騒 動

 大柄な剣士だった。


 すすけた黒いマントで全身を隙間なく覆っている。

 錆で変色していても、もとは黒く塗られていたと分かる兜は、一枚の鉄板を頭に合わせ型取りした物で、作りは粗いが頑丈そうだった。

 異様な鉄の面当てに開いた一文字ののぞく窓が特徴的だった。


 剣士はナアイへ剣が振り下ろされようとしたとき、懐から出した鉄片のようなものを投げつけていた。

 それは剣先に命中し、打ち下ろされる軌道を大幅に狂わせたのだ。


「何者だ!あれは!」


 ゾアスは椅子から立ち上がり、激昂した。

 四人も守備隊の剣士を斃し、大いに恥をかかせてくれた子どもを、やっと仕留められるはずだった。

 それを邪魔するとは! ……いったい、どこから入ってきたのか。


 ――衛士は何をしている!


 観客の中にさえ、その剣士が闘技場に入ってきたところを憶えている者は少なかった。気のついた者でも、死合中のふたりに近づく審判か何かと思っただけである。


 闘技会場にいるすべての人間は、まるでその剣士の魔力に魅入られたかのように黙って、ただ、そのなすことを眺めていた。


 一方、ナアイはまだ茫洋としている。


 ――この男は郷で会った鉄面の剣士だ。でも、なぜこんなところに?……出場するなら、ぼくが終わってからだ。ぼくが殺されてから来るべきだ!


 心身の極度の疲労により、混濁、混乱した思考はまとまらない。


 鉄面の剣士は油断ない動きで、たたき落とされたナアイの剣を拾い、そのまま切っ先を闘技場の土に突き立てると、足をあげ、刀身にむかって蹴り降ろす。

 トファーズの弟アキのものになるはずだった、その剣は根元からぽきりと折れた。


 ――戦場の誓い! 〈剣士の十法〉かっ!


 眼前の光景にジュニン・グルゥツは鉄面剣士の呪縛から解き放たれ、我にかえる。


 戦場の誓いは、〈剣士の十法〉最後の二行に記された、剣士の復讐に関する教えを元として作られた戦場作法だった。

 敵と争っている最中、斃された者の代わりにその肉親や兄弟、最も親しい朋友などが、自分の命に変えて敵を討つという決意を表わすため、斃れたものの剣を折って誓いを示すのだ。

 故に、それは〈剣士の十法〉を知る、この世のありとあらゆる剣士にとって、最も高貴で侵しがたい誓いとされていた。


 ――しかし……今のこれは少し話が違うのではないか

 ――なにしろこぞうはまだ生きているのだ


 この場合、戦場の誓いが有効なのかどうか、ジュニンには分からなかった。

「こぞうは生きているぞ!」

 自分と同じ疑問を持ったらしく、部下が横で叫ぶ。


 ジュニンは謎の闖入者を捕えたものかどうか、貴賓席の主人を仰いだ。

 個人的にはこの痴れ者の首をはね、鉄面をひっぺがし、素顔をさらしてやりたい。


 一方、ゾアスもジュニンと似た心持ちだったが、賓客であり隣群の敵郡主の言葉がそうさせるのをとどめていた。

 デテラ郡主ガドロスは小賢しい作り笑いを浮かべ、飛び入りとはおもしろい、子どもにやられる剣士達が、あの鉄面相手にどこまでやれるか見てみようじゃないかと言って、他の郡主たちの同意を促したのである。


 あからさまにゾアスをからかっていた。


 指示を求め自分を見ているジュニンに、首を振り、そのまま新しい剣士の挑戦を受けてやるよう手振りで伝えた。

 

 しかたなくジュニンは殺気立った部下を手で制し、試合再開の合図を審判へ促す。


 ナアイはそうした短いやりとりの間に、疲れきった肉体をなんとか自力で動かし、闘技場の板塀に寄りかかっていた。

 もはや立っていることもできず、そのままずるずると座り込む。

 体全体をまわし、振り返って鉄面剣士の動きに注目した。


 鉄面はナアイの相手をした五人目の剣士に見向きもせず、郡守備隊剣士たちの腰掛けている長椅子を目指し、超然と歩みよっていくところだった。


 ジュニンたちの前に着くと、鉄面剣士は左腕をマントから出す。


「なんだ、なんのつもりだ!」

 ジュニンの部下は怒鳴った。

 鉄面は左腕を突き出したまま手のひらを見せ、五本の指をまっすぐ立てた。


 剣士たちはみな、怪訝な顔つきで鉄面の真意を探ろうとする。

 相手は終始無言だった。


 ――なんなのだ、こいつは

 ジュニンはまた金髪を一本引き抜いた。


「あっ!」

 ジュニンの横にいた、副隊長のルメアが声を上げ、たたみかけるように言う。

「こいつ、五人一度に相手にしようと言ってるんだ!」

 ルメアの言葉を聞くなり鉄面は身をひるがえし、再び闘技場の中心に戻っていく。

  

