第4話


 カスミーは走った。黒い服が太陽光をたっぷり吸収し、ジリジリと熱を感じる。

 自分に何ができるかは分からないけれど、何かをやらなくてはいけない。

「あのヨシアさんに頼まれたんだ」

 カスミーは、自分に言い聞かせるように言った。そして、それだけで不思議と力が湧いてくるような気がした。

 広いウェザーカンパニーの敷地に駆け込む。

 一番背の高いメイン棟の裏手に、ラボラトリーがある研究開発棟が建っている。カスミーは、メイン棟を迂回して研究開発棟を目指す。

 カスミーは時刻を確認した。天気製造機の試運転は午前のうちに終わっているはずなので、予定通りであれば今はその後の検証作業に入っていると思われる。

 しかし、ウェザーカンパニーもまたいつもと違う雰囲気だった。機械製造積極推進派が強行した試運転、それに伴う天気製造工場の反発を察知し、状況の鎮静化に奔走しているようだった。

 研究開発棟が見えてくる。

 二階建てのシンプルな箱のような建物に、半球状のウェザードームが併設されている。

 地上の気象を実験的に再現できるウェザードーム。研究開発棟のものは、数あるウェザードームの中でも、天上界最大級の規模だった。スプリン・ファクトリーのものでも、この半分くらいしかない。

 カスミーは研究開発棟に入って行く。もしかすると、試運転阻止を目指す人たちが来て荒れた状況になっているかもしれないと思っていたが、拍子抜けするほど静かだった。

 掲示板を見ると、試運転そのものは無事終了したようだが、職員の大半は出払っているようだった。

 カスミーは、試運転の行われたラボラトリーに向かった。

「カスミーさん!」

 中に入ると、新型天気製造機の前にいた研究員が気付いて声を上げた。

「今はどういう状況?」

「はい。試運転は無事に終了しましたが、天気職人を中心に強い反発があって、関係者はウェザーカンパニーのメイン棟で説明に追われています。本当は我々も行かなくてはいけないのですが、ここを任せられる人を確保できなくて。カスミーさんが来てくれて助かりました」

 研究員たちは、カスミーがラボラトリーを一時的に任されるために駆けつけたと思っているようだった。しかも、全幅の信頼を向けている様子だ。

 カスミーは、思い当たる節があった。それは、スプリン・ファクトリーで学んできたことを研究員たちに説明したときのことだ。

 カスミーは、もともと絵を描くのがうまかったこともあり、多くの図を交えて説明していったのだが、それが非常に好評で、むず痒くなりそうなほどのキラキラした視線を一身に浴びてしまった。それ以来、ここの研究員たちは、カスミーの能力をやたらと高く見ているようだった。

 カスミーは言い淀むが、そんな様子を余所に、研究員たちは必要な資料を抱えてラボラトリーを去ってしまった。広い空間にポツンと取り残される。

 ラボラトリーは、スプリン・ファクトリーの工房とは対極に、広々として綺麗に片付いていた。その真ん中に、新型の天気製造機が鎮座している。

 巨大なキャタピラーの上に本体部分があり、全体は見上げるほどの大きさだ。その周囲には可動式の足場が組まれていて、メンテナンスを始め、様々な調整を行えるようになっている。本体部分は太いパイプが飛び出ている所があったりして、見た目は少々不格好だが、天気製造の速度や規模に関しては、天気職人たちが束になっても敵わないほどのものだった。一応、操作自体は一人でできる仕様になっている。

 カスミーは、他に誰もいなくなったラボラトリーで、分厚いマニュアルを手にとった。一人で動かしたことはないが、天気製造機はこれまでの実験でも問題なく作動していた。手順に沿ってやっていけば、ヨシアの要求を満たす天気もすぐに製造できるはずだ。

 カスミーは深呼吸をすると、目を血走らせマニュアルをめくっていった。

 最低限の内容を飲み込むと、カスミーはページを遡り、マニュアルを持ったまま立ち上がって製造機のメーターを覗き込んだ。マニュアルと見比べる。

「内蔵タンクの材料残量、問題なし」

 指差し確認。

 続いて、メーターの横にある大きな起動ハンドルを見る。マニュアルを足元に置くと、それを両手で握って回転させた。大きな製造機から、細かい振動が響き始める。

 カスミーは、しっかり起動したことを確認すると移動する。今度は、条件の入力パネルだ。小さなつまみが大量に並んでいる。その数字を、ヨシアからの指示を書いたメモを見ながら慎重に合わせていく。

 ヨシアは、この機械が繊細な条件を再現できないことは十分承知していたので、可能な限りシンプルな条件で処理できるよう各種パラメーターを教えてくれた。操作する箇所も、意外と多くはなかった。

 すべての条件をセットすると、カスミーは改めて数値を確認した。

「よし」

 カスミーは気合を入れて、製造開始のレバーを引いた。祈るように見つめる。

 製造機は、振動を大きくしながら低い唸り声をあげた。


 ブー! ブー! ブー!


