自販機コーナーの捕まえ手


 ホームセンター・ジョイトコの第三階層環状線を電気バスで巡ると、外回り線の北端折り返し地点に開けた場所が見えてくる。店内でも数少ない休憩エリアであり、貴重な給水ポイントでもある自動販売機コーナーだ。


 ドイツのビール祭り、オクトーバーフェストを彷彿とさせる野外風の内装となっており、木製のテーブルとベンチがずらり、数えるのが嫌になるくらい並んでいる。そしてそれらを包囲するかのように世界中の自動販売機が果てしなく設置、陳列されていた。これらの自動販売機群は入店タグを使わなくても実際にコインを投入して商品を買えて、また自動販売機そのものの購入も可能だ。


 日差彦は昭和のテイストを感じさせるノスタルジックな商品イラストが大きく張り付いたうどん自動販売機から天ぷらうどんを選んだ。金額ちょうどの硬貨を投入し、調理開始ボタンをぐいと押し込む。機械の中からこぽこぽとお湯が注がれる音がかすかに聞こえ、ふわりと、即席感のある出汁の良い香りが漂ってくる。


 有花は悩みに悩んだ末にロシア製自動販売機を選んだ。ドリンク類だけでなく軽く食べられる物も売っていたのが決め手となった。


 それは自動販売機と呼ぶよりも無人のキオスクかと言うくらいに無駄にデカイ自動販売機で、ショーケースの中でも一際存在感を示すやたら大きくて食べ応えのありそうなビスケットのボタンを押す。ビスケットの棚がスライドしてパッケージがごとんと音を立てて落っこちた。この乱暴さ加減もいかにもロシアっぽくていい感じだ。ロシア語は読めないが、たぶん乾パンみたいなビスケットだろう、と飛び出て来た箱を振ってみる。それはずしりと重かった。もともと食の細い有花なら一週間くらい食いつなげそうだ。


「吉野さんってけっこうチャレンジャーだね。ロシア製ビスケットなんて買ってる人初めて見た」


「そう? どうせ食べるなら食べた事ない物を食べたいの。多賀くんのうどんも美味しそうね」


「昔の高速道路のサービスエリアとかに置かれていた自販機だってさ。意外に本格的な天ぷらうどんだ」


「こっちも本格的な軍用みたいなビスケットだけど、水分なしで食べられるかな?」


「ロシア製だもんな。手強そうだ。出汁飲む?」


 二人がウッドテーブルにつくのを見計らったかのタイミングで、休憩エリア仕様のドイツ民族衣装を身に纏った接客応対ロボットがやってきた。


『いらっしゃいませ。よかったら、ジョイトコ今週のイベントオススメ商品の説明を聞いてもらえませんか?』


 早速捕まってしまったか。ちらっと顔を見合わせて日差彦と有花は小さく笑い合う。休憩エリアはお客様がテーブルから動かないので、ロボット達にとっては格好の狩り場となる。


 日差彦がポケットから小銭入れを取り出して、ドイツ風トコちゃんに硬貨を手渡して言った。


「説明よりもお使いを頼むよ。自販機で台湾の無糖のお茶ペットボトルを二本買って来てもらえるかな?」


『はい、喜んで!』


 フェイスマスクににっこり笑顔を浮かばせてバランスボールを弾ませるようにして走り去るドイツ風トコちゃん。その健気な後ろ姿を愛おしそうに見送って有花が言う。


「台湾のお茶なんてあるの?」


「ここはジョイトコだ。ない訳がない。それにロボットにお使いを頼めばその間はマークを外されて他のロボットも寄って来ないよ」


「なるほど。多賀くんってトコちゃんの扱いが上手だね」


「まあ、ジョイトコ歴、長いつもりだし」


 ぱきん、割り箸を割って申し訳程度のかき揚げを出汁つゆに沈めながら日差彦は答えた。白くてぺらぺらと薄いプラスチックのどんぶりを両手で包み込むようにして口へ運び、澄んだ出汁つゆを一口すする。


「手が熱っ」


 出汁つゆを含んだ口の中よりもぺらぺらの器を持つ手の方がじんわりと熱かった。


「自販機じゃ器にお金かけられないもんね」


 リスが大きな木の実を齧って割るように、有花は鼻を近付けて匂いを嗅ぎながら、頑丈なビスケットのパッケージ箱を破り開けて個包装の一枚を取り上げた。有花の思った通り、大きくて分厚くてやたら食べ出がありそうだ。


