第一章

特売の特異点


 特売日は祭だ。


 吉野有花よしのゆかは土埃がよく似合う屈強な男衆を眺めながら思った。


「あと十分で特売開始だ! 気合い入れて行けよ!」


「おうっ!」


「各班、ルートを確認しておけ! 数量限定品を最優先で確保だ!」


「おうっ!」


「お一人様5袋までだ! 限界まで突っ込むぞ!」


「おうっ!」


「目の前のセール品に惑わされるな! 接客ロボットは各個にて対応、突破しろ! 我々が一番で特設コーナーにたどり着くんだ!」


「おうっ!」


 有花はスマートフォンで時刻を確かめた。午前7時50分。まだ朝も早い時間だと言うのに、この男達のヴォルテージの高さときたら、もう。今にもソイヤッ、ソイヤッと神輿を担ぎ出しそうな勢いだ。


 それも仕方ないか。有花は目の前にそびえる真っ白い外壁に穿たれた店舗入り口を見上げた。


『ホームセンター・ジョイトコ W7・陸前高砂駅前口』と大きく掲げられたゲートが悠然と有花を見下ろしていた。


 ここはジョイトコ。世界最大のホームセンター。前代未聞の敷地面積と問答無用の商品在庫を誇る超巨大ホームセンターである。


 世界最大と言う看板に嘘偽りはなく、その延べ床面積は東京都渋谷区に匹敵する15平方キロメートルに及び、『世界中のありとあらゆる商品を在庫する』をコンセプトに経営される倉庫型超巨大店舗が拡がっている。


 ホームセンターの前では男達は皆、無力だ。誰でも従順な神輿の担ぎ手となるだけだ。ただのホームセンターでさえそうなのだ。それが世界最大のホームセンターともなれば、もはや男達に、いや、人類に抗う手段は残されていない。疲れ果てて眠るまで、祭の輪に入って踊り狂うのみだ。


 そして今日は日曜日。毎週日曜日はエンジョイ・ジョイトコ・デーだ。星の数ほどある商品のうち選ばれた十数点が尋常ではない割引率で特売される日で、メーカー希望小売価格にとって特異点のような一日になる。


 この祭に参加しない理由があろうか、いや、ない。男ならホームセンターに飛び込まざるを得ないのだ。


 さらに、エンジョイ・ジョイトコ・デーと同時に有花にとってのファースト・ジョイトコ・デーでもあった。


 以前から巨大ホームセンター・ジョイトコに興味はあったのだが、女一人ではなかなか入店する勇気が湧かず、かと言って女友達を誘ってホームセンターを見学に行くと言うのも変な話だ。ホームセンター好きの彼氏でもいればファースト・ジョイトコも早かったろうが、都合良くそんな相手もいない。機会に恵まれず、ずるずると先延ばししていたファースト・ジョイトコ。


 そんな有花に「ジョイトコへ行かないか」と声をかけたのは大学の二年先輩の小西砂織こにしさおりだった。有花の隣でタバコを燻らせている背の高い女だ。


「吉野、顔が変だぞ」


「何か、もう、スケールが違くって、すでに訳がわかんなくなってます」


 延々と続く眼前の真っ白い絶壁にすでに圧倒されてると言うのに、さらに周囲の男衆の熱気にあてられて、そして初めてのジョイトコへのプレッシャー。もうどんな顔して特売開始までの時間を待てばいいのかわからなくなる。


「こんなのただのホームセンターだ。男共のようにはしゃぐ必要はない」


 砂織は小さく尖らせた唇から薄い紫色の煙を吐き出して言った。小柄な有花よりも頭一つ分ひょろりと背が高い砂織は細いスキニージーンズのポケットから携帯灰皿を取り出して、咥えていたまだ長めのタバコをくしゃりと潰し放り込んだ。