 エリュン郡最強と謳われる自分たちへ対する、あまりにも非礼な挑戦に、隊長をあずかるジュニン・グルゥツは、とうとう激高した。


「よし、おまえたち、〈剣士の十法〉どおり挑戦を受けてやれ! そして奴をなますにしろ!」

 その怒声は、闘技場内に響きわたるほど大きかった。


 隊長の指示に、長椅子にいた四人が、つぎつぎ怒気を含んだ大声で応え、すぐさま鉄面剣士の待つ闘技場の中央に走り寄っていく。


 今や闘技会の行方は主催者たちの思惑から大きく外れ、どこに行こうとしているか予断を許さない状態であった。

 闘技場で次々と起こる出来事と、その緊張感に耐えきれなくなった観衆から、ちらほら野次らしきものも飛び出すようになる。

 それらはあっという間に広がり、闘技場は再び喧噪の渦に巻き込まれていった。


「いいぞ、鉄面!」

「やれやれ――!」


 歓声や罵声に少しも動ずることなく、鉄面は郡守備隊の剣士に向き合っている。

 控えの長椅子から飛び出した四人の剣士は、闘技場の中央に立ちつくしていた、ナアイを破った五人目の剣士と合流し、相手を中心にして半円形の陣を敷く。


 ――無礼者め。だが、こちらは一応、礼儀を守ってやろうじゃないか


「剣を構えなくてもいいのか」

 押し殺した声でルメアが尋ねた。


 それに応えるかのように、鉄面剣士のマントは体の中心で分かれ、鍔の付いた細長い鉄の棒を持つ右手が、その奥からそろそろと顔を出した。

 次いで現れた左手には先ほど投げつけたのと同じ馬蹄形の鉄片を持っている。


「なんだそりゃ? 棒っきれで俺たちとやるつもりかよ!」


 最右端の剣士が揶揄するように甲高い声で叫ぶ。


 鉄面剣士は鉄片を鉄棒の鍔元にはめこんだ。

 金属同士のこすれあう、ぎり、ぎり、という耳ざわりな音とともに、それは鉄棒の側面を移動し、先端まで落ちていった。

 わずかに先端が太くなっているのか、それが地面に落ちることはなかった。

 鉄面は鉄棒を軽く振る。

 鉄片を先端に固着させたようだ。

 どうやら、それが得物だということらしい。


 鉄面剣士に、それ以上何の動きもないのを見て、ルメアは剣を構えた。

 ほかの剣士も同様に動く。

 他の剣士たちに目くばせすると、ルメアは大声で鉄面に吠えた。


「用意はいいか!」


 鉄面は変わらず無言だ。

 ルメアはうなずくように、わずか顎を傾けた。

 それが戦闘開始の合図――


 五人の剣士は同時に鉄面めがけて襲いかかる。


 鋭い五本の剣は、雷光にも似た光輝を残し宙を走った。

 どんな相手も絶対に逃れられない五本の牙。

 戦場で鍛えられた疾速の剣技である。


「ぎゃ!」

「わ」

「ぐっ!」

「っは!」


 瞬時に声を上げて地にのめったのは、守備隊の剣士たちだ。


 四名の剣士が大地を朱に染め、無惨に転がる死体となり果てていた。

 ルメア自身、倒れこそしなかったが、恐ろしい衝撃で危うく剣を取り落としそうになった。


 ――な、なんだ………なんなんだ!


