幕間3

特設売り場避難区域


 サイクロン・ジェットストリィィィーンムッ、ンムッ、ンムッ。


 サイクロンとはインド洋に発生する勢力の強い熱帯低気圧の事です。貴社はインド洋の暴風をその手に掴み取り、完璧に制圧し、再び野に解き放つのです。大地を焦がすような強力なジェットストリームとともにすべてを溶かし、チリ一つ残さず吸い尽くします。


 新型サイクロン式自律制御業務用掃除機『インディアナ』は家庭用掃除機ロボットの約十二倍の出力を発揮する強力なサイクロンで、床に撒き散らされた液体ですらすべて吸引する大型の掃除機ロボットです。強力な吸引力に加えて、さらにジェットストリーム洗浄機能を採用してフロアクリーニングに特化したロボットに仕上がっています。


 清掃稼働領域を自分で判断する自律性の高い人工知能を搭載し、一度覚えたフロアマップはたとえロッカーや消火器など障害物の配置を変更しても即座に反応修正し、1ミリの無駄もない掃除動線を導き出します。


 全高110センチメートル、総重量75キログラムの雪だるま型のボディには自走用モーターが2基、吸引用モーターが1基搭載されており、その最高出力は2500ワット、およそ三時間の充電で吸引走行航続距離は30キロメートルを達成します。フルスペックの電動スクーターと同等レベルのパワーを持ち、球体状の六軸の脚部をフル回転させて最高速度は時速40㎞をマーク。世界最速の掃除機としてギネスブックへ申請中です。


 貴社のオフィスビルにも一台、最高速の掃除機ロボットはいかがでしょうか。インド洋の熱帯低気圧が呼び覚ます暴風のごとくに何もかも吸引します。


 新型サイクロン式自律制御業務用掃除機『インディアナ』は今夏リリース予定です。ただいまホームセンター・ジョイトコにてデモンストレーション・フロアクリーニングを行っております。各企業設備部ロボット関連備品担当者様、詳細は各階層環状線付近の接客応対ロボットにお問い合わせください。




 さすがは世界最大のホームセンターだ。


 店舗内でデモ行進が発生するなんてやはりレベルが違う、と環状線巡回バス通りを横断したデモ隊を見送った笹森悠司ささもりゆうじは、不意に背後から声をかけられた。


「カルチベーターのテーコーボーシジピンってどこさある?」


「……はい?」


 まず、悠司にはそれが日本語に聞こえなかった。どこか遠い海の向こう、まだ見ぬ外国のエキゾチックな言葉に思えた。


「んだから、シジピンだ、シジピン。テーコーボーの。カルチベーターの奴だ」


 逆から言われたところで意味不明さは変わらない。悠司の脳裏には何故か南の島の穏やかなビーチでスポーツフィッシングを楽しむ日に焼けた老人の姿が思い浮かんだ。


「太公望さんがシジミをピンってアレするんですか?」


「カルチだ、カルチ。メーカーさ取り寄せになっかなって、したっけカアチャンがジョイトコならあるはずだって言うから。どこさある? テーコーボーシジピン」


 登場人物が一人増えたところで事態は好転せず、相変わらず悠司にはまったく理解できない言葉が羅列されていく。よく日に焼けた老人は身振り手振りを交えてさらに続けた。


「カルチ本体も売ってる訳だし、交換パーツぐらいあっぺ? あんたジョイトコの店員さんだろ? どこさ売ってるかくらいわかっぺ?」


 そこだ。そう、そこだ。悠司はようやくこの老人が根本的なミスを犯している事に気付いた。


「ああ、私はジョイトコの従業員ではないんですよ」


「あんたジョイトコの店員さんじゃねえのか? んじゃあ、テーコーボーシジピンどこさ売ってるか知ってるか?」


「いや、だから、知りませんって」


 テーコーボーシジピンと言う耳慣れない異世界の品物なんて、少なくともここら辺の野外調理器具売り場付近にそれっぽい物品は心当たりがない。


 よく日に焼けた老人は悠司が羽織っていたジョイトコのロゴが入った作業着を指差して言った。


「あんたジョイトコの服を着てっぺ」


「着てますけど私はタカオカ技研の社員で、ジョイトコには新型お掃除ロボットの実地試験に来てるだけですって。ジョイトコ店内の事は接客ロボットに聞いてくださいよ」


 悠司は自分の親ほどに年の離れた老人へ丁寧に説明してやる。


「無人営業のジョイトコでは何でも接客ロボットが応対してくれますって。売り場ならどこへでも案内してくれますよ。カルテテーコーボーピンでしたっけ?」


「いんや、ロボットは信用なんねえ。やっぱり人間でねえとダメだ」


 この年代の人間によく見られるロボット・アレルギーか。悠司はわざとらしく頭を抱えて見せた。コンビニのレジ端末や自動販売機のロボット化が進む昨今、未だに人間同士でのコミュニケーションが取れる接客でなければ商売とは言えないと、頑なにロボットとの親和を拒む人間達がいる。


