第四章

ホームセンターの迷宮


 ホームセンターの裏側は夢と希望に満ち満ちている、と有花は思っていた。


 しかし彼女が見たものは、きっちりと直線で構成された無機質で機械的な、ほとんど照明もないどんよりと暗い通路だった。


 売り場に並べられるのを今か今かと待ちわびている新発売商品が詰まった機密マークが貼られた箱とか、あまりにニッチな需要を追求し過ぎたがために売れ残って売り場から下げられてしまったマニアックな専門道具とか、来週のバーゲンの目玉商品で驚異の割引率で捌かれる予定の在庫の山とか。


 誰かに特売の秘密情報を漏らしてしまいたくなるような魅惑の商品群がお客様との出会いを待っている。ホームセンターの裏側はそんな裏方ならではの賑やかな空間になっている、と勝手に思い込んでいた。


 しかし実際はどうだ。有花はひと昔前の3Dダンジョン探索ゲームの中に迷い込んだかと錯覚していた。


 ワイヤーフレームで描かれたような飾り気のない灰色の壁が四方から有花を狭い空間に閉じ込める。申し訳程度のLED照明が十数メートルおきにポツポツと天井に据え付けられていて、そのせいで視界はとても暗くて悪い。五メートルも先は真っ暗で、かろうじて先に小さくLEDの光点が見えるだけだ。


 歩けども歩けどもどこまでも続く暗闇の通路に有花とウグイスの二人っきり。冷たく堅い壁に右手を添えて歩く有花に、識別コード0794トコG7、有花がウグイスと名付けたロボットが口を開く。顔文字の口だけど。


『で、目標地域に到着した僚機はどうします? コマンド待ち状態ですが、同地域も特設売り場避難区域に該当しますので、まもなく局地的売り場変動が発動されますね』


「こっちも非常事態だってのに、そう淡々と言われてもさ」


 ぺたんとその場に座り込んでしまう有花。想定外の事象に一気に襲われ過ぎて、次の一手がどうにも思い浮かばない。ホームセンターに隠れ住んでまだ数日だと言うのに突発的に強制イベントが発生し過ぎだ。


「現場の映像とか、テレビ電話的なのその顔に映せたりする?」


 トコの明滅するフェイスマスクを指差して有花が言った。


『私達の間ではあらゆる情報が共有されてますけど、それを外部出力する必要はありませんので、残念ながら映像、音声出力機能は付いていませんね』


 フェイスマスクに困り顔のアスキーアートを浮かべてウグイスは首を傾けた。それなら、と有花はその顔文字にピンと来た。


「文字情報は? メールみたいにパケット通信して顔文字として文字列を表示出来るでしょ?」


『それなら可能ですね。メールをした事ありませんけどね』


「うん。じゃあさ、例の消えたタグを持った人が現れたら『ゆか♡090-XXXX-XXXX』って表示してくれる?」


『電話番号ですね。ハートマークにはどんな意味があるんですか?』


「男の子はこういうのに引っかかりやすいもんよ。とにかくそのタグを持ってる人と連絡を取りたいの」


『了解しました。現場で引き続き警戒待機しておきますね』


 日差彦の隠し寝床にはステルス性能があると言っていた。入店タグの信号が感知できないのは隠し寝床そのものが電波を吸収、遮断しているからだろう。


 どんなカラクリか有花には見当もつかないが、とにかく日差彦はステルス性能に秀でた隠し寝床に引きこもって寝ているはずだ。店舗内デモ隊を目的の売り場へピンポイントで誘導するための局地的売り場変動とやらが発動されれば、その振動と騒音でさすがに目を覚まして寝床から飛び出すだろう。


 そしてハートマークが記された電話番号を見て電話をかけない男の子なんているはずがない。後は待つだけだ。よしっと有花は立ち上がった。


「しかし真っ暗よねえ。こんなんでよく従業員通路だなんて言えるね」


『そもそも人間のお客様がここを通るとは想定していませんからね』


 フェイスマスクにアスキーアートの笑顔をぼんやりと光らせてウグイスはうきうきと言った。


「じゃあ誰が通るのさ、こんな真っ暗な道」


『ホームセンター以前は単なる関係者用通路で、現在は私達ロボット用通路ですね。私達に電灯は必要ないので、ここはこの暗さがデフォルトですね』


 先を進むウグイスがくるっと有花に振り返る。ぼやっと発光しているフェイスマスクのおかげで少しだけ有花の周りが明るくなった。


「ホームセンター、以前?」


『この建造物がホームセンターとなる前の話ですね』


「で、ホームセンター後の私らはどこに向かってんの?」


『ヨシノユカ様の入店タグを回収するため、タグを持っていると思われる人物がいるデモ隊の最終誘導地点へ先回りしようとしてますね』


 ウグイスが喋る度にフェイスマスクの光度が瞬き、不安げな有花の顔を暗闇のホームセンターに浮かび上がらせる。


「先回りって、どんくらい先?」


『店舗内ならメインストリートを走る巡回バスを利用すればすぐですが、何しろこの従業員用通路はホームセンターの各モジュールを蟻の巣のように張り巡らされてますからね。歩行距離にして残り約9200メートルですね』


