第2話


 カスミーは、ヨシアに連れられ、工房の隣の部屋に移動した。

「一通り作業を学びたいんだろ? 研修期間だって、いつ終わるか分からねえんだから、キリキリ動け」

 ヨシアの太い腕がドアノブを回す。重厚な金属の扉には、〈天気袋〉と書かれている。

「天気袋……」

「おうよ。天気製造で、ある意味、一番の肝となるものだ。これを扱えなきゃ、いつまでたってもヒヨッコってもんだ」

 重い扉が音を立てて開く。

「天気袋がどんなもんかは知ってるな?」

 カスミーも、一応はウェザーカンパニーの社員である。最低限の知識はあった。

「はい。製造した天気を入れておく袋ですよね?」

「そうだ。工場からは、この袋に入れた状態で納品する」

 二人は中に入って行く。工房ほどではないが、中は結構広い。

 カスミーは、物珍しそうに見回した。

 壁には大小様々なサイズの袋がぶら下がっていた。伸縮性に富んだ半透明の袋で、ちょっとした空気の流れにも揺れる。

「からの状態ははじめて見ました」

 ウェザーカンパニーには、はち切れそうなほど天気を詰め込んだ状態で届く。中身のない天気袋を見る機会というのは貴重だった。

 ヨシアは、近くの袋を一つ手にとった。比較的小振りなものだが、それでもヨシアが掲げた腕から床に届くほどの大きさだ。

「納品されたあと、こいつがどうなるか分かるか?」

「何か……パアーンとなるとか?」

 ヨシアが露骨に疑惑の眼差しを向ける。

「お前、期待の新人なんだろ?」

「だ、だから、それは……」

「まあいい」

 カスミーの表情が曇り、ネガティブスイッチが入りそうなのを見ると、ヨシアは話を先に進めた。

「ウェザーカンパニーがあちこちの天気製造工場からかき集めた天気袋は、天上界から放り出されるわけだ。そして、大空を緩やかに下降しながら、やがて炸裂する。それが連鎖反応のスタートだ。一の反応が、次の十の反応を引き起こし、それがさらに百の反応を引き起こす。そうやって、気付けば俺たち天気職人が丹精込めてつくった天気が実際に生み出さているってわけだ」

 カスミーは聞きながら日記帳にペンを走らせる。ヨシアは、それを満足そうに眺めながら話を続けた。

「中身をぶちまけた後の天気袋だが、これはかなりの貴重品で、できれば使い捨てにしたくない」

 ヨシアは、天気袋を空中に放った。それから素早くパタパタと手であおぐと、その僅かな風でも袋は舞い上がる。

「こいつはかなり軽い。天気を放出した後は、気流に乗って上昇して来ることが多いから、それを可能な限り回収して再利用するわけだ」

 ヨシアは、ゆっくりと中空を舞う天気袋を勢いよく掴んだ。

 その後も、しばらく天気袋に関する講義が続いた。ヨシアは腕の良い天気職人だが、口下手というわけではない。むしろ達者なくらいで、要領を得た説明をしてくれる。カスミーはそれを聞きながら、頑張ってペンを走らせた。

「他に、何か聞いておきたいことはあるか?」

 カスミーは、手を一旦止めて考える。

「それでは一つ。この天気袋は、天気を入れて封をしたら、空に放出して炸裂するまで絶対にひらけないと言っていましたが、天上界では炸裂しないんですか?」

「そうだ。この天気袋は、天上界の条件では炸裂しない。地上界の条件に近づいて始めて炸裂するわけだ。だから、封をした後にやり直しはきかない」

 これが天気製造において、一番大変なところ。熟練の天気職人であっても、天気袋の封をするときは、かなりの緊張を強いられると言う。

「責任重大ですね……」

 カスミーは、ペンを顎に当て難しい顔をしている。それを見て、ヨシアは表情を崩した。

「まあな。だけど、だからこそやりがいがあるってもんだ」

 小さく照れ笑いしながらも力強く言うヨシアを見て、カスミーは頼もしさを感じた。

 ヨシアは、この天上界でも随一の天気製造工場であるスプリン・ファクトリーを束ねる男。普段口数は少ないが、確かな腕で己の能力を証明し、その背中に多くの職人が憧れている。

 職人たちが日々作業に追われる広い工房。実験的に天気を再現するためのウェザードーム。それら以外にも、歴史ある工場は、他の工場が羨む多くの施設を備えていた。

 カスミーが研修のため訪れてから日は浅いが、ヨシアは時間を見つけてはそれらを順に見せて回ってくれていた。無駄口が少なく近づきがたさはあるが、厳しさと優しさを兼ね備える人物だと、カスミーは思っていた。