 つい今さっきもロボットから人間の尊厳を取り戻すなんたらと高らかに謳うホームセンター店舗内デモ隊とすれ違ったな、と悠司は周囲を見回して接客応対ロボットの姿を探した。


 やはり一機も見当たらない。もしもフリーの接客応対ロボットがいたら、この迷えるテーコーボー老人を放っておくはずがない。ここら辺にいたロボットすべてがデモ隊の包囲接客に回っているのだろう。


「ロボットだからって変に構える必要はありませんよ。トコタイプはお客様とのコミュニケーション能力に特化した優秀なロボットです。すぐにテーコーボーとやらの売り場に連れてってくれますって」


 パステルグリーンのエプロンドレスに身を包み、弾力のあるバランスボールの上で器用に玉乗りする可愛らしいロボットを毛嫌いするなんて。ロボット開発会社社員として、この老人にぜひともトコタイプのラブリー接客を受けてもらわねば、と悠司は思った。でも口には出さない。この手のお客様はとにかく融通が利かない。ロボットではなくおまえが接客しろと言い返してくるに違いない。


「私は言わば出向社員扱いでホームセンター・ジョイトコの社員ではないので、売り場に関しては何にもわからないんです。すぐに接客ロボットを呼びますから、ちょっと待っててください」


 店舗内上空を監視ドローンが順路旋回しているはず。悠司は手を挙げて、ちょうど背の高い商品棚の向こうから飛来したドローンを呼び止めた。すぐにトコタイプも柔らかそうなバランスボールを転がしてやってくるだろう。


 さて、仕事に戻るとしよう。念願の巨大ホームセンターでの新型ロボット掃除機の実地試験だ。新型サイクロン式自律制御業務用掃除機『インディアナ』5号実験機へのジョイトコ全体マップのダウンロードも完了する頃合いだ。


 ふと悠司がお掃除ロボット5号実験機に目をやると、テーコーボー老人が何やら興味津々の様子で実験機の顔にあたるインジケーターパネルに見入っていた。


「我が社の新型お掃除ロボット、気になりますか? 業務用なのでちょっと大型ですけど」


「こいつは、あれだ、畑も耕せるのか?」


「無理です」


 お掃除ロボットだと言ってんだろ、と思わず口から飛び出そうになった。


『いらっしゃいまぁせ! ご用件をお伺いしまぁす!』


 そこへタイミング良くトコタイプがやって来てくれた。しかし、接客応対ロボットは悠司が期待していたテーコーボー老人への接客行動ではなく、悠司とテーコーボー老人への避難誘導を始めた。


『と、言いたいところですが、まずは一緒に移動しましょう。ここは特設売り場避難区域に指定されました。まもなく可動壁により隔離されまぁす!』


「避難区域?」


 がこん、と大きな金属音を立てて商品棚が振動した。黒光りするダッチオーブンを飾るショーケースがジリジリと動き出して悠司とテーコーボー老人をメインストリートへと押しやる。


『さ、さ、どうぞこちらへ。家庭用耕運機の抵抗棒を支持する固定ピンをお探しでしょ? 私、その売り場に行った事ありまぁす。一緒に行きませんか?』


「お、店員のあんちゃんよりも使えるじゃねえか」


 ゆっくりとした動きで新たな道を造るショーウインドウとともに、接客応対ロボットと抵抗棒支持ピン老人はホームセンターの奥へしっぽりと消えていった。


 ホームセンターは変形を続ける。ぽつんと一人、悠司を取り残して。


 まあ、いいさ。これで自分の仕事に集中できる。と、悠司が5号実験機に振り返ると、そこにいるはずだったホワイトとスカイブルーのツートンカラー雪だるま型の機体は忽然と消えていた。代わりにダッチオーブンのショーケースが悠司をがっちりと売り場隔離している。


「ああっ、インディアナが!」


 可動壁の向こう側から吸引モーターのくぐもった駆動音が聞こえる。ショーケースが動いた事により床に溜まった埃を感知して機動清掃を始めてしまったか。


「まだ全マップダウンロード終わってないだろ!」


 それどころかホームセンターの地形も変わってしまっている。新マップもなしに、新型サイクロン式自律制御業務用掃除機『インディアナ』はどこへ行こうと言うのか。

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