鯖照焼き缶
巣穴から顔を出したプレーリードッグのように忙しなく周囲を見回す有花。近くに接客応対ロボットの姿があるか確認しているのだろう。やがて見える範囲にトコちゃんはいないと判断したのか、手近な商品棚の拭き取りシートの取り替え用パックを一袋ひっつかんで、上空のドローンが通り過ぎた隙をついてメインストリートに飛び出て環状線巡回バスのバス停まで走って行った。
夜十時過ぎの閑散とした店内だ。迂闊にも他に乗客のいない電気バスに乗り込めば、さすがの有花も日差彦の尾行にたちどころに気付くだろう。日差彦は有花を乗せた電気バスが静かに走り出すのを商品棚の影から見送り、すぐに後から走ってきた無人の自動走行カートを捕まえた。
『いらっしゃいませ。どちらまで行きますか?』
カートのナビゲーターが合成音声でお出迎え。日差彦は口許に人差し指を持っていって返した。
「いいから黙って前のバスについていって」
『わかりました』
「黙ってって言ったろ」
日差彦の指示を理解したカートは黙ってするすると走り出し、バスの後方にぴたりくっつくと人が歩くようなゆっくりとした速度に合わせてその後を追った。
多種多様な商品が理路整然と碁盤の目のように陳列され、在庫のダンボール箱があたかも市街地の建築物のように山積みにされた区画の日用雑貨街を抜け、電気バスはやたら明るい照明器具街に差し掛かった。
広大な店内でもここだけ降り注ぐ光量ががらりと変わった。このエリアはまさに夏だ。小学生時代の夏休みの午後みたいに頭上から真っ直ぐに光が差し込んできて足元に濃い影を作り出す。商品棚の隙間にプランターが置いてあり、濃い緑色の葉っぱが生い茂っていていかにも夏だと演出が効いている。
南の島の強い陽射しを思わせるジリジリと照り付ける室内灯の展示コーナーを越えて、LED電球がたわわに実ったブドウのように吊り棚からぶら下げられている光景を自動運転のカートから眺める。また世界が変わった。ここは柔らかな日差しの丘陵地帯の朝だ。まるでフランスのワイン名産地のブドウ畑をドライブしているようだ。
この照明器具街だけ見てもとんでもない電力消費量だ。その膨大な電力をまかなうためにこのホームセンター専用の発電所も稼働していると言う話だ。そしてそこで発電された電気も、やはり格安電気としてパッケージ販売されていた。
日差彦は自動運転カートのナビゲーター画面をタッチし、有花を乗せた電気バスの行き先を調べてみた。
「眼鏡ちゃんはどこへ行くんですかー?」
第二階層の複雑な全体マップが表示され、するすると現在地点へと拡大していく。画面内に別ウインドウでグーグルストリートビューが現れた。このまま照明器具街を越えて行けば、バスはゆったりとしたカーブを曲がってやたら入り組んだ健康器具街にたどり着く。
そして、健康器具街に差し掛かってすぐに電気バスのブレーキランプが灯った。ぶら下がり健康器具売り場前停留所で有花はバスを降りるようだ。
しかしながら、バス停には一体の接客応対ロボットが待機状態で待ち伏せていた。バスの中の有花にすでにロックオンしているはずだ。
日差彦は停車したバスを追い越して少し先までカートを走らせた。有花から見えない位置まで、ぶら下がり健康器のダンボール箱で作られた路地裏に滑り込ませる。
ぶら下がり健康器なんておばあちゃんのうちで見かけた事があると言うレベルのレア度の高い商品だ。もはや誰にもぶら下がってもらえず、玄関先で冬物のコートなんかがぶら下がっている程度の健康器具だ。まさか有花はぶら下がるのか。ぶら下がらないのか。どちらにしろ、有花を追うならもう少し近寄る必要がある。
「すぐ戻るから待っててくれよ」
ナビゲーターのタッチパネルにぽんと触れて、日差彦はカートを降りて商品棚の影に身を潜めた。日差彦が見守る中、無人のバスは静かに走り出し、ぽつんと一人取り残された有花にトコちゃんがニコニコ顔をフェイスマスクに投影して転がり寄る。捕捉完了、接客開始だ。
