月刊『ホームセンター』最新号とチョコバーを二本差し出した。そしてそれからようやく大事な事を思い出す。


「あっ、私、入店タグなくしちゃって、持ってないんです。現金払い出来ます?」


「ほほう、タグもなしでどうやってここまでやって来たんだ?」


「むしろタグがないからここまでたどり着けたって言うか、いろいろあってあのトコちゃんに乗せられてここまで来ました」


 老人の驚いた風の顔に、恥ずかしげな顔で申し訳なく有花は言った。


「いろいろあったか。よし、ちょっと待ってろ」


 老人はぽんと手を打ってレジを開き、中から一枚の入店タグを引っ張り出してカードリーダーに通した。よし、と頷いて、覚束ない手付きでレジ端末のキーボードを叩く。


「これでよし。さあ、どうぞ。これを使うといい」


 そしてそのタグを有花に押し付けるように手渡した。


「臨時タグだ。店を出る時に清算するタイプの旧式タグだからな。買い過ぎに注意するんだな」


「わ、いいんですか?」


「いいも何も、そのタグがなければこっちも商売にならん。他にまだ必要なものはあるかい?」


 有花は早速臨時タグを使わせてもらう事にした。受け取ったタグを月刊『ホームセンター』の上に置く。


「商売上手ですね。じゃあ、モバイルバッテリーありますか? 私のスマホ、バッテリー切れちゃってて」


「ここにはバッテリーは置いてないが、これならどうだ?」


 白髪リーゼントの老人はごそごそと作業台の下を探り、色褪せてツヤのなくなった化粧箱を取り出した。軽く手を振るって埃を払い、まるで宝箱を前にした子供のようにうやうやしく箱を開ける。


「今の機種でも繋げられるだろ。たぶん」


 箱の中から現れた宝物は手回し式充電器だった。小さな有花の両手にもすっぽりと入る小型の直方体で、つや消し黒のボディに細かいメーターやダイアル、ボタンが幾つか並び、やたら冒険心をくすぐるレトロなデザインをしていた。


「いかにも男の子が好きそうなアイテムですね」


「手回し式発電機だけでなく、AMラジオ、LEDライト、警報サイレン、方位磁石、メジャー、プラスマイナスドライバー、六角レンチ、と災害時にもマルチな活躍をする多機能高性能充電器だ」


「箱の裏の説明書きまんま読まないでください」


「メーカー希望小売価格2,980円のところ、緊急事態って事で千円でいいぞ」


「買った」


 この際贅沢は言っていられない。余計な機能が付属し過ぎている気もするが、スマートフォンが充電できれば何でもいい。有花は出張売店の老人から充電器を受け取ると、リュックサックから充電ケーブルを引っ張り出して繋げてみた。充電器として何世代も前の古臭い機種のようだが、ちゃんとUSB端子は機能してくれた。ハンドルを引っ張り倒し、ちゃんとギアが噛んだ重い手応えを感じながらぎこぎことハンドルを回すと、スマートフォンがかすかに反応した。


「店員のおじいさん、どうもありがとう。何とかなりそう」


 液晶に充電画面が映し出され、真っ黒だったバッテリーバーの端っこが僅かに赤く光る。確かに充電されているようだ。


「いやいや、お役に立てて何より」


「私、もう行かなきゃ。いつもここでお店やってるんですか?」


「どこかで、な。ここ以外にも未だに道として利用されている通路はある」


「そうですか。じゃあ、またどこかで」


「はい、毎度ありがとう。またな」


 有花はそのままウグイスの元まで走り去った。


 そして決して振り返らずに、デニムのスカートを翻してウグイスの背に跨って、後頭部をぺしっと叩いてロボットを再び暗闇の通路へと走らせた。


 もしも振り返ってしまえば。そこにはただ明かりが灯った一角があるだけで、白髪リーゼントの老人が店番している小さな出張売店は幻のように消えてしまいそうな。そんな不確かで夢見心地な気持ちのまま、有花はウグイスの背に乗ってぼんやりと思った。ちゃんとホームセンターに戻れるのかしら。




 やがて、ウグイスを上手に乗りこなせるまでになり、暗闇の迷宮を走るのにも飽きてきた頃。有花はようやくゴールに到着した。


 ドアノブの上に二次元コードが小さくプリントされた金属製のドアの前でウグイスは止まり、有花を降ろして、フェイスマスクに笑顔のアスキーアートを浮かばせて丁寧に頭を下げる。


『お疲れ様でした。目的地周辺です』


「このドアを開ければいいの?」


 浸水対策が施されているせいか、船舶のハッチのようなドアは細身の有花にはやたら重たかった。ドアノブを両手で握り締めて、ぐいと足を踏ん張り体全体を使って重い金属扉を引き開ける。重々しいドアの向こう側から、ふわりと柔らかな光が漏れ出した。暗闇の通路に染み出すように、明かりは有花の脚の間を通って拡がっていく。


 やっとホームセンターの表舞台に帰ってこれた。有花は胸の奥に溜まっていた深い一息を吐いた。そして小さな胸をいっぱいに膨らませてホームセンターの空気を吸い込んだ。たかが空気だが、暗闇の迷宮とは一味違うと感じられた。やはりホームセンター独特の匂いは胸に心地いい。


 光とともにコーヒーの香りも漂ってくる。そこは有花にとってはもはや懐かしさすら感じられる場所だった。自動販売機コーナーだ。


 ドイツのビール祭り、オクトーバーフェストを模した野外風内装の広い自動販売機コーナーを見やれば、店舗内デモに参加していた人達がそこかしこのウッドテーブルに座っていた。思い思いの自動販売機から飲み物や軽食を買い、ゆったりとくつろいでデモの疲れを癒していた。


 と、その群衆に混じって、一人と一機がこちらに手を振っているのが見えた。日差彦とトコちゃんだ。


「やあ、おかえり」


 日差彦は有花を笑顔で迎えた。


「話は全部こいつに聞いたよ。ここまでの道のり、大変だったみたいだな」


「……やっと会えた」


 今頃になってウグイスの背に乗っていた疲れが出てきたか、有花の細い膝がかくかくと笑い出した。胸もドキドキと高鳴る。それでも日差彦の笑顔を見ていると、有花も自然と笑顔になれた。日差彦の隣に座り、そのままぐでーっとテーブルに突っ伏す。


「ああ、疲れたー」


「お疲れさん。デモは接客ロボットに誘導されてバラバラに散っちゃって、いつの間にか収束して、結局ここ自販機コーナーまで誘導されてそのまま打ち上げって流れみたいだよ」


「もう、何もかもデモ隊のせいよ。あ、私のタグは? まだ誰かが持ってる?」


 がばっと立ち上がる有花。自動販売機コーナーにたむろするデモ隊の残党達を見回す。しかし日差彦は小さく首を横に振って、有花の肩に手を置いて座らせた。


「どうやら有花さんのタグを盗った奴はここには来ていないっぽいな。別の階層に移動してサーチ圏外に消えちゃったよ」


「えー、うそー。もう、今日はダメダメじゃん」


「そんな日もあるさ。コーヒーでも飲む?」


 日差彦は自分のタグを首から外して有花に差し出した。テーブルに顎をつけるように伏せた有花はそのタグをじーっと見つめた。コーヒーを飲みたいなら自分で自販機まで買いに行け、と言う事かしら。


「いいよ。臨時タグを手に入れたの」


「何それ?」


「さあ、ホームセンターの神様にもらったの」


「誰だそれ?」


「それとも、ホームセンターの妖精さんかな」


 

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