エピローグ キサラギ・サラの終焉


 私は、冷たいプールサイドで、彼の意志を汲み取って、更に冷たい絶望に落ち込んでいた。

 これから先、生きていればいいこともあるだろう。

 こんなことは取るに足らないと思える日が来るのかも知れない。

 でも、この日の苦悩は今の私の心の許容量を超えてしまった。

 首にかかったロープを外し、手探りでプールサイドを回り込んで、雨音を鳴らし続けるラジカセらしき機械を、手探りでスイッチを探して停止させる。

 胸の中では、すさまじい感情の嵐が渦巻いていたけれど、不思議なことに体は普段よりもむしろ淡々と、自分の命を終わらせる準備を進めていた。

 その感情があふれ、悲しみや苦しさに包まれてしまったら、自分がどうなってしまうか解らない。

 巨大すぎる恐怖の訪れにおののきながら、それに絡め取られる前にこの世界から逃げ出そうと、私は急いで、一度は外したロープをまた首にかけた。

 この結末は、自らの弱さの代償を、他人に依存し過ぎて生きて来た自分へ、誰かが与えた報いなのだと思った。

 だから、誰も恨んではいない。

 ロープの感触を首に確かめながら、プールサイドにかかった鉄のはしごを伝い、プールの中へ降りていく。

 不意に、ある後輩達の姿が私の脳裏に浮かんだ。

 うるさかったり、いたずらしたり、時には気を遣ってくれたりした、可愛い三人の少年達。

 学園内の有名人だった彼らは、私にとっても少し特別だった。

 障害があっても、明るく優しくまじめな、優等生のキサラギ・サラ。

 その姿を捨て去り、彼らと学園内の規則を片っ端から破りながらとことん遊んでみたらどんなに楽しいだろう。

 その未練が、私のプールへの降下を一旦止めた。

 ここから這い上がって、彼らに言ってみようか。

 私と一緒に遊んで欲しい、と。

 彼らはきっと、弾む様に走って私を連れて行ってくれるだろう。

 そうしたらきっと、今までとは違う素敵な日々が始まる。

 けれど、今の私には、人との触れ合いが恐怖以外の何物でもなかった。

 いつか、彼らにまで愛想を尽かされたなら、今よりも更に恐ろしい絶望に見舞われるだろう。

 そんなことには耐えられない。想像しただけで身がすくむ。

 彼が私に突きつけた拒絶は、私の胸の底の底までを貫き、生きる理由を探そうとする根源的な私の意志までをも致命的に破壊していた。

 情けない。

 そう思う。

 けれど、この枯れた水牢から這い上がろうという気はとうとう起こせなかった。

 私は再び、降下を始めた。


 あの三人は、私の死を知ったら悲しむだろうか。

 あれで意外と優しいところがあるので、見知った先輩の死というのは彼らに少しは衝撃を与えてしまうかもしれない。


 ごめんね。


 声に出さずにつぶやくと、私の見えない目に涙がにじんだ。

 いよいよ、恐怖が体の外へあふれ出し、私を包み込もうとしている。

 急がなければ。

 もう、悲しみも苦しみもない世界へ行かなくては。

 誰にも迷惑をかけず、誰にも傷つけられない世界へ。

 私は足を速めて、ぽっかりと空いた冷たい穴の中へ降りて行った。


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オフィーリアの水牢 @ekunari

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