回避不能の経営戦術


 くるり、有花のコマンドを受けて、ジョイちゃんが玉乗りの要領でその場で回転して電動カートを呼びに行く。その背中を愛おしそうに見送った有花は、次の瞬間に従来のホームセンターにはあり得ない光景を目撃した。


 まだエントランスのすぐ側と言うだけあって、商品棚もディスプレイのショーケースもない広告スペースだけのがらんとしたホールを一台の自転車が疾走しているのだ。


 農家男衆を一生懸命に接客しているパステルグリーンのトコちゃん達の合間を縫って、タイヤの小さな自転車がぐんぐんこっちに走ってくる。このホームセンターはもはや何でもありだと思っていたが、まだまだ奥が深そうだ。


 小口径タイヤをきゅきゅっと鳴らして、クロスバイクタイプのミニベロはドリフトを決めながら砂織と有花の目の前に停まった。


「遅いぞ、多賀」


 砂織がミニベロに跨ったままの男に一喝する。


「ええっ、これでもホームセンター最速ですよ!」


 多賀日差彦はドロップハンドルにもたれかかって息を切らせながら吐き捨てるように言った。


「監視ドローンをぶっちぎってやりました。あいつら時速28キロまでしか飛べないようです」


 ぐっと親指を立てて笑顔を見せる日差彦。


「それでも遅いものは遅い。見な。こちらはほぼ全滅だ」


 砂織が細いあごでくいっと日差彦の背後を指す。ミニベロに跨ったまま振り返った日差彦は、淡い緑色の少女の形をしたロボット達とうきうきと楽しそうに笑顔で会話しているいかつい農家男衆、と言う微笑ましい光景を見た。


「あいつら可愛いもんなー。おっさん達は特に免疫なさそうだし」


 カワイイは最大の武器である。接客応対ロボット、トコちゃんはそれを十分に理解して実行していた。トコちゃんにはそれぞれ髪型やエプロンドレスに細かいデザインの違いがあった。喋り方に一体ずつ個性を持たせているのも、お客様に対して量産機ではない自分だけに見せる特別な性格を演出する事で、接客と言うコミュニケーションをより円滑に進める経営戦術だ。


「W8インターチェンジ口に陣取ってた奴らが他県からのお客さんみたいで、かなり気合い入った妨害工作仕掛けて来ましたよ。接客ロボットをW6、7に集中させるよう情報操作したり、かなりヤバイです」


「待ち伏せを食らった訳か。見事に嵌ったもんだ」


 一人、また一人とトコちゃんと一緒に店内奥深くへ消えて行く農家男衆。オススメ商品お買い上げありがとうございますも時間の問題だ。


「それはそうと新発見がありました。自転車で店内を走ってると、接客ロボットをスルー出来るんです。まるで空気みたいにロボットに無視された」


「あ、それは」


 日差彦と砂織の会話を黙って聞いていた有花が思わず口を挟む。


「あの子達の認識機能の想定外だからだと思います」


 えっ、急に、誰? と日差彦が有花を見る。華奢な身体付きで、黒縁の丸眼鏡がよく似合う丸い顔をしている。どこかで見た顔、丸眼鏡だ。


「お客さんは歩いているって想定しているから、車輪のついた物に乗って高速移動している物体って事で同種のロボットだとあの子達は認識してるんですよ」


「さすがはロボットオタク」


「だから、マニアです」


 やはりそこはびしっと訂正する有花。日差彦の珍しい小動物を見るような視線に気付いて、てへへと照れ笑い。


「この子は吉野。ジョイトコ友の会新メンバーだ」


「どうも、吉野有花です」


「こっちは多賀。大学の同期だから顔くらいは見た事あるだろ?」


「多賀日差彦です。キャンパスで見た事、あるかな?」


 有花と日差彦の間に入って二人を紹介する砂織。ふと、日差彦が跨っているミニベロに目をやる。


「それより、多賀。その自転車どうしたんだ? どうやって店内に持ち込んだ?」


 有花はついさっき通ったエントランスの小部屋を思い出した。確かにあの部屋がある限り、店内に不審物やホームセンターに相応しくない物は持ち込めそうのない。ましてや自転車なんて大きな物、持ち込みは到底無理だ。


「これ? 持ち込みじゃなくて、店内で売ってる自転車パーツを集めて一から組んだんですよ。まだ店外に持ち出してないから、事実上はお買い上げ商品を持ち運んでいるだけです。誰にも文句は言われません」


