越王の裔 東海を踏む
ははそ しげき
序
戦国末期の
火牛の計で著名な
魯仲連は書簡をしたためて
「智者は時に
智者・勇士・忠臣―いずれも死してなお名をとり、
田単は労せずして聊城を奪回した。魯仲連の功をねぎらい、王に言上し、爵位を授けようとした。魯仲連は「
長平の戦で大勝した
たまたま趙にいた魯仲連は、
「秦王を帝と尊称すればよい。秦は満足して兵を引く」
屈辱的な条件だが、
魯仲連は声高に反論した。
「かの秦は礼儀をすて、敵の首を多く挙げることを尊ぶ国である。権柄尽くで兵を動かし、奴隷のように人民を使役する。だから、もし秦王がほしいままに帝となり、天下の政事を誤ろうとするなら、連は『 東海を踏んで死ぬ』だけだ。その民となるには耐えられない」
魏の遣いは趙王への説得を取り下げ、講和工作を撤回した。秦はまもなく包囲を解いた。
趙王を補佐する平原君趙勝が千金を贈って賞したところ、魯仲連は笑って受けなかった。
原文にはこうある。――則連有踏東海而死耳(すなわち連は東海を踏んで死ぬるのみ)。
「東海を踏んで死ぬ」とは、東海―東シナ海に身を投げて死ぬ意味で使われている。ちなみに魯仲連は、
海岸沿いの北上ルートならまだしも、百年を経てなお東海の直進ルートは、渡航不能な死の航路だと思われていた。
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