第二章

ダクトテープと丸眼鏡


 ダクトテープがなくなった。


 多賀日差彦たがひさひこの現在の生活においてあらゆるシーンで活躍するそれは、すでに彼の日常になくてはならない必需品としてその地位を不動の物としていた。


 しかし、ある夜。日差彦はついうっかり彼の部屋の壁に大きなダメージを与えてしまい、その傷を応急処置しようとダクトテープを引っ張り出したが、それはすっかり使い尽くしたただのボール紙の芯だった。


 ダクトテープ。セロハンテープ、ガムテープ、両面テープ、養生テープ、数ある粘着テープ類の中でもやはりアメリカ製ダクトテープが粘着力、強度、撥水性において群を抜いて使い勝手が良く、日差彦がフルでお世話になっていた粘着テープである。


 さらにダクトテープの中でもジョンソンアンドジョンソン社の製品がカラーバリエーションも豊富で日差彦のお気に入りだった。


 そのダクトテープが切れてしまったのだ。このままでは直ちに死活問題に発展してしまう。


 ジョンソンアンドジョンソン社のダクトテープ。どこで手に入る? ジョンソンアンドジョンソン社製品に限ればそんじょそこらのコンビニなんかでは取り扱っていない。


 そう。そんな時こそ世界最大のホームセンター・ジョイトコだ。


 ジョイトコに行けば欲しい物は何でも必ず手に入る。欲しい物がなくてもジョイトコに行けば必ず何かが欲しくなる。


 そんな訳で、日差彦はジョイトコ第二階層環状線巡回電気バスに乗り込み、日用雑貨街を目指して、ダクトテープを探し求める旅に出たのであった。




 ここはホームセンター・ジョイトコ。世界最大のホームセンターである。探し物が必ず見つかる店だが、探し物がどこにあるのか探さなければならない店でもある。


『次は、日用雑貨街、日用雑貨街。粘着シート式カーペットクリーナー替え芯エリア前です。粘着系商品をお探しならこちらが便利です』


 日差彦が降車ボタンを押すと、電気バスは緩やかな慣性を感じさせてかすかなタイヤ音を立てて停車した。


 年中無休24時間営業の巨大ホームセンターとは言え、平日の夜の十時も過ぎればさすがに買い物客の姿も疎らになる。閑散としただだっ広い店内を接客応対ロボットがころころとバランスボールに乗ってお客様を求めてさまよっていた。


 そのせいで、日差彦は無人運転の電気バスを降りた途端に、暇を持て余してバス停で待ち伏せしていたトコちゃんにあっさり捕まってしまった。


『いらっしゃいませ、こんばんは。お客様は何をお探しですか? 商品探しをお手伝いします。一緒にレッツショッピング』


 弾力のあるバランスボールに座る少女のようなデザインのトコちゃんは小首を傾げる仕草で言った。トコちゃんは全高120センチメートルの大きさで、そのせいか本当に小さな子に上目遣いで見つめられている錯覚に陥ってしまう。一体一体それぞれ髪型や髪色、ボディカラーのパターンも変えてあり個体差を持たせているのも接客戦略の一つだ。


「ありがとう。でも俺の欲しい物の売り場を知ってるから一人で大丈夫だよ。すぐそこだし」


『そうですかー。残念です。では御用がありましたらお声がけください』


 それだけ言い残してバランスボール少女ロボットは次の獲物、お客様を求めて器用に玉を転がして走り去った。


 日差彦はトコちゃんの背中を見送ると、天井を仰ぎ見るように大きく伸びをした。店舗内環状線は言うなれば買い物客の動線のメインストリームとなる。そのため通りは第一階層から第三階層までぶち抜いた吹抜け構造となっていて、何体ものドローンがかすかなハム音を響かせて宙空を飛び交っていた。


 この日用雑貨街に来るのももう慣れたものだ。飛び交う店内監視ドローンの飛行パターンさえ覚えてしまうほどだ。


 目的のダクトテープは100メートル続くコロコロ粘着シート替え芯エリアを抜けて、交差点を左に曲がって、さらに拭き取りクリーナー取替え用シートエリアをさらに100メートル歩いた辺りだ。


 古今東西、大型、小型、絨毯用、畳用、家庭用、業務用、携帯用、お徳用、雑多に入り乱れたコロコロ粘着シート替え芯を眺めながら交差点まで歩き、日差彦は商品陳列棚の壁からそうっと顔を覗かせた。よし、目の届く範囲にトコちゃんの姿はなし。また捕まったら追い払うのがめんどくさい。


 吹抜けを見上げればドローンがふよふよと浮いている。在庫管理ドローンと店内監視ドローンとを見極めなければ巨大ホームセンターでは生きていけない。監視ドローンにサーチされたらあっという間に接客応対ロボットに包囲されてしまう。


 今、頭上を浮遊しているのは店内監視ドローンだ。店内に存在するお客様の動きを上空から読み取る、いわば接客応対ロボット達の目の役割を持っていた。


 よし。あのドローンが通り過ぎれば吹き抜けはクリアだ。いざ、日差彦はドローンを見送って隣の拭き取りシート取替え用エリアへ渡ろうとしたが、ふと向かい正面の商品陳列棚に隠れるようにして吹抜けを見上げている女の姿を見つけて踏みとどまった。


 同類さんか。日差彦は直感的にそう思い、ドローンから隠れる女を棚の影からこっそりと観察した。


 歳はまだ若そうだ。癖のない真っ直ぐな黒髪を肩のラインで切り揃え、明るい柄のネルシャツにデニムのロングスカートを合わせている。ちらっと伺える横顔に黒縁の丸眼鏡が見えた。はて。見覚えがある丸眼鏡だ。


 日差彦は思い出した。三日前、農家男衆達とともに限定販売培養土争奪戦に参戦した吉野有花ではないか。結局、あのまま培養土を持ち帰るまであまり会話を交わしたりとかはなかったが、控え目でおとなしい性格の眼鏡っ子で小動物みたいな可愛らしさがちょっと気になっていた女子大生だ。


 ダクトテープよりも彼女の行動に俄然興味が湧いた日差彦は、彼女をこっそりと尾行してみようと思った。


 有花は夜十時過ぎの巨大ホームセンターで何をコソコソとしているのか。

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