「そういえば今日は自転車での登場じゃなかったね」


 はい、ともう一枚の巨大ビスケットを日差彦に差し出して有花は言った。


「さすがに毎回ミニベロに乗ってる訳じゃないよ。次に使う時が来るまで隠してる。店内のどこかに」


 ありがと、と巨大ビスケットを受け取って、その物体をしげしげと観察しながら日差彦は思った。カツオ出汁とロシア製ビスケットって合うんだろうか。合うと言えば、さっき有花が買った鯖照り焼き缶もロシア製ビスケットとの相性は未知の領域だ。


「このビスケット、吉野さんがさっき買ってた鯖缶と合うかな?」


 日差彦の何気ない一言にびくんと華奢な身体を震わせる有花。丸眼鏡の奥で視線をおろおろと泳がせて、動揺の向こう側に消え去りそうなか細い声で呟く。


「何で、知ってるの?」


「はて、何が?」


「私が鯖缶買った事、何で知ってるのって聞いてるの」

 

 一転、ぐいとウッドテーブルに身を乗り出して日差彦に詰問する有花。丸眼鏡の奥で短い眉毛をきゅっと寄せて睨む。しかしまあ、猫の目のようにころころとよく変わる表情だ。日差彦は思わず彼女の怒り顏に見惚れてしまった。


「何見てんの?」


「いや、面白いなーって思って」


「面白くないっ」


「ヨガのマットとかお掃除シートって何に使うんだろね」


「うっ」


 日差彦のさらなる追撃に有花は小さな顔を歪めてウッドテーブルに突っ伏してしまった。両手で顔を覆って椅子の上で脚をじたばたとさせる。


「ひょっとして、後をつけてた?」


「どうだろ?」


「何なの、これ。偶然の出会いとかじゃなかったの? むしろ仕組まれた再会? 甘くて苦い罠?」


「何ぶつぶつ言ってんだよ」


 日差彦の向かいで小さな身体をさらに縮こませてもじもじと居心地悪そうに座る有花に、日差彦はズバリ確信を突いてみた。


「なあ、吉野さん。君って、ジョイトコに隠れ住んでるだろ?」


「えっ」


 がばっと髪が逆立つ勢いで起き上がり、ニヤつく日差彦を見つめる有花。驚きに固まった顔がトマトが熟すように見る見る真っ赤に染まっていく。


「なっ、なんの事よ? わかんない。私わかんないっ」


 有花はふるふると丸眼鏡が吹き飛びそうになるまで首を横に振るった。そんな荒ぶった有花をぴたりと鎮める一言を日差彦が静かに言い放つ。


「三日前に土を買いに来た時と着てるシャツがおんなじだよ」


 はっとして有花は自分の胸元に目をやった。


「下はちゃんと着替えてます!」


「下は、ね」


「あっ……」


「ジョイトコチャレンジって知ってる? 接客応対ロボットや斥候監視ドローンに見つからず何日間ジョイトコに隠れて住めるかってバカバカしいゲームだ」


 有花は乱れた前髪を指でねじりながら、真っ赤にさせた顔でちらっと日差彦を盗み見てとっておきの秘密を告白するようなか弱い声で言った。


「……私は、寝泊まりして、まだ三日目」


 ああんっ、と有花は小さな手で顔を覆った。細い身体をくねらせてロシア製ビスケットごとウッドテーブルに突っ伏す。そしてちらっと日差彦のリアクションを伺うように指の間から丸眼鏡を覗かせた。


「三日目って、じゃああれからずっとジョイトコにいたんだ」


「うう、はい」


 日差彦は恥ずかしがる有花を見もせずに、湯気を立てる即席天ぷらうどんをつるりと啜った。


 世界最大のホームセンターにて、夜の十時過ぎに一人で鯖缶を買いに来るミステリアスな女子大生なんている訳がない。日差彦の想像通り、有花は特売培養土争奪戦からずっとジョイトコに隠れ住んでいたのだ。