「おまえは一休さんか」




 ホームセンター・ジョイトコの広過ぎる店舗内には集合的コンピューティング技術により独自に発達した自動交通網が敷かれていた。


 買い物に訪れたお客様は無人運転の電気バスで店舗内の環状メインストリートを巡回し、四人乗りの自動走行電動カートで、もしくは物好きなお客様は徒歩で、お気に入りのエリアや目的の商品を置いている売り場地区まで移動するシステムとなっている。


 まるで絶海に孤立した無人島の生態系のごとくに、接客応対ロボットと店舗内監視ドローンが自己の縄張りを主張するかのように絶えず買い物客の姿を探している。


 ひとたび道に迷っているお客様を発見しようものなら、たとえお客様の姿がなくても無理矢理探し出し、やたら高い天井付近を旋回するドローンからの情報伝達で地上部隊である接客応対ロボット群体が我先にとお客様の元に馳せ参じ、個性豊かな接客トークでもてなして、息つく間もなく商品を売り付け、さらに次の商品エリアへ案内する。それがホームセンターと言う自然の摂理だ。


 ホームセンター・ジョイトコに足を踏み入れた以上、望むと望まぬと、何かを買わざるを得ないのだ。このホームセンターは用意周到な罠を仕掛けている。お客様にお買い物を楽しんでもらうために。




 ようやくトコちゃんのセールストークから抜け出せた大河原は、ゆったりと走る四人乗り電動カートの後部座席にぐったりともたれかかっていた。


 十六人いた仲間達も、トコちゃんによって皆散り散りになってしまい、今頃は特売の事など忘れて心行くまでお買い物を楽しんでいる事だろう。


 生き残った男は自分を含めて二人のみ。あとはジョイトコ友の会とか言う小娘二人と、いつの間にやら合流した自転車小僧だ。ホームセンター入店からわずか十分で、稲作で鍛えた男達が十四名も脱落したのだ。ここまで来れたのはたったの五人だけ。この惨憺たる結末を一体誰が予想出来たか。


 しかし、まだだ。まだホームセンターの罠は終わらない。


 人がジョギングする程度の速度で走る電動カートが特売品の特設コーナーへ向かって交差点を左折した時、後部座席に座っていた農家男衆の最後の一人がやおら立ち上がった。


「……けるひゃー」


「何だって? 角田さん、どうした?」


 大河原が立ち上がった角田の肩に手を置く。


「高圧洗浄機だ。まさか、実演、販売だと?」


 角田の視線の先にはドイツ製の高圧洗浄機のデモプレイのコーナーがあった。一体のトコちゃんがバランスボールを器用に操りながら高圧洗浄機を操作していた。


 ふらふらと歩き出し、走行中の電動カートから身を乗り出して今にも飛び降りそうになる角田。大河原が慌ててそれを止める。


「角田さん! あと少しで培土が特売価格で買えるんだぞ! 耐えるんだ!」


 そんな角田の肩を掴む大河原の腕を、砂織が優しく触れた。


「無駄です。大河原さん」


 角田は大河原の手を振り解き、一度だけ振り返り、大河原に小さく頭を下げて声に出さずに口だけを「すまん」と動かして電動カートから飛び降りた。


「特売品の土は主に農家さんがターゲットです。その特設コーナーまでの長い道のりには、農家さんが欲しがる商品がディスプレイされています。それもこれみよがしに実演販売付きで」


 砂織は低い声で言った。その声はすでに大河原の耳に届いてはいないかも知れない。しかし、言わずにはいられなかった。


「ホームセンターに入店した時点で、我々の敗北は決定していたんです」


 大河原の視線はあらぬ方向を向いていた。その先にあるのは、全自動田植え機の車載アクセサリーが展示されたショーケースだった。


「大河原さん。もう、行っていいんですよ」


 電動カートから飛び降りる大河原に迷いも後悔もなかった。あるのは、あれが欲しいと言うただただ純粋な欲求だけだ。


 きらきらと輝くショーケースの前にスタンバっていたトコちゃんが大河原をターゲット捕捉した。ロボットが人間の背後に回り込んで背中を押すようにしてセールストークを始めたのを見届けて、砂織は高い天井を仰いで言った。


「こうなると思っていたよ」


 砂織と有花を乗せた電動カートはスムーズに環状線を走り続け、やがてメインストリートを外れてやや細めの路地にするすると入っていった。さすがにまだ朝八時を回ったばかりで買い物客の姿も少なく、特売品の特設コーナーへ向かう細いストリートも渋滞は見られなかった。


