手繰れタグ


 ホームセンター・ジョイトコは屋内型交通網としての一日の平均利用者数が十五万人を数える。そこへ買い物利用客数も加えると、ピーク時には小規模中核市レベルの人間が店舗内をうろついている事になる。


 その中からたった一人の人間を探し出さなければならないのだ。ヒントは、ホームセンター店内で自転車を乗り回している特異な人物だ。十五万人のうち数人しかいないだろう。


 だからって。これがどれだけ無茶なミッションか、と有花は思わず頭を抱えて手近にあった商品のディレクターズチェアに座り込んでしまった。こんなの無理だ。


 これがホームセンターに隠れ住むと言う事だ。


 楽しいホームセンター生活が始まると思いきや、小さな有花の前に立ちはだかる山はあまりにも高く、そして険しい。


 ホームセンターは買い物客には寛容だが、偽りの住人には慈悲を与えず容赦もしない。


 広大過ぎるホームセンター店舗内を無作為に探索しても意味がない。大学のキャンパス内で偶然すれ違うのとは訳が違う。桁が違う。規模が違う。そこの商品棚の角を曲がれば、食パンをくわえた日差彦とぶつかるだなんてそれこそ天文学的な確率だ。


「迷子のお知らせなんて有効かな」


 ピンポンパンポン。迷子のお知らせです。オレンジ色のパーカーにブラウンのカーゴパンツを着て自転車に乗った五歳の男の子、タガヒサヒコくん、お連れ様が探しております。キャンプ用品特設売り場、イエローの二人用テント前までお越しください。


 頭の中のホームセンターで呼び出し放送を鳴らしてみる。真っ赤な顔で自転車を飛ばしてくる日差彦が容易に想像できた。


「さすがに怒るか」


 それにしても、このテント、居心地良さそう。さすがは有名メーカー。入店タグをなくしてトコちゃんにサーチされないんだし、今夜はこのテントを仮の寝床にどうかしら。


 などと、有花は現実逃避をしつつ現実離れした空間で接客応対ロボットの姿を探した。未だ遠くに店舗内デモのシュプレヒコールが聞こえている。そこそこの数のロボット達がデモ隊を包囲しているはずだ。一機くらい掻っ攫えるか。


 ディレクターズチェアのゆったりとしたキャンバス地の背もたれに身体を預けて、有花は見えない空を見上げた。ここが本物の高原を渡る風が気持ち良いキャンプ場だったなら突き抜けた青空が視界いっぱいに広がっていただろう。しかし見えるのは高い天井に張り巡らされた配線、配管、ダクトのラインであり、滞空する一機の店内監視ドローンであった。


 有花が手招きするようにしてドローンへお客様アピールすると、いったいどこに潜んでいたのやら、速攻で一機の接客応対ロボットがバランスボールの脚部を転がして息急き切って現れた。


『いらっしゃいませー! あれ? お客様、入店タグの提示をお願いしますね』


 ああ、よかったぁ。思わず涙ぐみそうになる有花。無視せずにきちんと接客してくれたロボットへ矢継ぎ早に言葉を投げかける。


「そうそうそれよ。あのね、タグをなくしちゃったの。どこかに落としたのかも。お買い物できないし、それに、ホームセンターから出られないの。お風呂入りに帰りたいのに、帰れない」


 接客応対ロボットは幼女のフェイスマスクに投影された笑い顔のアスキーアートで泣き出しそうな有花を見つめ、まるで焦らすかのようにたっぷり三秒間沈黙した。焦らされた有花は両手の指をわきわきと蠢かせて今にもロボットに組みつこうかと言う体勢でリアクションを待つ。


『それは一大事ですね。タグの無効化を最優先で処理しましょうね』


「それそれ!」


 トコちゃんの笑顔だったフェイスマスクが真顔の絵文字に反転し、バランスボールの上で玉乗りするように前後にバランスを保ちながら有花へ小さな手を差し出した。


『タグを作成した時のクレジットカードと、お客様の身分証明書となるものを何か見せてくださいね』


「学生証、でいいかな?」


 有花がリュックサックから財布を取り出して、自分自身を安心させるようにちゃんと確かめてからクレジットカードと学生証をまとめてトコちゃんに手渡す。


『はい。……ヨシノユカ様ですね。確認しました。タグの使用停止処理も完了です』


「早っ」


 五本指のマニュピレーターでカードをフェイスマスクの前にかざすや否や、トコちゃんはさらっと言ってのけた。思わず有花もつっこんでしまう早さで手続きは終わったようだ。


『さて、ヨシノユカ様の入店タグですけど、再発行しますか? それとも探しますか?』


 そしてトコちゃんは有花が予想もしていなかった選択肢を小首を傾げながら可愛らしく突きつけてきた。


「探すって、トコちゃんが?」


『全店域にスキャンをかけます。タグが物理的に損傷していなければすぐに見つかりますね』


「全店域スキャンって、私のタグを探すためだけに?」


 ぐいとディレクターズチェアから身を乗り出してトコちゃんに詰め寄る有花。トコちゃんは有花を見上げるような仕草でくいっとあごを上げて、フェイスマスクにジョイトコの全マップを投影させた。


『そんな大層な技じゃあないですよ。私達が持っているそれぞれの情報を同期して、ヨシノユカ様に関する情報を共有してトレースすれば自ずとタグの位置情報が割り出せますね』


