第3話
カスミーは空を見上げた。当たり前だが、深い群青の空がのっぺりと広がっていた。
天気というのは、天上界の下で発生する現象なので、天上界に住む人々は、製造はしても体験したことがない。一応、この状態は快晴と呼ぶのだろうが、他を知らないので、いまいちピンとこない。だから、やっぱり天上界に天気はないのだ。
カスミーは、日記帳を開いた。スケジュールをメモしているページを開く。本日の日付に並んで、「試運転」と書いてあった。
カスミーは、深くため息をついた。何となく、穏やかでないことが起きる予感があったのだ。
機械製造積極推進派の動きは、人づてに広がって、すでに多くの人の知るところとなっている。変化を求める人の珍しい天上界においては、明らかに
その反発はウェザーカンパニー内部からも受けている。大きな組織であるため、内部にも緩やかに派閥のようなものが存在していたが、その中でも積極推進派は少数派だった。カンパニー内には中立もとい
機械製造積極推進派は、そのような全方位からの反発をかわしながら、どうにか計画を進めていた。結果で示すことが第一であり、今は耐える時だと信じて。
そして本日、幾多の苦難を乗り越え、天気製造機の実用モデル第一弾の試運転を開始することになっていた。
基本的には平和で波風の立たない天上界だが、今日はそわそわした空気を感じる。
カスミーは、積極推進派に対し、特に強くシンパシーを感じているわけではないが、それでも完全に他人事としてやり過ごせる立場ではない。世間に自分の立場を知られているわけではないが、ちょっとしたミスが命取りとなるという漠然とした緊張感はあった。
スプリン・ファクトリーの工房に入ると、予感がさっそく的中する。試運転の情報はすでに知れ渡っているようで、殺気立った空気を感じた。
「カスミー、今日も絶望的な顔してるねっ!! 調子はどう?」
殺伐とした空間においても、イヨは相変わらずの能天気だった。カスミーの姿を見つけて開口一番がこれである。
「もちろん絶望的よ。ところで、今の状況は?」
「うーん、そうだねぇ。みんなでラボラトリーに殴り込もうかって話をしているみたい」
イヨはファイティングポーズで反復横とびをする。
カスミーは、イヨを無視して工房内を見渡す。対立は思っていた以上に激化しつつあるようだった。そこでふと気付く。
「ヨシアさんは?」
圧倒的威圧感を放つヨシアがいれば、場はもう少し秩序だったものとなるはずだが、その姿が見当たらなかった。
「さっき気象調査会社の人が来たから、工場長室で話をしてると思うよ」
「そう……」
気象調査会社というのは、文字通りで、天上界の下に広がる大気の状態を調査する会社だ。ウェザーカンパニーや天気職人たちは、その調査結果を受けて、次に製造する天気の性質を決めていく。
しかし、大抵の場合は、結果のファイルだけもらってすぐに済む。わざわざ工場長室で話を聞くというのは、込み入った話をするということだ。
「ヨシアさん、どんな様子だった?」
「うーん、何だか難しそうな顔をしてたよ!」
イヨは、眉間にしわを寄せて顔真似をしようとするが、口調は変わらない。良くない事態が重なりそうで、カスミーは溜め息をつきながら考え込む。
「あ! そうそう、そういう顔。カスミー、そっくりー!!」
しばらくすると、ヨシアと気象調査会社の人が工場長室から出てきた。
ヨシアは、工房の出口まで見送ると、その足でカスミーのところに来た。
「よお。ちょっと来い」
ヨシアは、思ったほどには難しい顔をしていないが、それでも何か普段と様子が違うように思えた。カスミーは、そのまま工場長室に入って行くヨシアについて行く。
「鍵も閉めろ」
カスミーは、扉の錠をかけた。
振り向いたカスミーに、ファイルが押しつけられる。カスミーは、黙ったまま順番に目を通していく。調査会社がよこした資料のようだった。
「さっぱり分かりません……」
ヨシアは、デスクにもたれて腕組みし、自分の足元を眺めている。
「地上での天候不順を示すデータだ。原因は分かるか?」
気象現象というのは、本当に複雑だ。素人に判断できるようなものではない。カスミーは素直に答えた。
「分かりません」
ヨシアは面を上げる。カスミーと視線が合う。
「唯一の原因ではないが、主たる原因は、ウェザーカンパニーの機械製造天気によるものだ」
ヨシアは、経時データと連鎖反応の開始地点を説明した。確かに、強い相関関係が見てとれた。
「もともと近年は天候不順が多かったから、機械製造天気だけのせいとは言わないが、影響は彼らの想定以上だったのだろう。ただ、天気職人として言わせてもらえば、今の気象環境では、ほんの些細なことが大きなバランスを乱すことは十分予測できた。だから、俺たちは普段以上に慎重に製造してきていたが、ウェザーカンパニーの推進派はそれを理解していなかったようだ」
カスミーも、当然、推進派の動きは知っている。確かに、実験と称して放った天気袋は小型で、大きな変化をもたらすとはとても思えなかった。しかし、データは影響の大きさを示していた。
カスミーは、心臓が早鐘を打つのを感じていた。
ヨシアが話を続ける。
「天候は常に安定していれば良いというわけではない。しかし、少なくとも、その地域で許容できる範囲に収める努力はなされるべきだ。俺たちのつくった天気の下で、多くの人が生きているんだからな。
もっとも、近年は、地上界の人間が自ら天候を乱す原因になっていることが多いのは考えものだがな。ある程度は痛い目を見て、何かを感じ取ることも必要かもしれない。ただ、それは、俺たちが天気製造で手を抜いて良い理由にはならない」
ヨシアは立ち上がった。ゆっくりとカスミーの傍に歩み寄る。
「天上界は、天気製造に関し、常に最善を尽くさなくてはいけない」
「………」
カスミーは反応に困った。何を言って良いのか分からなかった。
「カスミー、お前に一つ頼みがある。聞いてくれるか?」
カスミーの反応を待たずにヨシアは話を続けた。
「ここ最近、機械製造天気で乱れた気象の調整に取り組んできていたが、どうやら俺たちで対処できるレベルを超えたようだ。だから、力を貸して欲しい。天気製造機を動かし、応急処置の天気袋をつくって欲しい」
「……な、何で?」
「事態は
「何で……私に?」
ヨシアは、ようやくカスミーが言わんとしていることに思い当たる。一瞬だけ考えるが、はっきり言う。
「お前、機械製造積極推進派の人間だろ?」
「え……あ……」
カスミーは、驚きのあまり、口をパクパクさせる。スムーズに言葉が出て来ない。
「し、しし……知ってたんですか!?」
「まあな。人を見る目がなけりゃ、工場長は務まらないしな」
ヨシアはニヤリと笑って見せる。
「それならなぜ……」
カスミーは、なおも驚きを隠せない。
「期待の新人だから?」
ヨシアは顎をいじりながら
「いや、それは……」
「悪い、冗談だ」
ヨシアはまだ笑っているが、その表情はどこか優しげなものとなった。
「お前の実際の能力もそれなりに把握しているつもりだ。だから、無駄に気張る必要はない」
カスミーの肩をポンと叩く。
「そして、その上でのお願いだ。ウェザーカンパニーの天気製造機を頼む」
カスミーは、何だか視界がぼやけてきそうだった。危うくヨシアと熱い抱擁を交わしそうになる。しかし、その気持ちはひとまず抑えて、ヨシアの目を真っ直ぐに見た。
「ヨシアさん、私、行きます。任せてください!」
その表情は、晴れ晴れとした良い笑顔だった。
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