さて、お手並み拝見。と、思った日差彦の期待に反して、有花はトコちゃんを笑顔で迎え入れた。ポニーテールの形状をしたヘッドセットをまるでよく懐いた野良猫にしてやるように撫でてやり、何やら親しげに話しかけて、手を繋いで一緒に歩き出した。
人とロボットが仲良く手を取り合って歩くだなんて、ジョイトコで、いや、日常においても初めて見る光景だ。有花はトコちゃんと何を話したのか。
その後、有花はトコちゃんを連れ添って厚みのあるヨガマットを一枚購入した。
世界中の商品と言う商品すべてを在庫していると謳うジョイトコにも置いていない品物があった。それは生鮮食品だ。
さすがの最新鋭商品管理ロボットでも食品の鮮度を外観から判断する機能は未だ実装されていない。そのためジョイトコでは食糧品は消費期限の長い缶詰や保存が効くレトルト類しか扱っていなかった。
しかしたかが缶詰、されど缶詰。缶詰だけでもアメリカンフットボールの試合ができそうなぐらいの売り場面積を誇り、アレルゲンフリーのベビーフードから取扱厳重注意のシュールストレミングまで何でも売っていた。
トコちゃんに見送られて第三階層に上がり、はるばる缶詰通りまでやって来た有花。通る者を拒絶する壁のようにそそり立つ商品棚から幾つか不慣れな手付きで数多の缶詰を見比べて、ようやくこれだと言う一缶と巡り会えたようでにっこり笑顔で一個の缶詰をデイパックへ投げ込んだ。
有花が缶詰の棚から鼻歌交じりで離れたのを確認すると、日差彦はその空いた棚を覗き見てみた。鯖照焼き缶だ。傾斜のついた棚を新しい缶詰がスライドしてきて空いた一缶分をすぐに埋めて、また完璧な缶詰の壁が形成される。
先の特売培養土争奪戦でも目立たない立ち位置にいた地味な格好をした女子大生が、こんな遅い時間に世界最大のホームセンターに鯖照焼き缶を買いに来る。他に何を買ったか。お掃除拭き取りシートと一畳分のヨガマットだ。これがどれだけ非日常な出来事か日差彦には十分に理解できた。
これは決まりだ。
日差彦は死活問題のダクトテープ購入よりも、有花の奇妙な行動の方が俄然面白いと判断した。ここは是非ともコンタクトを取り、彼女の話を聞かなくては。
日差彦は缶詰通りで電動カートを探す有花の後を追いかけ、その細い肩をとんとんと柔らかく叩いて呼び止めた。
「やあ、吉野さん。こんばんは。こんな時間にお買い物?」
「ひゃあっ、えっ、あっ?」
甲高いとんきょうな声を上げて振り返った有花は、細い身体を放り投げるようなステップで飛び跳ねて一気に日差彦との間合いを取った。ずり落ちた丸眼鏡をくいっと直して、そこで始めて背後に立つ人間が三日前の特売培養土争奪戦にて出会った日差彦だと気付いた。
「えーっと、多賀くん?」
「驚き過ぎだぞ」
「たっ、多賀くんが何でこんなとこに?」
まるで格闘技の試合開始前のように小さな胸の前に腕を突き出して身構える有花。まだ声が裏返っていた。
「何でって、買い物中だよ」
パーカーのポケットに手を突っ込んで答える日差彦。何でって、ホームセンターにいる理由が買い物以外にあるか。いや、あるか。
「トコちゃんには気を付けていたけど、人間はノーマークだったわ。まさかここで顔見知りと出会うなんて、私ってば油断し過ぎ」
「ああ、それわかるよ。ロボットのマークを外すのは意外と簡単だよね。人間はまた違うけど」
呆れたように、そして面白がっているように言う日差彦の表情を見つめてると、有花は不思議と悪い気はしなかった。日差彦はこのホームセンター独特の状況を楽しんでいるように思える。有花に安心感を与えてくれる笑顔だ。
と、じいっと日差彦の笑顔を見つめてる場合ではない。照れてしまう。それに有花は周囲の状況が気になった。あまり長く一箇所に留まっていると高い天井付近を飛び交うドローンに捕捉されてトコちゃん達にあっという間に包囲されてしまう。
日差彦は変わらず楽し気な笑顔で言った。
「ロボットが集まって来る前にどこか座れるとこに移動しよう」
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