「私の購入履歴と移動経路を手繰る訳ね。オーケイ、やってちょうだい」


『はーい。ヨシノユカ様が最後にタグを使用した売り場を覚えてますか?』


 最後に入店タグを使った場所。昨日は何を買った? そういえば、と有花は日差彦とのささやかな夕食を思い出した。


「昨日の夜十一時過ぎ、第三階層の自動販売機コーナーでロシア製自販機に使ったのが最後のお買い物かな」


『はーい、確認しました。追跡しますね』


 トコちゃんのフェイスマスクに投影されたホームセンターマップが大きく場面転換して自動販売機コーナーが拡大された。その自動販売機コーナーの一角、小さな三角形がマークされて八桁の数字とアルファベットが記される。有花のタグの識別コードだろう。ふと、それを見て有花はぴかっと閃いた。


「この時に一緒にいた人のタグも私のみたいに表示できる?」


『はーい。個人情報保護のため情報開示は制限しますね』


 有花のマーカーの隣に日差彦のものであろうもう一つの三角形が現れた。よし。これで日差彦の行動をトレース出来る。うまくいけば日差彦の現在地も、そして日差彦の隠し寝床も見つけられるかもしれない。


 日差彦マーカーは表示後にすぐに移動を始めて、有花マーカーはテーブル上で点滅を繰り返すだけだった。


『64倍速でトレースしますね。一秒で実時間約一分ですね』


 昨夜、日差彦は有花を彼の部屋に誘っておきながら、ダクトテープを買いにさっさと立ち去ってしまった。ぽつんと残された有花もすぐにその場を離れたのだが、マップ上の有花マーカーは相変わらず停止したままだった。


「まさか、テーブルの上に置きっぱなし?」


 有花マーカーと日差彦マーカーがかなり離れて、フェイスマスクのマップ画面が二分割された。日差彦マーカーはかなりの速度で移動を続け、有花マーカーはやはりその場に在り続けていた。


 あの時、余ったお茶のペットボトルを近くにいた人に差し入れてやり、そしてすぐに隠し寝床に帰ったのだ。タグを身に付けていればずっと一箇所にマーカーが留まっているはずがない。


『動きますね』


 トコちゃんが時間を進めると、有花マーカーがようやく自動販売機コーナーを離れた。表示されている時刻は午前零時半過ぎ。その時刻なら有花はもう彼女の部屋の寝袋の中だ。


「誰かが私のタグを拾ったんだ」


 有花マーカーはフラフラと落ち着きなく動き回り、やがて動きを止めた。有花のタグを拾った人物がどこかに隠れたのか、それともタグを放棄したか。


「動かないね。これってどこ?」


『据え置き型物置売り場ですね』


 物置か、やっぱりね。物置売り場は有花も隠し寝床の候補の一つに数えていた場所だ。小型の物置ならば中に閉じこもってしまえば接客応対ロボットに見つかる事もないし、ひょっとしたらカプセルホテル並みに快適な空間になり得るかもしれない。なるほど、タグを拾った人物もジョイトコの住人なのか。


『時間を進めますね』


 次に変化が現れたのは日差彦マーカーだった。ずっと自転車関連パーツ売り場をうろうろとしていたのに、深夜二時前、移動を再開してある地点に到着すると忽然とマーカーが消えてしまった。


「何これ、消えちゃったよ」


 思わずトコちゃんのフェイスマスクをダブルタップして画面を拡大する有花。


『ドローンもロボットも、この地点で対象のタグの信号をロストしていますね。サーチしても見つかりませんね。原因は不明ですね』


 日差彦の隠し寝床はステルス性能を持っているダンボールハウスだと聞いている。接客応対ロボットや監視ドローンが発する探査レーダーを確かに吸収、遮断しているようだ。


 そこは収納家具売り場の一角、壁際に設けられた収納棚コーナー付近だ。壁に吸い込まれるようにマーカーは消失した。


「見つけた。ここが日差彦くんの部屋ね」




 そして時は進み、朝八時を回った頃、ようやく有花マーカーは物置から這い出てきて動きを見せた。


 通勤通学ラッシュで混み合っているであろう店内をあちらこちら歩き回ったかと思うと、何かに呼ばれたかのように一直線にW4中野栄駅口エントランスまで突っ走った。


 有花は思わず顔を上げた。キョロキョロと忙しなく周囲の様子を窺う。トコちゃんも有花に倣って辺りを見回した。まさにここだ。W4中野栄駅口エントランス側、キャンプ用品特設売り場。有花が座るディレクターズチェアに、有花の入店タグを拾った人物が座っていた。


 どこかですれ違った? いつ? どこで? 誰が? ドキドキと高鳴る胸に手を置いてさらに時間が進むままに見つめる。有花の入店タグはゆっくりと動き出し、メインストリートをじっくり散歩するかのようなのろのろとした速度で歩き去る。


 有花はタグが進む方へ視線を送った。その方角には何がある? メインストリートを走る巡回電気バスが走る順路だ。しかし今は電気バスも渋滞している。何故だ?


 店舗内デモ。労働ロボットに対するデモ・デモだ。


 トコちゃんが示す有花の入店タグの現在座標が確定する。店内をさりげない音量で流れるジョイトコ・オリジナルソングに掻き消されてもうシュプレヒコールも聴こえないくらい遠くに移動してしまったが、店舗内デモ隊の中に有花の入店タグはあった。


「デモ隊だ。デモ隊の人が私のタグを持ってる」


『デモ隊ですか、ちょうどいいですね』


 トコちゃんが有花と同じくデモ隊の方を見遣って言った。


「ちょうどいいって、何がよ」


『たった今、接客会議の結論が出ました。デモ隊を殲滅します。包囲殲滅作戦開始です』


 トコちゃんはあっさりと作戦行動開始を宣言した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る