ホームセンターの売店


 接客応対ロボットは小さく音を立てて変形して、有花をおんぶするように背中に乗せて、暗闇の迷宮を疾走した。


 短い両腕を背中側に回して肘を曲げた形で固定する。それはちょうどバイクのステップのようで、丸い掌で有花の両脚を支えた。バランスボールのように弾力のある球状脚の上でウグイスは前傾姿勢を取り、有花はウグイスの小さな背中を膝で挟み込むようにしてニーグリップし、細い肩をハンドルに見立てて両手を置く。案外乗り心地は悪くない。有花は安心してウグイスに体重を預けて思った。バランスボールのおかげで柔らかいサスペンションの効いた高級な事務椅子に膝立ちして走っているようだ。


 従業員用通路に電灯はほとんどなかった。視界はウグイスのフェイスマスクの頼りないフラッシュライトに照らされた狭い範囲のみ。そのせいか、最高速度時速12キロメートルと言うウグイスのスペックでも、暗闇の中を走行すると体感的に相当なスピードに感じられた。


 ロボット一体がぎりぎり通れるような幅の狭い通路を速度を落とさず走り抜け、かと思うと交差路を急角度で曲がり、今度はゆったりと間隔の広い階段をバランスボールで一気に駆け上がる。そして、いったいどこまでカーブしているのか不安になるくらいの緩やかな螺旋状の下り坂を滑るように走り、次はひたすらに真っ直ぐな道を、まるで一枚絵のようにまったく変化がない暗い視界のまま走り続ける。


 本当にここはホームセンターの中なのだろうか。


 ひょっとしたら、すでに自分はホームセンターの外に飛び出してどこか違う世界に再構築された延々と伸びる道をただ走っているだけなのではないか。まったく変化を見せない暗い視界は有花を思考の環状線へと陥れた。


 あるいは、そこは考えも及ばない時間の袋小路か。どれだけ走っても視界は変化を見せずに、実は静止した時の中に立ち尽くしているだけなのではないか。頬をそうっと撫で、前髪をさらりと揺らす走行風を感じなければ、有花は自分が動いているとは思えなかった。静止したホームセンターは時間の感覚を失いつつある有花をさらに不安にさせる。


 それでも、ふとした瞬間に遠くからジョイトコ・オリジナルソングがエンドレスで聞こえてきて、ここがまだホームセンター館内なのだと実感させられる。


 やがてジョイトコ・オリジナルソングの音色もかすかに耳に残響をこびりつかせて消えていき、またしんしんとした無音の暗い通路がやってくる。


 あまりに静か過ぎて、ウグイスのかすかな走行音さえもうるさく感じられるようになった頃、曲がり角を過ぎると不意に壁が途切れて消えた。完全に真っ暗な広い空間に出た。


「うわ、何ここ。すごく広いよ」


 有花の声が目の前に広がる暗闇に吸い込まれるように消えていく。今までの壁に覆われた通路とは違って吹き抜け構造になっていて天井が見えないくらい高く、壁の代わりに手摺りが設置されてあった。肌を触れる空気の質さえも変わったような気がした。暗闇の底から水の匂いが漂っている。


「あ、わかった。橋だ」


『正解ですね。この暗渠を渡る橋を越えればもうすぐゴールですね』


「ホームセンターの中を川が流れてるの?」


 有花はウグイスの背中から少しだけ身を乗り出して手摺りの向こう側、真っ黒い橋の下を覗き込んだ。


『川と呼ぶよりも海に近いですね。通常時は雨水の放水路として活用してますね。緊急災害時には津波や洪水の誘導放水路として機能しますね』


 ウグイスも有花と同様に橋の下を覗くようにフェイスマスクのライトを暗闇に向けた。それでも暗渠の底は見えず、ただただ漆黒の空間が渦巻いているだけだった。


 深過ぎる暗闇にかかるか細い橋の上をウグイスの背に乗って走る有花。あまりに暗過ぎて自分がかなり高度のある位置をアクロバティックな姿勢でロボットに乗っていると言う事も忘れてしまう。ぐいっとさらに身体を投げ出すようにしてウグイスに尋ねる。


「さっき、ホームセンター以前って言ったよね。じゃあさ、ここがホームセンターになる前はなんだったの?」


『二十年前の大震災後に建造された防潮施設ですね。大規模津波対策として浸水圏外縁地域に誘導放水路を構築しました。そして防潮のため浸水地域の盛り土ではなく、市民の避難先とするため、暗渠化された放水路の上を巨大建築物で覆ってしまいました。それが現在のジョイトコ店舗です』


「大震災後って、私まだ生まれてないよ」


『私も生まれてませんね。ホームセンターシステムが組まれたのはそれからです。大震災後は通勤通学路や潮力発電施設として利用でされていましたが、空いているスペースを有効活用しようとホームセンターが出店されて、どんどん店舗が拡大していきました』


「さっきの動く壁も、防災として?」


『可動壁は避難誘導と屋内型防潮堤を兼ねていますね。避難誘導システムを利用して、例のデモ隊をそれぞれオススメの売り場へ誘導してますね。ホームセンターのメインA.I.がちゃんと考えて誘導してますね』


 ウグイスは饒舌にホームセンターの解説をしながら橋を渡り切った。広い空間を名残惜しそうに振り返る有花を乗せたまま、再び無機質な壁に挟まれるような天井が低く狭い通路に突入する。


 暗闇をやや進んで、直角のコーナーを曲がると、少し先にぽつんと淡く光る光源が見えた。ロボット専用通路に入ってからこちら、ようやく現れた灯りはアスキーアートの顔文字だった。ウグイスとは別の接客応対ロボットが向こうから走ってくる。


 そういえばここは関係者以外立ち入り禁止のロボット専用通路だ。それを思い出した有花は少しだけ姿勢を正し、何かチェックされたりするか、と迫り来る別のロボットの顔を凝視した。


 しかしトコ達はすれ違いざまにお互いを二度見するかのようにフェイスマスクを向け合い、一度強めに光を放って、有花の心配をよそにすぐに通り過ぎて走り去っていった。


「あれ、スルーされた」


『私の背中に乗っている以上は、お客様ではなくパーツの一つとして認識されますね。入店タグもありませんし、商品を運んでいるのと同じですね』


「二度見されたし」


『アイコンタクトで情報交換、同期しました。あのトコタイプはメンテナンスセンターへバッテリーを充電しに行くみたいですね』


 ウグイスはくいっと身体を傾けながら言った。有花もウグイスに倣って体重移動して、おかげでウグイスは速度を緩める事なくスムーズに十字路を左折できた。


「充電か。そう言えばそうね。ウグイスもシフト組んで充電しに行ったり……、ちょっと待ってー!」


 また明かりだ。しかも今度のはかなりくっきりとした広範囲の光だ。片側ロボット二車線くらいに広くなった通路に、何かが光っている。


 有花はウグイスの頭をぺしぺしと叩いて大声を上げる。


「停めて! 止まって! とまれって!」


 暗闇の通路に、ぽつんと明かりを放つ一角。小さな店だ。ホームセンターの地下迷宮、その奥底に売店があった。


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