恩 讐
ビルゴは午前の試合をすべて見ていた。
午後の試合で、自分と戦う者達の実力を調べるためだった。
ビルゴはその中にナアイの姿を発見して驚く。
――なんと……あのこぞうも出ているとは!
どうせ敗退するだろうと思ったが、ふたを開けてみると、少年は路地での対戦とは別人のような動きで、あっという間に、午後の部へと勝ち進んでしまった。
その強さは誰の目にも確かだった。
だが、一昨日、ナアイにとどめを刺す寸前までやり込めた経験が、ビルゴの判断を微妙に狂わせていた。
――勝ち残ったのが運のつき
今度こそあのこぞうを仕留めてやろうと、ビルゴは心に決めていた。
今、出場者の控え所で、ナアイと一緒のトファーズの姿をも見いだし、新たに残忍な行為を考えついた。
――こんなに早くけりをつけられるとは……それも堂々と殺せるのだ!
あのくそ生意気なこぞうを、女の前でばらばらに切り裂いてやる。
首を切り落として、投げつけてやろう! ――そう言えば、あのこぞうはあの女の弟と同じような目つき――俺をばかにしたような目で見やがった。
――俺をこけにした奴はみんな殺してやる!
群守備隊の剣士が十人、闘技場に面した板塀の北にある出入り口から現れた。
揃いの濃紺の上着と同色のズボン、それに黄色の首布。上着に付いた青銅の飾りボタンが日光に照らされ鈍く光る。
剣士達は入り口近くの、壁の脇に作りつけられた長椅子につぎつぎ腰かけると、先に入場し南の長椅子に腰掛けている出場者たちを威嚇するような目でにらみつける。
ナアイはそこにビルゴの姿を認めた。
続いて長椅子の右端に目を移す。金髪の無骨そうな若い男が座っている。
おそらく十人目のあの男が、エリュン群守備隊最強の剣士と名高い、ジュニン・グルゥツ隊長なのだろう。
午後は守備隊の剣士と、挑戦者との勝ち抜き戦だ。
勝ち抜き戦といっても、挑戦者が守備隊の剣士を一人でも破ることができれば、即、剣士見習いとして入隊を許され、そこで挑戦をやめてもかまわないことになっている。
剣士として入隊を許され、郡主から正式な剣士として称号を得られるのは、続けて三人勝ち抜いた時点からだった。
五人勝ち抜くと、小隊長の地位が約束され、以降、七人で中隊長、九人で副隊長、さらに十人目のジュニン・グルゥツを破れば当然のことながら、エリュン郡守備隊の隊長となれるのだ。
もっともこれまで五人以上勝ち抜いたものはいないから、この基準は名目上のものと考えたほうがいいのかも知れない。
ナアイは当然、最初から剣士の称号を得られる三人抜きを狙っていた。
見習いから始めるのはまっぴらだ。
しかし、目的を達するには、最低でも、郡守備隊の正式な剣士三人を続けて打ち破らなければならない。それも真剣勝負で。
――勝てるのか、あいつに……
いちど手痛い敗北を喫しただけに、ビルゴとの対戦は気もすすまなかった。
願わくば自分より先にビルゴとあたる三人のうちの誰かが、ビルゴを倒してくれればいい、と、つい気弱になってしまう。
ナアイの期待はあっさり裏切られた。
はじめにビルゴとあたった三十男はビルゴに両腕を切り飛ばされ、ふたり目は、ビルゴの力まかせの一撃を受け、よろめいているすきに胸を突かれ、即死した。
三人目はナアイの最も期待する片目の男だった。
たしかに男はなかなかの腕を見せた。
不幸にも途中で剣が折れなければ、ビルゴに勝てたかも知れない。
ビルゴは、相手の剣の折れたとき、制止しようとした審判の声を無視して長剣を横へ薙いだ。
男の体はほとんど両断されてしまった。
大量の血と内臓が闘技場の土の上へ盛大にばらまかれる。
今、試合の進行が中断されているのは、その後始末のためであった。
闘技場全体が、非情な殺戮にどよめいている。