 相手の振るう剣が見えなかった。

 突風のような剣風が通り過ぎた思ったときには、仲間はみなその風に吹かれ、麦穂のように倒れていったのだ。

 自分がその剣を受けられたのは、まったくの幸運でしかない。

 見るとルメアの剣は根元がえぐられたように大きく欠けていた。


 鉄面剣士は鉄棒を持つ右手を前方に突き出し、得物の刀身部分と思われる箇所を左肩へ載せていた。

 まるで彫像のようなその姿勢は一度も動かなかったかのように静逸を保っている。


 ルメアの闘志は完全に萎えていた。

 目の前のこいつは人間ではない。

 地獄から自分を連れに来た死の使い、そう思えた。


 鉄面剣士は構えをまったく崩さないまま、左手で、鉄面をゆっくり引き上げる。

 きりきりという、耳障りな金属音。


 ルメアはつい、真正面からその奥の顔を見てしまう。


「あ、あああ〜!」


 郡守備隊の副隊長には似つかわしくない情けない悲鳴を上げつつ、ルメアは地面へ完全にしりもちをついた。

 股間に失禁のしみが広がっていった。



 ゾアスは、鉄面剣士の動きをその始まりから、凍りついたように眺めている。

 鉄面の下の素顔を明らかにした男は、固唾をのんで見守っている観衆を前に、東の貴賓席を向き、着席している貴賓たちへその顔を晒した。




 異形いぎょうであった。


 いや、正しくは異形のように見えたというべきだろう。


 その顔は、無数の線と色とに分けられ、塗られ、この世のものとも思われない。

 ゾアスの横に座していたマイアサン群主ミカの妻が気を失い、床に昏倒する。


 ――あの色は……刺青か?


 ランドーザは貴賓席でただ一人、冷静にその光景を受け止めていた。

 男の顔を覆いつくしている無数の模様は、肌に沈着したその色の具合から、刺青と推察できた。

 そしてその模様自体にも見覚えがあった。


 ――たしか闘奴とうどの……


 北の国々で見た闘技場の様子を脳裏に浮かべる。


 闘奴は闘技場で、血を血で洗う戦いを観客に見せるためだけに生かされている人間だった。

 身分は奴隷以下、獣のように扱われ、死んでも墓さえ掘ってもらえない。

 他国から売られてくる素性も知れない若者や、犯罪者などが多いと聞いた。

 逃げてもすぐ分かるように、顔には、元の肌が残らないほどの刺青が施される……


「デュロウ、まさか」


 ランドーザはゾアスのそのつぶやきを聞き逃さなかった。

 ゾアスは自分の上の列、ちょうど斜め上にいた。


 ――デュロウ……デュロウ、なんのことだ? ……奴の名前か?


 貴賓席から悲鳴が上がる。

 刺青の剣士が斃れた剣士の剣をひろい、いきなりこちらへ投げつけたのだった。


 ――あっ!


 間一髪その刃をかわしたゾアスの椅子の背に深々と剣が突き立つ。

 貴賓席は大混乱に陥った。


 その混乱は闘技場全体に飛び火し、事態は収拾がつかなくなっていく。


 賓客たちの怒号と悲鳴も飛びかうなか、ランドーザは横のルルザをかばい、主人あるじのダクスを後ろに守りながら、バパラマズの屋敷への避難を助けようとした。

 貴賓席を降りる際、闘技場の中央をわずか振り返ると、あの刺青の男は笑みに似た表情を浮かべているように見えた。


 背後にゾアスの声を聞く。


「あの男を! ジュニン何をしている、そいつを捕まえろ! 殺しても構わん!」


 刺青の剣士は再び鉄面を下ろし闘技場を駆け抜けると、逃げまどう見物人のただ中へ飛び込んでいく。

 ジュニン・グルゥツを先頭にした郡守備隊の兵士と衛士たちが、その後をつぎつぎ追いかけていった。



 ナアイはそのすべてをぼうっとした頭で見ていたのだった。

 体が重い。

 満足に立つこともできない。

 誰かに腕をつかまれた。


「ナアイ! 何をしてるの、今のうちに逃げるのよ!」

 トファーズがナアイを立たせようとしていた。

 ラフィもナアイの肩に手を回し、トファーズの手助けをしている。

「ナアイ、早く!さぁ!」


 このふたりは何を言ってるのだろう。

 ぼくは、剣士になるためにここに来たのに。

 家か、家には戻れないよ、ラフィ。

 ごめん、ごめんね。ヘンニによろしく……


 棍棒を持った衛士たちが、ナアイたちを取り囲んだ。

 中の一人に、あの中年の衛士も混じっていた。

 衛士の代表は、周囲の騒音に負けじと絶叫する。


「ナアイ・クルスム。郡代ゾアス・ヴェーブさまの命により、郡主バパラマズさま暗殺未遂の容疑で逮捕、連行する!」

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