 説明を一通り聞いたカスミーは、天気袋を順番に見て回る。奥の方にあるものは、かなりのサイズだった。

「こんなに大きいのもあるんですね」

 大き過ぎて畳まれているが、目一杯詰め込めば、家が丸ごと入りそうな気もする。カスミーは大袋に手を伸ばそうとする。

 そのとき、危機が迫っていることをカスミーの本能が察知した。カスミーは手を中途半端に伸ばしたところで固まる。背後から強烈なプレッシャーを感じた。

 振り返ると、ヨシアが拳を握りしめ身体をワナワナと震わせている。

 カスミーは、先日の一件を思い出し、ハッとする。いま一番注意しなくてはならない地雷を踏んでしまったようだ。

 カスミーは、挽回しようと焦って言う。

「………例の天気袋は、結局、返却されたんですか?」

「アァ!?」

「ひぃぃ! ゴメンなさい!」

 ガチで怯えるカスミー。それを見たヨシアは嘆息する。

「お前に当たってもしょうがないな」

 ヨシアは、落ち着かない様子で、乱れていた天気袋を整え始める。

 それは先日のことだった。

 ウェザーカンパニーからスプリン・ファクトリーに、ビッグサイズ天気袋の貸し出し依頼があった。ビッグサイズは数も少なく貴重だが、天上界の天気製造を取り仕切るウェザーカンパニーのお願いを退けることもできない。ヨシアは貸し出しを許可した。

 しかし、問題が後になって明らかになる。

 実は、ウェザーカンパニーの正規の依頼ではなく、内部の一部署、正確には、ラボラトリーからの依頼だったのだ。しかも、このラボラトリーは、天気の機械製造積極推進派の中心的存在だった。貸し出したビッグサイズ天気袋も、最近開発されている自動天気製造機の実用実験のために用いられたというのだ。

 生粋の天気職人であるヨシアは、当然のことながら、機械製造積極推進派を目の敵にしているはず。そして、そのことは天上界の誰もが知る所であり、だからこそ、ラボラトリーが事情を説明せず天気袋を入手したことに激しく憤慨している。