その大半はビルゴに対する反感であり、見物人達は誰もが、次にビルゴとあたる少年の姿を見て、同情の心持ちとなっていた。
まだ血で濡れている土の上に衛士が立ち、試合再開を観衆に告げた。
たちまち闘技場は静けさに包まれていく。
――四人目の挑戦者……リュグベルリヤ郷出身、ナアイ・クルスム……
呼び出し役の衛士の声が、その静けさをぬって闘技場に響き渡る。
ナアイは立ち上がると後ろをふり仰ぎ、観客席のラフィとトファーズを確認した。
見つけたふたりのその顔は、試合の行く末を心配するあまり、まったくの無表情で、土気色をしているように感じられた。すがりつくような視線を送ってくる。
少年はかつてラシがそうしたように笑顔でその心配に応えてみせた。
闘技場の中心に視線を戻し、ナアイはゆっくり、一歩、また一歩と土を踏みしめながら、ビルゴへ近づいていった。
審判がふたりの武器を点検している間にビルゴが話しかけてきた。
「こぞう、また会ったな?」
ひどい口臭に、ナアイは顔をしかめた。
「トファーズにしっかり可愛がってもらったか、え?」
野卑な笑い顔。
ナアイは相手をにらみつけた。
ビルゴはその目を見ると顔色を変え、小さく低い声でささやくように言う。
「そんな目で俺を見るんじゃねえ……目、その目が気に入らねえ。会ったときから」
まがまがしい殺気が伝わってきた。
「教えてやろう。トファーズの弟もな、そんな目で俺をにらみやがった。どうなったと思う? 俺がこの手で殴り殺してやったさ。おまえは、トファーズの目の前で切り刻んでやる。俺をなめるとどうなるか、あの女に思い知らせなきゃな」
ナアイの中に火がともされた。
トルンドの時とは違う。
それは冷たい光を放って静かに燃えさかる青白い炎だった。
わきあがる怒りは急速に冷え固まり、冷徹な意志を生み出していった。
ナアイは生まれて初めて、明確な殺意とともに剣を握っていた。
衛士の合図で少年と向き合ったビルゴの邪な自尊心は、自分を少しも恐れていないらしいその態度に、いたく傷つけられる。
――なめやがって!
開始の号令と同時に、ビルゴは両手でしっかり握った剣を頭上へ振り上げた。
真っ向から、防御もろとも力まかせに粉砕するつもりだった。
しかし、相手はすでにそこにはいなかった。
――あ……っ?
かがみ込むようにしてビルゴの懐深く入り込んだナアイは、激しい呼気とともに、真下から剣を斬り上げていた。
どうしてそんなところに、と思う余地さえ許されなかった。
ナアイの剣はビルゴの顎から頭上に抜け、返す勢いで、首筋から脇腹までを斜めに斬り裂いた。
振り上げたビルゴの両手から長剣が滑り落ちる。
切っ先を背後の地面に深々とめりこませ、それはまるで墓標のように直立した。
ビルゴの死骸は、傷口から間欠的にふきでる血で、ナアイと審判の服を汚し、やがて力尽き、ゆっくり、そのままの姿勢であおむけに倒れた。
ぴく、と数回、痙攣を繰り返したあと、斃れたそのからだは、動かなくなった。
闘技場は重い沈黙に包まれている。
その静寂の中、審判がおずおずと勝ち名乗りを上げた。
「ナっ、ナアイ……クルスムぅ! ひとり勝ち抜きいぃっ!」
爆発的などよめきが闘技場全体をを覆いつくした。
それはビルゴの時と異なり、信じられないものを見たという驚きの声と、その驚きを創りだした黒髪の少年への賞賛の声だった。
「ちっ、役立たずが!」
ジュニン・グルゥツは、ふがいない部下を心中で罵倒した。
――あんなこぞうに負けるとは!
東の貴賓席に顔を向ける。
三段目、中央。
ああ……なんてことだ、ゾアス閣下が手招きをしている!
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