第三章

デモ・デモ


「……ウフッ、甘いわっ」


 暗闇に響く甘い声。有花は、ううんっ、と唸った。そして自身の声に驚いて目を覚ます。まずい。二度寝してしまったようだ。


「ダメッ、もう」


 重たいまぶたと戦いながら寝袋の中でもじもじと身を捩り、口元のよだれを拭い、それから慌ててスマートフォンを探す。昨夜は寝袋の中でいじりながら寝たのだ。寝袋の中でアラームが鳴っていたような気もするし。寝袋のどこかに転がってるはずだ。


「ああん、最悪」


 無惨にも身体の下敷きになっていたスマホを拾い上げ、まだしゃっきりと動いてくれない覚束ない指先で画面を操作して、ぼんやりと定まらない視界で時刻を確認する。あ、眼鏡、眼鏡っと。


「……うそ」


 スマホはすでに大学では一時限目の講義も山場を迎えてる時間帯である事を教えてくれた。寝袋の中でがくっと項垂れる有花。濃過ぎる二度寝だ。


「寝心地良過ぎ」


 昨日手に入れたヨガマットを敷いて寝てみたのが仇となったか。迂闊にも完全熟睡だ。盛大にいびきをかいてしまい、誰かに聞かれでもしたら大変だ。


 枕元に置いといた丸眼鏡を手探りで拾い上げ、まだまだ重いまぶたを擦りながら眼鏡オン。さあ、起きなさい、有花。ここまで思いっきり寝過ごしてしまった以上は今日はもう自主休講にしてしまおう。いったんアパートに帰ってお風呂と着替えを済ませ、携帯食と飲料水を用意して再びジョイトコに潜入だ。そして第三階層を中心に探索するのだ。日差彦のステルス性ダンボールハウスとやらを探さなくては。


 有花の隠し寝室は天井が低いのでその中で立つ事は出来ない。あくびを一つ、そして狭い寝床で半身を起こす。有花はのそのそと寝袋から四つん這いになって這い出て、暗い空間に線を描くように光をこぼしている隙間から外界の様子をそうっと窺った。


 ここは超巨大ホームセンター、ジョイトコ第三階層のモデルルームエリア。数あるモデルルームの中でも特にバリエーションが豊富なキッズルームエリアだ。その目にも色鮮やかで賑やかな一角に、ロフトスタイルのベッド兼学習机が置かれていた。


 ロフトベットの下の空間にはデスクと収納ボックスがセットされている。スライド式の本棚を閉じればベッド下は即席の密閉空間になり、秘密基地感の溢れるいかにも中学生男子が好みそうなギミックが施された学習机セットだ。


 そこで、ロフトスタイル学習机の本棚を半分だけスライドさせて影となる部分を作り、さらにデスクとサイドの引き出し収納ボックスを少し引っ張り出してやれば、壁とデスクの間にぽっかりと秘密の空間が生まれる。人が一人こっそりと隠れるには十分な空間だ。接客応対ロボットや他のお客様の目から逃れて、有花はその隙間に隠れ住んで四日目の朝を迎えたのであった。


 それにしてもこの低反発ヨガマットはまずい。有花はスリット状の隙間から外を覗き見ながら思った。寝心地良過ぎて寝過ぎる。


「誰も、いないかな?」


 とりあえず縦に細い視界に動く物はない。さすがに平日の午前中に子供部屋のモデルルームをじっくり見ようってお客様は少ないか。お客様がいなければ当然接客ロボットもいない。だからこそ有花はここを隠れ家として選んだのだ。そうでなくっちゃ困る。


 キッズルームとして各部屋が個別にセットアップされているので、このモデルルームエリアはホームセンター特有の配線配管剥き出しの高い天井ではなく、それぞれのモデルルーム独自の天井が用意されている。そのため店内監視の巡回ドローンもこんな低空域の僻地までは飛来してこない。まさに格好の寝床だ。


 有花は寝袋の空気を抜くように丁寧にくるくると巻き、低反発のヨガマットも愛おしく撫でるようにくるくると巻き、隠れ寝床の隅に丸めて置いた。


「さて、日差彦くんの部屋をどうやって見つけようかね」


 リュックサックを掴み上げて、昨晩の夕食の残り、ロシア製軍用ビスケットと台湾無糖茶を詰め込む。


「メルアドくらい聞いておくんだったな」


 日差彦との連絡方法は何にもなかった。第三階層の収納棚売り場にステルス性ダンボールハウスを設営した、くらいしか彼に関する情報もない。ゆうべ、せっかく偶然の再会を果たしたのに、もうちょっとおしゃべりしとけばよかった。


 よいしょっと膝立ちの姿勢でリュックを背負い、スライド式本棚の隙間からもう一度慎重に外の様子を伺う。よし、異常なし。トコちゃんの姿もなし。


 さあ、いってきます、と本棚をスライドさせてホームセンターへの扉を開こうとして、そこではじめて有花は自分がパジャマ代わりのジャージ姿である事を思い出した。このまま外出するのは、いかにホームセンター内と言えど、ちょっとコンビニに行くのとは訳が違う。さすがに恥ずかしい。


「これはないわよねー」


 誰に言うでもなく有花はぶつぶつと独りごちて、暗い寝床で着替えを手探りで探した。




 ホームセンターの朝は早い。とは言ってもホームセンター・ジョイトコそのものは年中無休24時間営業であり早いも何もない。早いのはお客様の方だ。


 営業延べ床面積が15平方キロメートルに及ぶ広大な店内は周辺市民にとって格好の通勤通学路となる。


 天候、季節を問わずに快適に過ごせる空調の効いた店内。JR、市営地下鉄の駅が店舗内に設営されていて、自宅最寄り駅から屋外に出る事なく目的地まで到達できる利便性。店舗内巡回電気バスや四人乗り電動カートなどの確立されたジョイトコ独自の旅客運輸システム。店内監視ドローンや接客応対ロボットが常に側にいる子供一人でも出歩ける治安の良さ。「仕事帰りにプラごみ用ごみ袋と18ロールダブルのトイレットペーパー、それと140ミリ径サイドフロー型CPU冷却ファンを買ってきて」と言う急なお使いにも応えられる豊富な商品ラインナップ。もはや巨大ホームセンターは市民にとってなくてはならない道となっていた。


 市民生活の一部と化した巨大ホームセンターを活用した大規模通勤通学と言う当たり前の光景。それは地下鉄始発時間から始まる。ジョイトコに隠れ住んで四日目の有花も経験した朝の通勤ラッシュアンドお買い物だ。


 しかしこの日のジョイトコは少し違った。


 二度寝による寝坊のため通勤通学ラッシュの時間帯から外れてはいたが、ホームセンターはざわめいていた。


「人間のぉー、仕事を奪うのはぁー、やめろぉー」


「やめろぉー」


 微妙に間延びしたシュプレヒコールが店内にこだまする。


「ロボットはぁー、人間にぃー、仕事を返せぇー」


「返せぇー」


 ぞろぞろと列を成し、手書きのプラカードを掲げ、そぞろ歩く大勢の人間達。エントランスへ向かう有花の行く手をデモが遮った。


 店舗内デモが発生していた。

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