「ただのホームセンターじゃないからビビっちゃってるんです」


「じゃあただの人数合わせのバイトだ。緊張するほどの事じゃあない」


 砂織は男物の腕時計をちらっと覗き見た。あと七分で特売開始時間だ。


「おい、君」


 神輿の担ぎ手、屈強な男達の音頭を取っていた大河原鉄男が砂織を呼んだ。


「ジョイトコ友の会の頭数十人分貸してくれるはずが、二人しかいないじゃないか。これはどう言う事だ?」


 砂織と有花は顔を見合わせた。確かにここには彼等男衆の他には二人しかいない。


「ご安心を。ジョイトコ友の会メンバー八名はすでに店内に配置済みです。昨晩から特売特設コーナーの周辺情報を探っています」


 砂織は胸を張って言い返した。


 いやいや、待って。ジョイトコ友の会って何よ。初めて聞く名前だ。有花は思わずツッコミそうになった。しかしぎりぎりのところで口を噤む。まだ砂織の情報提供は続いていた。


「お目当ての特設コーナーは、ここW7・陸前高砂駅前口とW6・新港フェリー埠頭口、W8・東インターチェンジ口の三つのエントランスが最寄りの入り口です」


 砂織が架空のオーケストラを指揮するように空中で指を振るう。その指の軌跡に有花は予習してきたジョイトコのエリアマップを重ねた。


「当然のようにW6、W8エントランスにも我々と同じように特売品を狙った同業者がセール開始を待って陣取っています」


 ホームセンター・ジョイトコは素直な直方体ではない。既存の道路や建築物にまとわりつくように構築され、川を跨ぎ、高速道路の下をくぐり、ねじれ、商業港や空港さえも飲み込もうと歪に建築された複合多層構造物だ。通常エントランスだけでも数多く存在し、目的の商品が売られるエリアへ最短距離で到達するためにどのエントランスを利用するかと言う戦略も必要になってくる。


 砂織は指揮を取っていた指をもう片方の手でぱしっと捕まえた。


「我々が一番で目的の特設コーナーに到着するため、ちょっとした工作もあっていいかなって、すでに動いていますよ」


「それなら、それでいい。よろしく頼むぞ。奴らに先を越される訳には行かないのだ」


 大河原はふんっと鼻を鳴らして男衆の元に戻っていった。砂織は腕時計を覗きつつそれを見送る。あと五分か。


「ねえ、砂織さん。ジョイトコ友の会って何ですか? それと、ひょっとして私も数に入ってるんですか?」


「言ってなかったっけ? 大学非公認サークルみたいなもんだ」


「非公認って。で、私は具体的に何をすればいいんですか?」


 今更ながら聞いてみる。砂織はスマートフォンを取り出し、有花をはぐらかすように視線を逸らした。


「あたしの後についてくればいい。吉野はお一人様5袋までって限定商品の確保要員だ」


 今回の目玉商品は土だ。春の稲の苗作りに欠かせない培土が圧倒的値引率で限定販売される。稲作農家の男衆が集まってそれを買い占めようと作戦を立てたのだ。


「それでいいですよ、もう。ジョイトコ・ビギナーの私にはどうせ出来る事なんてないんだし」


「うん、それでいい」


「ところで、ジョイトコって24時間営業ですよね。何で友の会メンバーだけ先に入ってて、私達は八時の特売開始を外で待ってるんですか? 特設コーナーの前で待ってればいいのに」


 稲作農家の男衆が待ち切れなくなったか、エントランスにじりじりと迫っていた。特売開始三分前だ。


「24時間365日無休営業ってのが攻略のカギだ」


「攻略?」


「前の晩から特設コーナーに張り付かれたら数量限定も何も意味がなくなってしまう。あっという間に買い占められる。だから、入店情報が必要になるんだ」


 砂織はクレジットカードを有花に見せびらかした。


「特売品を買えるのは、八時以降に入店したって情報を持っている者だけだ。年中無休で完全無人販売システムだから出来る限定販売だ」


 と、そこで砂織のスマートフォンが鳴り出した。砂織は有花との会話を切り上げて電話に出た。


「あ、多賀か? どうした?」


 砂織の表情が一気に曇った。


「罠? 罠ってどう言う事だ?」

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