「ファーストジョイトコからいきなりジョイトコチャレンジだなんて、吉野さん攻め過ぎだよ」


 日差彦がうどんの出汁つゆをずずっ。有花はロシア製ビスケットをざくっ。


「でもでも、私は大学の帰りにいったんうちに帰ってお風呂と着替えを済ませてジョイトコに隠れるから完全宿泊組じゃないのよ」


 完全宿泊組か一時帰宅組か、特に違いはないと思うぞ。日差彦はそんな心の声をぐっと飲み込んだ。まだまだジョイトコの夜は長い。有花のジョイトコビギナーらしい初々しいリアクションをもう少し楽しむとしよう。


「どこで寝てるの? やっぱり寝具街? ベッドの下?」


「うー、モデルルームあるじゃない? そこの子供部屋コーナーの一部屋」


 確かに、ここ第三階層には実際の間取りに家具を配置してコンセプトごとにまとめたモデルルームエリアがあった。一部屋まるまる家具が揃っていて隠れ住みやすい環境と言えるが、それだけ人通りも多く接客応対ロボットも頻繁にお客様がいるかチェックしに来るはずだ。


「二段ベッドみたいにデスクとベッドが一体化してる学習机あるでしょ? あのデスクをちょっとずらすと、ベッド下にちょうどいい空間があるの。まさに子供の秘密基地みたいな」


「なるほど。悪くない寝床だな」


「平日の夜に子供部屋のモデルルーム見に来る人もいないし」


 面白い着眼点だ。隠れ家としての選択基準もちゃんと理屈が通っている。日差彦は照れまくる有花にますます興味が湧いた。初めてのジョイトコで早速自分の寝床を作ってしまうなんて。もっと彼女の話を聞いてみたい。


「面白いな。吉野さんの事をもっと知りたくなった。ねえ、今から俺の部屋に来ない?」


「ええっ」


 そんな、いきなりっ、と有花は驚いてまたも裏返った声を上げてしまった。男の人に部屋に誘われるなんて初めての事だ。しかもこんな夜更けに。彼女の小さな心臓がドキリと跳ねた。


「俺の部屋は収納棚エリアに作ったんだ。ロボット達の二次元化視覚を誤魔化して、ドローンの立体視高度センサーを撹乱できる店舗設備と一体型のステルス性ダンボールハウスだ」


「えっ。じゃあ、多賀くんも?」


「うん。俺は完全宿泊組、三週間目だ」


 完全宿泊三週間目。ジョイトコチャレンジの先輩なんてものじゃない。師匠レベルだ。それに店舗設備一体型ステルス性ダンボールハウスとは一体どんなものなのか。すごく気になる。


「えーと、部屋は広いの?」


「うん。二人問題なく入れるよ」


 軽い返事でずるるっとうどんを啜り込む日差彦。有花はロシア製ビスケットをさくさくと小さく齧り取り、ちらっと日差彦の顔を覗き見る。


 初めて訪れた男の人の部屋はステルス性ダンボールハウスでした。それはそれで面白いかも。


「い、行っちゃおう、かな」


 と、有花が言いかけた時、日差彦はああっと声を上げて慌ててうどんを掻き込みだした。


「ダクトテープ! 忘れてた。俺の部屋の壁、破けちゃってステルス性能が一部失われてるんだよ。早くダクトテープで修理しないとなんないんだ」


「ダクト、テープ?」


 見る見る間に即席の天ぷらうどんを平らげて、日差彦は席を立ってぺらぺらの器に残った出汁つゆをきゅうっと飲み干した。


「ごめんね、吉野さん。明日、俺の部屋が直ったらまた招待するよ」


 そのままきょとんとした有花を残して速攻で日差彦は走り去ってしまった。まさに揺れる女心の前を吹き抜けた一陣の風のように。


「これは、運命の出逢いじゃなさそうね」


 ぽつり、残された有花が呟く。


 そこへ先程お使いを頼んだトコちゃんがのこのこと帰ってくる。ペットボトル二本を抱きかかえて嬉しそうな表情をフェイスマスクに浮かべて。


『台湾の無糖のお茶、お待たせしました』


「二本もいらないっ! 一本あげる」


『いいえ、必要ありません』


「私も必要ないの!」




 今、暇を持て余した若者達の間で、世界最大のホームセンターに何日間隠れ住む事が出来るか。ジョイトコチャレンジが静かなブームとなっていた。

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