TENKI NI NARE !!

須々木正(Random Walk)

第1話


「ドンダラドンダラ、アー、アババババ!!!」

 小太りの老人は、そう叫びながら天を仰ぐ。額から滴る汗が、眉間に刻まれたしわの一つを辿る。眼光は鋭い。

「インヤ! オー、オオオッ、アババッ!!!」

 一拍おいて、近くに控えていた数人の男たちが声を揃え、やはり天を仰ぎながら叫ぶ。引き締まった筋肉が黒光りする両腕は、力強く振り回され、飛び散る汗が強い日差しに輝く。

 男たちの声は腹の底から太く響いて伸びていく。その余韻が消える前に、甲高い声が重なる。

「ソンヤ! モー、モモモッ、ジョババッ!!!」

 質素な服の上から薄い衣を巻きつけた格好の若い女性が数人進み出る。右足だけで体重を支え、腕でバランスを取りながら、器用にコマのように回転している。

 その後、さらに人を加えながら、奇声と舞踏は複雑に絡み合っていく。一様に真剣で、常に蒼天を見据えていた。

 一方、少し離れて取り囲む人々の表情は曇っていた。祈るように目を瞑っている者もいるが、その多くは年輩者だ。

 まだ幼い子供たちは、親の傍で不安そうに見つめている。そのうちの一人が言った。

「母さん、あの人たちは何をやっているの?」

 母さんと呼ばれた女性は、不安そうに見上げる少年を一度抱きしめてから言った。

「ケイシ……あれは、雨乞いの儀式よ。このままでは、この村は立ちいかなくなってしまうから、みんなでお願いしているの」

 ケイシと呼ばれた少年は、視線を再び奇妙な舞踏の方に向けた。

 加わる人数は増え、高揚感が増してくる。物凄いエネルギーを感じる。

 ケイシは、視線をさらに上に向けた。

 深い青空。白い雲が真上に小さく見えるが、きっと相当な高度なのだろう。それは、ここしばらくの典型的な空模様だった。

 底の見える溜め池。乾いた用水路。風に舞う砂埃。

 ちょっと前まで、季節外れの涼しさが続いていたと思ったら、今度は何もかも干からびてしまいそうな猛暑である。

 畑の作物の生気がみるみるなくなっていく様は、幼い子供が見ても明らかだった。

「アババッ!」

 いつの間にか目の前に立っていた男性が叫んだ。ケイシは驚いて飛び上がりそうになる。

 同時に、今まで眺めているだけだった周囲の人々の空気が変わったことに気付いた。

「アババッ!!」

「………アババッ!!」

 ケイシのすぐ近くに立っていた男性が呼応した。天を仰ぐ。

 よく見ると、同じことが何ヶ所かで起きていた。一人、また一人と、観衆は観衆であることを捨てていった。

 ケイシはその様子に動揺し、すがるように母を見上げる。

「母さ―――」

「アババッ!!」

 それが、母の返答だった。ケイシは目を丸くして硬直する。

「アババッ!!」

 母はケイシの前で膝を折り、両肩を掴んでさらに続けた。ケイシは目を見開き、今にも泣き出しそうな表情になる。

「アババッ!!!」

 母は三度みたび叫んだ。その真剣すぎる表情におののくケイシは、耐えかね、ついに声を出した。

「アババ……」

「アババッ!!!」

 母は正すように声を張り上げる。もう、周囲の人は全員その言葉を叫んでいた。残るはケイシだけだ。

「アババッ!」

「アババッ!!!」

「アババッ!!」

「アババッ!!!」

「「アババッ!!!」」

 声が重なった。そのとき、ケイシは母が微かに笑みを浮かべた気がした。もう一度、必死に叫ぶ。

「アババッ!!!」

「ソンヤ! ジョババッ!!!」

 もう、訳が分からなかった。


 儀式は小一時間続き、体力の限界とともに終息した。

 疲れ果てた人々は力なく座りこむ。

「これで好転すれば良いのだけど……」

 ケイシの母が、呟くように言った。

 それに対し、隣で背を預けていたケイシが、妙にはっきりとした口調で言った。

「母さん、天気は儀式でどうにかなるものじゃないよ」

 唐突に発せられた意外な言葉に、母は驚き我が子の顔を覗き込んだ。

「え? どういうこと?」

 近くにいた人たちの耳にも入ったようで、視線がケイシに集まる。

 ケイシは少しだけオドオドするが、それでも一度深く息を吐いて、話を始めた。

「天気はね、天気職人がつくっているんだよ」

 一瞬の沈黙。誰もが虚をかれたような顔をする。

 しかし、直後には和やかな笑いに包まれていた。

「そうね、天気職人がつくってるのね」

「母さん、本当なんだよ。僕、知ってるんだ」

