入店時の諸注意


 罠。ホームセンターには似つかわしくない不穏な単語が砂織の口からこぼれ出した。


「罠? 罠って?」


 どう言う事ですか? 有花がそう言いかけた時、稲作農家男衆のリーダー、大河原がついに突撃開始の号砲を轟かせた。


「時間だ! 全班、突入っ!」


 走り出した大河原に続けとばかりに、総勢十六名の農家男衆が雄叫びを上げてジョイトコのW7エントランスに雪崩れ込んだ。


「あっ、バカ、早いって! ああっ、もう! 多賀、大河原さんが突入した! エントランスまで来てくれ!」


 砂織は忌々しげにスマートフォンに叫ぶと大河原の後に続いた。有花も慌ててそれを追う。戦場は超巨大ホームセンターだ。下手に置いてけぼりを食らっては速攻で迷子になってしまう。いや、迷子なんてお子様レベルではない。遭難だ。


 エントランスのゲートをくぐり、焦らすほどゆっくりと作動する自動ドアを抜けると、そこは無機質な灰色の小部屋になっていた。大河原をはじめとした農家男衆は小部屋の奥にあるさらなる自動ドアの前で一列に並んでいる。


 ホームセンター・ジョイトコはただ巨大なだけのホームセンターではない。もう一つ大きな特徴があった。それは完全なる無人販売システムだ。


 商品が在庫品も含めてすべて展示販売される倉庫型店舗、ホームセンター・ジョイトコ。その店舗運営は複数体の人工知能によりオールオートメーション化されていた。


 広大な店舗内に在籍する従業員数は社長を含めて現在四名のみ。実態としての店舗経営は自動販売機スタイルの販売システムと集合的マルチタスク処理された接客応対ロボット群体の手に一任されている。


 巨大過ぎる店舗内において、冒険のように商品を探し回る大勢のお客様の動線をも制御、管理するために店内にレジコーナーは存在しない。


 入店の際に配布される入店タグを身に付けて、商品を手に取り、商品棚から一定の距離を置けばそれは自動的にお買い上げとなり、即座に入店時に登録したクレジットカードで決済される。もしも返品したければ退店前に商品を元の棚に戻せば自動的にキャンセルされる自動販売システムとなっている。あまりに広大で複雑怪奇を極める店内を迷わず元の場所まで戻れれば、の話だが。


 巨大店舗がまるまる一個の自動販売ロボットであるような、まさしく世界最大のホームセンター、それがジョイトコである。


「吉野、半分頼む」


 特売祭の荒くれた雰囲気に飲まれつつも律儀に行列を作る男衆の後ろ、最後尾につきながら、砂織が有花へクレジットカードの束を手渡した。


「先に入店している奴らの分だ。奴らのジョイトコ・メンバーズカードとこのクレカとで八時以降入店って情報がついたタグが作れる。これでお一人様5袋限りの権利が二回使えるって寸法だ」


 大河原が自動ドアのすぐ横に設置されたカードスリットにメンバーズカードをくぐらせ、即座に吐き出される入店タグを引っつかんで自動ドアへかざした。その後ろ姿は財宝を守る開かずの扉に魔法のカギを差し出す勇者のようだった。勇者の掲げる魔法の入店タグに反応して、やはり焦らすようにゆっくりと開く自動ドア。


「大河原さん、待った!」


 その神々しい後ろ姿を砂織が呼び止める。


「……何だ?」


 出鼻をくじかれた大河原は振り向かずに苛立たしさを含んだ声だけで答える。


「罠だ。中にいる奴からの情報です。他のエントランスから入店する対抗勢力が我々を嵌めようとしている」


「……それで?」


 大河原は振り返らない。その間も農家男衆はそれぞれのメンバーズカードをスリットに通して入店タグを手に入れていた。


「このまま全員まとめて入店するのはまずいです。班毎に時間差で、罠を探りつつ入店しましょう」


「罠だろうが何だろうが、我々は走るのを止める訳にはいかないのだ。何故ならそこに特売品があるからだ。数量限定の、お一人様5袋限りの!」


 大河原はそれだけ言い捨てると開放された自動ドアの先、光が溢れるジョイトコ店内へと駆け出した。農家男衆十六名も間髪入れずに突入する。


「……これだから男って奴は、もう」


 砂織は小さく溜息をついてジョイトコ店内に消えていく男衆を見送った。ホームセンターの前では男達は皆、従順な下僕だ。運命には抗う術はすでに放棄しているのだ。


「いったんドアを閉めちゃいましょう」


 男って奴、と言うより、まるで衣料品のワゴンセールを前にしたおばちゃんみたいだ。それも関西系の。有花はゆっくりと閉じる自動ドアを見ながら思った。彼等とは違うのだときっちり線を引いておきたい。罠とやらも何か怖いし。


「意外と冷静なんだな、吉野は」


「なんせビギナーですから。そこまでジョイトコに染まってません」


 黒縁の丸眼鏡をくいっと人差し指で直して、淡々とクレジットカードをスリットに通し、吐き出される入店タグを集める有花。最後にゆっくりと自分のクレジットカードをカードスリットへあてがい、深呼吸を一つ、そして一気に手を下ろした。これでもう後戻りは出来ない。ファースト・ジョイトコの始まりだ。


 ことんと軽い音を立てて出てきた入店タグを取り上げて、覚悟を決めて首からかける。小さな胸にぶら下がったそれは、ほとんど重さを感じさせなかった。


「砂織さん、私は準備オッケーです」


「しゃあない、あたしらも行くか」


 砂織もやれやれと言った感じでそれぞれのクレジットカードをスリットに通し、メンバーズカードで先に入店しているジョイトコ友の会の分の入店タグを手に入れた。


「どんな罠か、多賀もわからないって言ってた。どっちにしろ、行きゃあわかるか」


 砂織は胸にぶら下げた入店タグを自動ドアへかざした。ゆっくりと、堅牢な壁面を割るように開く自動ドア。そして線を描いて広がりこぼれ出すジョイトコ店内の明るい光。薄暗い灰色の小部屋との光のコントラストによる演出が見事だな、と有花は思った。


 いざ、ジョイトコへ。


 だが、しかし。砂織と有花の行く手には農家男衆が壁を作り、立ちはだかっていた。


 とっくに先に進んでると思ったのに、何を立ちすくんでいるんだろう。有花が男達の先を見やると、明るい店内フロアに、一体の接客応対ロボットが仁王立ちしているのが見えた。


 ワインレッドのボディカラーで、通常の接客応対ロボットよりも一回り大きく肩幅もがっしりとしている。弾力のありそうな赤いバランスボールに座っているようなデザインは変わらないが、通常の接客応対ロボットが少女のような顔付きをしているのに対し、この赤いロボットは大人の女性を思わせるフェイスマスクを持っていた。


 ジョイトコ攻略本で読んだ事がある。有花は思い出した。接客応対ロボット群体、1グループ64体の行動を束ねるホストコンピュータの役割を持つ隊長機だ。ジョイトコ全体でも24体しか存在しない、これに出逢う事そのものがレアな機体だ。


 ぎらり、隊長機の切れ長のアイカメラが突き刺さりそうな鋭い光を放った。

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