 ラボラトリーとしては、説明したら貸してくれないと判断したのだろうが、その考え方自体が、ヨシアの価値観からすれば姑息であり、到底受け入れられないものなのだ。

 ヨシアは、天気袋の整理を終える。気持ちもだいぶ落ち着いてきたようだ。

「確かに、職人がつくるのと比べ、アイツらの機械でつくった方が圧倒的に速いのは確かだ。でも、問題はそこじゃねえんだよ。天気ってもんは、そんなに甘くはないんだ」

 カスミーは、部屋を後にしてから、日記帳に短くペンを走らせた。



   *



 その日の夕方、天上界某所。

 カスミーは、落ち着いた門構えの扉をくぐり、店内に入っていった。薄暗い空間に柔らかな間接照明がお洒落なカウンターバー。

 しかし、落ち着いた雰囲気だからこそ、逆に落ち着かない。カスミーは挙動不審になってぶつぶつと呪文を唱え始める。

「こんなお洒落な空間に私ごときが足を踏み入れてしまいごめんなさい。こんなお洒落な空間で私ごときが息をしてしまいすみません……」

「カスミー、こっちだ」

 奥の方から声がした。見ると、カウンターの一番端に待ち合わせの相手がいた。清潔感のあるスーツの細身の男で、端正な顔立ちだ。場の雰囲気に非常にマッチしている。

「セノズ主任、遅れてすみません、生まれてきてすみません!」

 セノズは、涼しげな目元でアクセントとなっている縁なし眼鏡をくいっと上げた。壁面の掛け時計に目をやる。

「遅れたと言っても、100秒に満たない時間だ。気にする必要はない。ファクトリーから直行だったのだろう。仕事熱心な君を責める道理はない」

 セノズは、マスターに自分の酒とカスミーの酒を頼んだ。マスターは、背後の棚からボトルを二、三選んでいる。

 カスミーが席につき、平常心を取り戻すべく呼吸を整えているうちに、目の前にグラスが置かれた。喉をうるおし本題に入る。

「それでは、さっそく研修の経過報告を聞かせてもらおうか」

 カスミーは鞄から取り出した日記帳をめくりながら、順に説明していく。セノズは静かに聞きながら、時々相槌を打った。

 数杯目の酒に口をつけたとき、セノズは一つの問いを提示した。

「君は、なぜ天上界が天気をつくるのか考えたことはあるか?」

 それは、あまりに根本的過ぎて、哲学的な色さえ感じさせる問いだった。

 カスミーは少し考える。しかし、結論は出なさそうなので、素直に教えを乞うことにした。

 縁なし眼鏡のフィット具合を確認しながら、セノズは語り始めた。

「起源としては諸説あるが、その中でもっともらしいと思うのが、意思伝達手段としての天気だ。

 日常的に意識することはないが、天上界は、おそらくここだけではない。広い空にはいくつもの天上界が存在していると考えられる。……なぜそう考えられるのか?」

 自分に向けられた質問なのか、話の都合上必要な話題提起なのかはっきりしないので、カスミーはグラスを傾けてやり過ごす。

 セノズは答えをせがむことはない。マスターに声をかけ、新たに二人分の酒を注文して話を続けた。

「移動手段はもちろん、交信手段と呼べるようなものもない。それにも関わらず、他にも大空に社会集団が存在すると判断できる根拠とは?」

 新しいグラスで喉の渇きを癒し、セノズはさらに続ける。

「結論から言えば、、ということになる」

「空気を読んだ、ですか……」

「そうだ。つまり、天上界の一つがつくりだした天気、それによって変化した空模様、空気の質的変化を、他の天上界が察知する。そして、他者の存在に気付く。誰がはじめたのかは分からないが、基本的にはこのようなものだと考えられている。

 天気は相互に影響しあい、複雑な現象を引き起こしていくが、そこに見られる様々な特徴は天上界それぞれの個性でもあり、静かにその存在を世に知らしめる役割を果たしている」

「なるほど」

「しかし、君も気付いていると思うが、現在、そのようなことを意識して天気を製造している者はいないだろう。今の天上界においては、実用的な側面はほぼ皆無だ。深く考えることなく、天気製造は天上界に課せられた使命だと考えている」

「ウェザーカンパニーの入社式でもそういう話を聞きました」

「地上に天気をもたらすという使命は、理屈を必要としないものと捉えられている。これはある種の信仰であり、天気製造に関わるということは、己の信仰心を確認するための行為とも言えるわけだ。そして、ウェザーカンパニーという巨大な組織は、それを束ねる役割を担っている」

 セノズは、飲み干して次を頼む。カスミーも同じペースを保って次を頼んだ。

「故に、ウェザーカンパニーは、天上界で非常に大きな影響力を持っている。人々の信仰心に支えられ、大した努力もせずにだ。しかし、この状況に甘えていて良いものか……今一度その意味を問い直し、努力、研究、研鑽けんさんが求められるべきではないのか……遥か昔から続く製法は偉大だが、それだけで良いのか……優秀な君の意見を聞きたい……」

 カスミーは、次第に熱を帯びるセノズの言葉に少々気圧けおされる。

「私は、そこまで大きなことに物申せるほどの人間ではないので……」

 カスミーは、会社をクビにならなければそれで良いと言いたかったが、一応、空気を読んだ。しかし、何となく予想していた通り、その意図が正しく伝わることはない。一度できた設定は簡単には揺るがないようだ。

「なるほど。しかし、この私の前でそこまで謙遜する必要はない。君の優秀さは誰もが認めるところだ」

「それは、主任がそう言って回っているせいで……」

「この私の部下なんだ。もっと自信を持ちたまえ!」

 セノズは、だんだんと呂律ろれつが回らなくなってくる。

「君は……天気製造工程の機械化確立に向け、極めて重要な役割を担っているんだ。スプリン・ファクトリーで入手したノウハウが、天上界を次のステップに導くのだ。自信を………持ちたまえ……」

 セノズはそこまで言うと、カウンターに前のめりに倒れ込んだ。直後、深い寝息が聞こえてきた。

 一方、顔色が全く変わっていないカスミーは、さらに酒を頼んで、それを味わいながら数ヶ月前を思い返す。

 ウェザーカンパニー入社という奇跡を前に、一生分の運を使い果たしたと信じて疑わなかった頃。右も左も分からず、声をかけられるままにノコノコついて行ってしまった末に、気付くと機械製造積極推進派に加わってしまっていた。

 ラボラトリーの努力により、すでにかなりの天気を製造できる機械が開発されていたが、それでも微妙な調整はまだ厳しい。そのノウハウは、やはり歴史ある天気職人たちが蓄積してきたものに頼るしかない。

 しかし、彼らは機械製造に真っ向から対立する人たち。特に、数ある製造工場の中でも一番の発言権を持っていたのが、スプリン・ファクトリーだ。長い歴史と確かな技術、多くの熟練工を抱える優れた工場である。工場長のヨシアは、人を見る目も確かで、真意を悟られず接近するのは厳しい。そこで、消去法的な人選の末、最も警戒されなさそうなカスミーに白羽の矢が立ったわけだ。



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