スターシーカー

佳原雪

星追いの魔法少女

今夜も星は見えず。スターシーカーは跳躍する。殺すため、全てを灰燼と化すために。

丸い靴、膝丈のドレスにリボンを結び、胸元には星の意匠の入った蝶のブローチ。スターシーカー、北極星も見えない空の下、金平糖色の魔法少女は今夜も敵を探している。


【スターシーカー】


シューティングスターは死んだ。棺に横たわったミカゲの顔はひどく穏やかで、この世に憂いも未練もないのだと、そう思わせるような風情があった。幼いミカゲを入れた小さな棺は火の中に消え、骨と灰だけが台の上に散らばっていた。しかし小さな蝶のコンパクトだけは燃え残り、彼はそれを小さなミカゲの形見とした。


彼はミカゲの跡を継いだ。二代目シューティングスターの誕生だ。彼は夜ごとシューティングスターの代わりに迷子を家に送り届け、花壇を耕し、時折現る不審者から子供たちを守った。小さなコンパクトは己に身の丈を合わせるように彼自身の体を縮めたが、彼は気にしなかった。子供の姿のほうが、同じ年頃の少年少女は怖がらない。幼い子供を同じ目線から助ける、それはコンパクトを受け継いだ自分にしかできないことだったのだろうと考えた。それに、他にするべきことがあるとも思えなかった。彼女の理想を叶えるため、彼自身の慰めとするため、二代目シューティングスターは彼女の守っていたであろうものを同じように守った。


いつからだろう。体が元のように戻らなくなったのは。

長かった髪は短く切られたくせ毛に、平均的だった身長は十代前半のものに。可逆変化は不可逆に。鏡に映る怯えた顔は火葬場の炎に消えたはずのミカゲそのものだった。


彼は怯えた。鏡の向こうから見つめてくるミカゲに? 自分自身の喪失に? 否。自分自身がミカゲとなることで彼女の存在を消してしまうことが、彼にとってはなによりも恐ろしかった。ガラスのかけらが、床へ零れた。

二度目の喪失に怯える日々は、長くは続かなかった。深い悲しみと焦りが入り混じる、思えば穏やかな日々だった。


彼は知ってしまった。


ミカゲの死が仕組まれたものであったと知ったその日の夜、彼の父として、男としての形は完全に姿を消した。二代目シューティングスターは復讐に身を投じた。優しかったミカゲ。魔法少女シューティングスターとして、その身にあふれる情愛を振りまいていた我が娘。どうしても許せなかった。人の不幸を願うこともなかった、いつも周りの人間に気を配る、細やかな彼女がどうして殺されたのか。そう、殺されたのだ。卑劣なる魔法協会の決定によって。

憎悪を燃やし、復讐心に火をともす。ホシを追う魔法使い、二代目シューティングスターはその日を境にスターシーカーとなった。


スターシーカーは罰す。疑わしきを。

スターシーカーは殺す。たとえ確約がなくとも。

流れる血で贖えとばかりに、スターシーカーは闇を這いずる全てを殺した。


その日も血みどろのまま、スターシーカーは寂れた通りを歩いた。ぼたぼたと滴る返り血や引きずる足が路上に掠れた血の跡を残す。なにもいない、誰もいない。当然だ。月もない曇り空の深夜三時、出歩く人間はどれ程いることだろう。そんな時間に出歩くのは後ろ暗いことのある人間ばかりだ。そうしてそれらはスターシーカーが手にかけた。だから、ここには、誰も、いない。

シャッターの降りた街並みを眺めていたスターシーカーは光の反射を捉える。転がるようにビルの合間に隠れ、周囲の様子をうかがう。

表通り、切れかけた街灯がちかちかと点滅していた。それが、ショーウィンドウに反射してぼう、と光っていた。スターシーカーは息を吐き、ショーウィンドウに近づいた。キン、と街灯のランプが音をたて、ひときわ強く光った。照らされたショーウィンドウの中にはパステルカラーのドールハウスとヌイグルミ。そして窓に映る、血みどろのミカゲ。見開いた目から流れたのは何であったか。

ブツ、と音がして、世界は暗闇に包まれる。フィラメントは切れ、月の見えぬ曇天の空からは雨が降ってきていた。

スターシーカーの頬が濡れる。ミカゲ。いとしいミカゲ。こんな自分へ一代目シューティングスターは何というだろう。優しかった彼女は。責めて、叱ってくれるだろうか。

己の無力さ、届かぬ懺悔と後悔。雨は彼の頬を流れ、足跡を消した。朝になれば何事もなかったかのように街はまた動き出すだろう。彼の悲しみをどこか遠い場所へ置き去りにして。


彼は思い出す。生前のミカゲを。彼は思い出す。無欲でどんな贈り物より父が健やかであるようにと言ってはばからなかったミカゲがねだった、最初で最後のプレゼント。幅の広い黄色のリボンを結んで、ミカゲは嬉しそうに飛び跳ねていた。

子供の小遣いでも買えてしまうようなリボンを、ミカゲは『これがいいの』と言って譲らなかった。きらびやかなドールハウスや大きなウサギのヌイグルミを指しても首を振って、これならどこへでもつけていけるから、と言ってミカゲははにかんで笑っていたのだ。


スターシーカーはブローチの下、胸に結ばれた赤のリボンを引き抜いて、顔を覆うように巻き付けた。誰にも顔を見られぬように。ミカゲとの思い出が、高潔なシューティングスターの名が、けして穢されることのないように。