「マジで?」


 有花は再びがっくりと膝から崩れ落ちた。


『成人女性が9キロメートルジョギングすれば消費カロリーが約400キロカロリーってとこですね』


「400キロカロリー消費するとどんくらい痩せられるの?」


『おにぎり二個分ってとこですね』


「9キロ歩いておにぎり二個ぽっちかー。しょぼいわー」


『じゃあ、乗ります?』


 ウグイスはぴたと立ち止まり、くりっと小首を傾げる仕草をして有花に向き直った。


「……乗るって、何に?」


『私に』


「何言ってんの?」


 大きく目をぱちくりとさせて、ウグイスと同じ角度で小首を傾げる有花。丸眼鏡にウグイスのぼんやりと光るフェイスマスクが反射する。


『私は50キログラムまでなら運搬可能ですね。球状脚は全方位無限軌道で走破性能も抜群です。段差も階段もぐいぐい乗り越えて走れます。トコタイプの最高速度は時速12キロメートルとゆっくりめですが、赤い隊長機のジョイタイプなら三倍の出力で……』


 と、暗闇の中、突然有花のスカートのポケットから電子音が鳴り響いた。電話だ。有花のスマートフォンが高らかに歌っている。


「かかった!」


 獲物が餌に食い付いた。後は迅速に糸を巻き取り、収穫するだけだ。有花はしゃがみ込んだままポケットからスマートフォンを引っ張り出した。


「もしもしっ! 日差彦くんだよね?」


『ゆかって、やっぱり有花さん? 何がどうなってトコの顔に電話番号が? てゆーか、何だこれ? 何が起きてる?』


 やはり電話の声は日差彦だ。しかし日差彦側も何らかの想定外イベントが発生しているのか、その声には何やら焦りの感情が含まれていた。


「あのねっ、ちょっとまずい事になったの。助けて欲しくて、何とか連絡を取りたかったのよ」


『ちょっ、こっちも、やばい事になってる』


「入店タグをなくしちゃって、ホームセンターから出られなくなったの!」


『区画整理とかで商品棚が動きやがって、せっかく修理した俺の部屋が潰されそうでやばいって!』


「デモ隊そっち行った? デモ隊の誰かが私の入店タグを持ってるっぽいの。取り返さないと!」


『売り場隔離されるから避難誘導するって言われてもさ、そもそもホームセンター内のどこに避難するんだよ、これ』


 有花は有花で、日差彦も日差彦で、お互いに声を張り上げるだけで会話はまるで成立しなかった。スマートフォンをむなしく頬へ押し当てるだけだ。


「日差彦くん、ちょっと待って。全然何言ってるかわかんない」


『有花さんも何言ってんだよ。でもこれはまずい。このまま区画整理で商品棚が動き続けたら、あ、潰れた』


「えっ? 何が?」


『俺の家があっ……』


 不意に通話はそこで終わる。有花のスマートフォンは沈黙した。


「もしもしっ、あれ、日差彦くん?」


 バッテリー切れだ。スマートフォンの画面は真っ黒になり、どこをタップしてもホームボタンを長押ししてもまったく反応しない。バッテリー残量は完全にゼロになったようだ。


「このタイミングでバッテリー切れって、もう」


 日差彦は最後に何と言ったのか。俺の家が潰れたって。絶望の色が含まれた日差彦の声がただでさえ心細い環境に置かれている有花をさらなる不安の谷底へと突き落とす。


 ここは世界最大かつ前代未聞のホームセンターだ。いつ何時に何が起きても不思議じゃない。現に有花はホームセンター内で暗闇の迷宮をさまよっているのだ。家が潰れるなんて、きっとこのホームセンターにとっては日常茶飯事だ。


「まだ遊びにも行ってなかったのに」


 ともかく、ここを一刻も早く脱出しなければ。


『さて、ヨシノユカさん。乗りますか? それとも歩きますか?』


 スマートフォンをポケットにしまった有花を見て通話が終わったと判断し、黙っていたウグイスが有花に問いかけた。


「……目的地まで最短コースで突っ走れる?」


 有花はゆらりと立ち上がった。


『オーケイですね。やってみましょう』

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