「人がホームセンターをコントロールしようだなんておこがましい。あたし達は単なる消費者に過ぎないんだ。巨大な資本には勝てっこない」


 有花は少ししんみりとした空気を感じ取って砂織から視線を逸らした。電動カートはちょうどコーヒーメーカー売り場を通り過ぎたところだった。ふわり、コーヒーの苦味の含まれた香りがカートまで届く。


「人はいつからホームセンターと戦うようになってしまったんだろう。ちょっと、コーヒーを飲んでくる」


 自然な流れで砂織は電動カートから降りてコーヒーメーカー売り場へ歩いていった。売り場担当のトコちゃんが砂織をロックオンして、早速試飲用の一杯をドリップする。


 砂織の寂しそうな背中を見送る有花と日差彦。日差彦はミニベロを漕ぐのを止めて電動カートの荷台を掴んで、カートに引っ張ってもらい、前部座席の有花の隣まで進み出た。そして丸眼鏡を覗き込むようにして呟く。


「砂織さん、逃げやがった」


「やっぱりそう? 何かまとめに入ってる語りで、妙だなーって思ってた」




 電動カートに揺られる事十分。有花と日差彦はついに特売品の特設コーナーへたどり着いた。


 二人を見下ろす、文字通り山を成して積み重ねられた土、土、土。


 黒土、赤土、赤玉土。鹿沼土に荒木田土。培養土、腐葉土、堆肥ブレンド。それに家庭菜園用マルチ培養土、プランター用培養土。そして農家男衆が追い求めていたジョイトコオリジナルブレンド稲苗用培養土。


「どうやら俺達が一番乗りみたいだな」


 土の特設コーナーに人の姿はなかった。W8エントランスから入店した他県からの対抗勢力お客様達も、どうやらここまでたどり着く事は叶わなかったようだ。日差彦と有花の姿を見つけて、遠くからトコちゃんがバランスボールを走らせて近付いてきていた。


「これ、一袋何キロあんの?」


 華奢な身体付きの有花の胴回りよりも丸々と中身が詰まった袋をぺしぺしと叩いて有花は言った。


『いらっしゃいませ! そちらの培養土は一袋約20キログラム入りです。土ですので多少の誤差はありますが、確実に20キログラム以上入っています』


「よし、お一人様5袋までだよな。タグが全部で10個ある。稲苗用を10人分限度まで、50袋くれ」


『50袋! ありがとうございます! すぐにご用意いたしますね』


「またあとで何人か買いに来ると思うから、どこかにまとめて置いといてくれるか?」


『はーい! 了解です!』


 トコちゃんはバランスボールごと器用に頭を下げて土の山に向かって行った。


「ねえ、多賀くん」


「うん? 何? 吉野さん」


 ほんの少し、見つめ合う二人。


「何か、急いでる? 数量限定って言ってもまだ私達しかいないんだし、そんなにそわそわしなくても大丈夫よ」


 何でもお見通しだよ、と丸眼鏡の奥の瞳が語っていた。そんな真っ直ぐな瞳に射抜かれて、日差彦は有花の笑顔を真正面から見られなくなり、慌ててそっぽを向き、しどろもどろに白状した。


「あー、うん。この自転車、まだまだ改良の余地があるなーって思ってて。土も買えた事だし、ちょっと自転車パーツ専門街まで行きたいかなーってさ」


「だろうと思った」


 思わず笑ってしまう有花。解りやす過ぎだぞ、多賀日差彦くん。


「いいよ、行って来ても。あとは私がおるすば……」


「ありがと! じゃあ行ってくる!」


 有花の心のこもった台詞を最後まで聞かずに、速攻でミニベロを駆ってあっという間に姿を眩ましてしまった日差彦。


「……ほんとに行っちゃうか?」


 ぽつんと土の山の前で一人残された有花であった。そんなひとりぼっちの有花にそろそろと近付くトコちゃん。


『お客様、20キログラム袋が50袋。合計1トンの土、お持ち帰りになりますか?』


「1トンも持てる訳ないじゃん! コンテナかトラックか用意してよ!」


 有花とトコちゃんの背後には、まだまだ数十トンはあろうかと言う土の山がそそり立っていた。何もかもスケールが違い過ぎるジョイトコである。




 ジョイトコに行けば欲しい物は何でも必ず手に入る。欲しい物がなくてもジョイトコに行けば必ず何かが欲しくなる。


 ジョイトコ良いとこ一度はおいで。


 ジョイトコの店内すべてを見て回るには二週間を要すると言われていた。店舗内で消息を絶ったとある冒険家の言葉がある。


「このホームセンターは人類にとって最新で最後の秘境だ」


 人類は、未だホームセンターの全容を知らない。

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