顔を覆い、スターシーカーは武器を手に取り、天を仰ぎ見て祈る。死よ穢されることなかれ。魂よ、安らかであれと。



淡いピンクの色は褪せない。血を吸えど、血を吸えど、金平糖の薄桃色は変化を受容しない。それがなぜかを彼は考えたことなどない。

顔に巻いた赤いリボンが色を増していることに鏡を割り砕いてしまった彼は気が付かぬ。

不殺の誓い、戦い殺すことが日常化した彼女が己に課した規律。胸に結ばれた黄色のリボンが、彼のあげた最初で最後のプレゼントだったとは、彼は終ぞ知らぬままだ。



淡いピンク色をしたワンピースの下は上から下まで傷だらけだ。でも顔だけは、傷つけぬように守ってきた。

「この顔に見覚えはあるか? シューティングスターの名に聞き覚えは?」

「シューティングスター……死んだはずじゃ……」

「そうだ、彼女は死んだ。もう戻ることはない」

スターシーカーは首を撥ねた。リボンは血を吸う。


「答えろ。私はスターシーカー、二代目シューティングスターだ」

スターシーカーはくびり殺す。顔を覆うそれが、どうなっていくかも知らぬまま。



「協定のために、ミカゲは死を選んだというのか。平和の礎に望んでなったというのか」

「許すものか。許すものか」

無血の盟約。己の処分と引き換えに、全ての争いを無期限停止させる。それをかなえた彼女の暴虐を彼は知らない。


「『そんなことをしてもミカゲは戻らない』?」

「そうだ、ミカゲは戻らない」

「現世でミカゲと会うことはもう二度とない。私は地獄へ落ちるだろう。ミカゲと会うことはもうない」

「私は私の復讐をする。ミカゲを害したものを、私は許さない。これは私のエゴだ。生きている人間にどう思われようが構わない。ミカゲはもういない。ミカゲはもうどこにもいないんだ」


死んだ人間の魂は流れ星になるのだという。星は流れ、空には一つの光もない。ミカゲの人間性であったリボンが汚れたその日、それが象徴していた存在もまた、同様に血に沈んだ。



胸元のリボンに触れる。今よりもっと小さなころ、大好きなパパに買ってもらったリボンだ。

どこへでもつけていける。だから欲しいとねだったこれは、文字通りどんな時でもそばにいて、わたしを勇気づけてくれる。パパ。大好きなパパ。たった一人の私の家族。

ママは死んだ。私の小さなころ、私に福音とコンパクトを遺して。パパはママの話をしない。私も、ママの話はしない。寂しくなんかない、大好きなパパがいるから。

料理上手で、寂しがり屋で、何だって私にくれようとするパパ。きれいな服だって、可愛いおもちゃだって、なんだってくれようとする。そんなものどうだっていい。私は、ただただパパに、笑っていてほしい。


魔法協会の決定は、理解も共感も容易いものだった。私の死をもって、長らく続いた魔法少女連合とそれに敵対する組織を和解・統合させ、その二つの組織の摩擦によって起こっていたトラブルを一掃しようという取り決めだ。この決定が上手くいけば、全ての荒事は万事収まり、一般市民が巻き込まれて死ぬことはなくなるだろう。魔法少女たちは人的災害から人を守る必要がなくなり、死を伴うような危険や体の欠損に怯えることもなく、もっと牧歌的な、事件とも呼べない事件を解決して生きていける。

そう、私の命と引き換えに。それをいけないものだと言えるほど、私の業は軽くない。私は私のエゴのために、少しばかり人間を殺し過ぎた。私のパパを、パパを危険にさらすものを、私は捨ておけなかった。そうしてこれがその末路。


首に巻いた黄色のリボンは不殺の誓いのためだ。大切な宝物であるこれは、その実ただの色つきの布で、どれだけ血を吸おうとも色一つ変えないピンクのワンピースとはわけが違う。このワンピースは私、そしてこのリボンはパパ。リボンが汚れることは終ぞなかった。そうして今日が終わりの日。


局地的な安寧のために生き、全体的な平和を叶えるために死ぬ。一人の人間が死ぬのにこれ以上の理由などない。人は誰しも死ぬ、それが愛しい人のためであるなど、私はどれ程の幸福をこの身に受ければいいというのだろう。死ぬときすらも幸福だなんて、一体どこまで私は果報者なのか。ミカゲは笑った。


最後に、もう一度、パパの顔がみたいなと思った。波打った長い髪の隙間から覗くはにかんだ笑顔が他の何より可愛くて、そのためになら何でもできると、何もかもがどうでもよくなった私に活力を与えてくれるのだ。パパ、パパ。大好きな私のパパ。私の生きる全て。私の人間性を現世につなぎとめる、唯一の楔。


飛来するものが感知される。私はそちらへ向かって手を広げた。手をすり抜けた死を私の心臓はしっかりと掴んだ。そうして私の最高の日々は幕を閉じた。



ミカゲの誤算はただ一つ。己の価値を、見誤ったことだった。

じわりと広がった血が、リボンを赤くした。



今夜も星は見えず。スターシーカーは跳躍する。殺すため、全てを灰燼と化すために。雨は上がり、雲は晴れた。星ひとつない空が、スターシーカーをあざ笑っていた。

丸い靴、膝丈のドレスにリボンを結び、胸元の星の意匠の入った蝶のブローチは下翅が開いている。スターシーカー、北極星も見えない空の下、金平糖色の魔法少女は今夜も敵を探している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スターシーカー 佳原雪 @setsu_yosihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