「あらあら、ケイシは天気職人の知り合いがいるのかしら?」

 なだめるような母の口調は、ケイシを少しだけ苛立たせた。しかし、ケイシは口を結んだまま首を横に振るしかなかった。

「ケイシ、天気職人がいるなら、ここいらの地域にもう少しサービスしてもらえないものか」

 近くにいた男が言う。近所に住んでいる人だが、ちゃんとした名前は知らない。

「おい、やめとけって。だいたい、天気職人なんてどこにいるんだよ」

「まあまあ」

 周囲がざわめいてくる。そのときだった。

「いるよ」

 ケイシの声が、会話をピタリと止めた。大きな声を上げたわけでもないが、その声は冗談ではないと分かるものだった。

 ケイシは、右手を掲げた。人差し指を突き出し、真っ直ぐ天頂に向けた。

「空の遥か上の方、天上界にいるんだよ」

 人々は空を見上げた。白く千切れた雲が一つかみ浮かんでいるだけだった。

「天上界に天気職人がいて、そいつが天気をつくっていると?」

「正確には、天気をつくっているのは天気職人だけじゃないらしいけど」

 ケイシは、立ち上がった。

「最近は、天気製造のキカイカも増えてきたみたいなんだよ」

 呆気に取られていた人々は、ここでどっと湧き立つ。

「機械化なんて、難しい言葉を知っていて偉いぞ」

 大笑いの大人たちに囲まれるケイシは、これ以上の説得は無意味だと感じた。



   *



 で少年ケイシの主張が誰の理解も得られなかったのと、だいたい同じ頃――。

「カスミー、今日も絶望的な顔してるねっ!! 調子はどう?」

 無駄にはつらつとした口調で話しかけた人物は、少年とも青年とも言えそうな風貌だ。ゴワゴワした浅黄色の生地の作業着は薄汚れている。ニカッと笑う頬に黒い油の汚れが走っている。

「絶望的な気分だって分かってるでしょ、イヨ。ああ、何で私は……ホント、生まれてきてゴメンなさいぃぃ!」

 カスミーと呼ばれた女性は、イヨよりは明らかに年上。同様にゴワゴワした生地の作業着を着ているが、こちらは真っ黒だ。

 カスミーは、死んだ魚のような目をしながら、窓際のデスクに向かってペンを動かしている。

「あれ? それ、新しい日記帳だね。いつも書いてるから、前のはすぐなくなっちゃったんだね!」

 イヨの跳ねるようなイントネーションとは対照的に、俯きがちで生気の感じられないカスミー。泣き言を言いながらもせわしなく動いていた手は、ピタリと止まる。その口からは、呪詛のような言葉が漏れ出てくる。

「ああああ、私はもうクビだ………そうに違いない。クビになったら再就職なんてできないし、一生無職だ。そもそも、ウェザーカンパニーに入れたのも何かの間違いで……というか、すべて夢なんじゃ。もう私、流れ星でもヒットしてあの世にいるんじゃ……」

「なるほど! 遺言を書いてるんだね!」

 カスミーは、口からモワワンとしたエクトプラズムを出して停止している。イヨが、その横からヒョイと日記帳を覗き込もうとする。

 しかし、カスミーはビクッとして机に張り付く。バネ仕掛けの玩具のような急加速で、日記帳は完全に隠される。

「これだけは見ちゃダメ……」

「えー、僕、兄弟子だよ? 兄弟子の言うことが聞けないの?」

「確かに兄弟子ということにはなるけれど……私、これでも、この工場の大切な納品先から来てるんですよ……」

「あ、そうだったね! にその名を轟かせるウェザーカンパニー期待の新人! そんな凄い人が研修に来てくれるなんて、このスプリン・ファクトリーにとって最高の栄誉!! カスミーは僕達の希望だ!!」

「ああああぁぁぁ! だから、それはきっと何かの間違えで……生まれてきてゴメンなさいなこの私が、どうしてこんなことにぃぃ!!」

 両の手を握り締めキラキラとした視線を浴びせるイヨの前で、カスミーは頭を抱え悶える。

 そのときだった。

「オラ!! お前ら、なにサボって談笑してるんじゃ!!」

 カスミーは、ハッとして顔を上げた。声の主は、スプリン・ファクトリーの広い工房の真ん中に立っていた。

 腕のいい職人たちの中にいても目立つ巨漢。常時、何かのオーラを放出しているような威圧感。

「すみません、ヨシアさん。今、行きますので……」

 カスミーは日記帳を手にとり、工場長ヨシアのもとに駆けた。

「師匠、僕も~」

「てめえは来なくていい。とっとと自分の作業に戻れ!」



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