 短く三回ブザーが鳴る。あまり大きな音ではないが、カスミーは飛び上がりそうになった。バクバクする心臓を押さえながら、パネルの中に赤いランプが点灯している場所を見つける。

「天気袋がセットされていません」

 表示されている文字をそのまま読む。どうやら、製造したい天気を収められるサイズの天気袋がないようだった。

 カスミーは、ラボラトリーの壁に天気袋がいくつかかかっていることに気がついた。

 改めてマニュアルを見た。天気袋のセットは、別のページに説明が飛んでいた。

「天気袋の中に製造機を入れる……」

 カスミーは、天気袋を抱えて足場を駆け上がった。天気袋の口を両手で広げ、身を乗り出し製造機の頭に被せた。カスミーが淵を引き下げていくと、天気袋は滑らかに製造機を収める。

 カスミーが手を離すと、天気袋は製造機の足元のキャタピラーに沿って閉じていった。伸縮性に富んだ表面は、製造機にピッタリと張りつく。なかなか不思議な光景だなと思った。

 カスミーは、天気袋の薄皮の上から、再び製造開始のレバーを引いた。心配そうに見ていると、今度は緑色のランプが灯った。正常に製造が始まったことを示すものだ。

「や、やったあぁ……」

 カスミーは、小さく両手を握りしめ喜びを表現した。あとは、自動的に天気が製造されていくはずだ。

 カスミーは時刻を確認すると、ラボラトリーを出ていった。お手洗いに向かう。

 ようやく緊張状態から解き放たれたカスミーは、一息つく。

「これで、あとは製造が終了した後に天気袋を放出するだけ……」

 しかし、油断は大敵だ。最後まで気を抜かないようにしよう。

 カスミーは自分に言い聞かせながらラボラトリーに戻る。

 視界に天気製造機が入る。張り付いていた袋が膨らみ始め、ずんぐりとしている。

 カスミーは急に不安になる。このペースで膨らんでいったら、あっという間にラボラトリーに収まらなくなるのではないか?

 カスミーは、放り出していたマニュアルを見る。開いたままのページに視線を走らせた。

「製造機の中に天気袋を入れる……」

 一瞬、何の事だか意味が分からなかった。冷や汗が頬を伝う。カスミーは、緩慢な動きで、目の前の製造機を見上げる。また一回り大きくなっている。

「製造機の中に天気袋を入れる……」

 カスミーは、うわ言のように繰り返した。しかし今、目の前で、

「ノオオォォォォォォォォォ!!!!」

 カスミーは絶叫した。

「こんなのってないよ!!」

 カスミーは震える身体をどうにか制して立ち上がる。涙がボロボロ零れ落ちる。気分としては血の涙だが、実際は普通の涙だった。

「どうして私は、ここぞという場面で。私って、ほんとバカ……」

 カスミーは、自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、どうにかギリギリの理性が生き返る。

「そうだ、製造機を止めなきゃ」

 カスミーは、膨らむ天気袋の膜の向こうに見えるレバーに手を伸ばす。

「お願い、届いて!」

 しかし、伸縮性に富む膜は、あと少しのところでカスミーを押し返してしまう。指先がかするくらいで、握ることができない。

「嘘……止められない?」

 カスミーは焦って、ラボラトリーを見回した。できるだけ鋭利な棒を手に取る。そのまま構えて、全速力で天気袋につき刺した。

 棒が刺さる感触はなく、身体ごと天気袋の膜に食い込み、そして弾き返された。傷は一切ついていなかった。


 ―――天気袋は、天気を入れて封をしたら、空に放出して炸裂するまで絶対に開けない。


 頭の中で、ヨシアの言葉が再生される。カスミーは、血の気が引くのを感じた。天気袋はまた一回り大きくなっていた。

「ど、どうしよう……このままじゃ……」

 カスミーは茫然と立ち尽くす。もう打てる手はないのか?

 不意に、壁際の箱型のパネルが目にとまった。製造機と同じ色合いだ。

 見てみると、それは遠隔操作用のパネルだった。しかし、操作レバーはやたら少ない。

 カスミーは、マニュアルを確認することなく適当に操作してみた。すると、製造機が移動を開始した。どうやら、製造機のキャタピラーを操作するパネルのようだ。

 カスミーは、キャタピラーがうまく袋を巻き込んで引き千切ってくれないものかと期待したが、どれだけ動かしても滑らかに流されてしまう。製造機はどうにか動かせそうだが、それでも袋を破ることはできない。

 カスミーは、心が折れそうになる。目の前で膨らみ続ける天気袋に、敵う気がしない。

 そのときだった。天啓のような言葉が脳裏に響いた。


 ―――天気袋は、地上界の条件にすれば炸裂する。


 カスミーは素早く振り返った。

 背後の壁面には、巨大なシャッターが下りている。その向こうは、ウェザードームだ。

 ウェザードームは、地上界の条件も再現できるはずだった。規模も大きいので、製造機を収めることができる。

 カスミーはシャッターを引きあげると、ウェザードームに入っていった。ドームにも人はおらず、実験中の器材などもなかった。やるしかなかった。

 カスミーは、遠隔操作で天気製造機を慎重に移動していく。天気袋を踏んだ状態なので滑りやすかったが、徐々にコツを掴んで、ドームの中央に移動することに成功する。

 ラボラトリー側のシャッターを閉めると、急いでコントロールルームに移動する。天気袋は、すでに製造機の数倍の大きさに膨らんでいた。

 カスミーは、コントロールルームで適当なパラメーターに調整する。今は、標高以外の数値はどうでも良かったので、とにかく急いだ。のぞき窓から、中に人がいないことを改めて確認し、運転開始のボタンを押す。

 何を表しているのかよく分からない多くのメーターが勢いよく動いていく。しばらくすると、メーターはほとんど動かなくなった。

 カスミーは、のぞき窓から中の様子をうかがう。天気袋は炸裂していない。肥大化し続けていた。

「もう……無理だ」

 カスミーは、自己嫌悪の闇に沈んでいた。すべてを知ってもなお受け入れてくれたヨシアの、たった一つの頼みも満足に果たせなかった。

 カスミーは、あきらめの境地に至る。

 セノズ主任に知らせないと……。

 カスミーは絶望的な顔をして立ち上がった。



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