5.処刑場

幕 間

「それで? ビルゴはバカ羊の役目をするのか」

 郡代ゾアス・ヴェーブは、その名の由来となった雄羊に関する伝承の民話を思い出していた。 


 ――その愚かな羊は、猛獣を恐れ、捕食されないようせっせと他の動物の死骸から皮をより集め、自分のからだの上にツギハギだらけのそれをまとった。

 ちぐはぐで色とりどりの表皮を気味悪がった猛獣達は寄りつかなくなり、雄羊は草原を勝手気ままに歩きまわれるようになったが、結局、その珍しい皮に目を付けた猟師に射殺いころされるのであった――


「奴も必死です。なんとか汚名を注ごうとするでしょう」

 ジュニンもまた、さまざまな皮を合わせたようにまだら色をしているバカ羊の姿と、ビルゴの愚鈍そうな顔を重ね合わせ、少々愉快な気持ちとなっていた。

「あの馬鹿さ加減はいまや町中に知れ渡っていますから、闘技中に何人ひとを殺そうと見物人の反感はすべてあの男へ集まります。仮に、打ち破るものがいたとして」

「それはそれ、やっかいな部下をお払い箱にできる、か」

「多少剣が使えても、〈郡守備隊〉の名誉を著しく損ないかねない男ゆえ、惜しくはありません」


 ゾアスは年若い腹心のせりふに内心苦笑した。

 弟子はその師に似る、か、こいつもだんだん俺のような言い回しを使うようになってきた。


「ビルゴだけではなく、その上をもたおやからが出てきたら、そのあとはどうするつもりだ?」

 想定外の質問に対し、金髪の若者は寸時に対応することができない。

「え? お戯れを。そんな者はいるはずもありません」


 ここらあたりがまだまだ、俺に及ばぬところだとゾアスは思う。

 策謀を完成させるためには、全ての可能性を考え抜き、あらゆる事態に対する術を想定せねばならない。


「黒髪の子ども、な、あれは結構な腕だぞ。数年前のおまえといい勝負かも知れぬ」

 ジュニンは闘技会の進行を監督し、午前の闘技の様子をろくに見ていない。

 ただし黒髪のこぞうのことはわかっている。確か第五試合だった。

 手もとの革紙に書き込まれた、午前中の闘技組合わせ表をちらりと流し見て、ジュニンはまるで、前から知っていたかのようにその名を告げる。

「ナアイ・クルスムとかいうこぞうですか」

「ナアイ? ……クルスム。出身はどこだ?」

 急に興味を惹かれたのか、ジュニンは主人の問いに慌て、しっかりと表を見直す。

「はあ……、 リュグベルリヤ郷、と書いてあります」


 ゾアスは遠い記憶を探り、ラシの出身地を思い出した。

 奴と同郷か、では同姓でも珍しくないかも知れぬ。

 さきほどのナアイの姿を思い浮かべる。


 故郷の古い風景がそれにかぶさった。

 その中心にいる姿を、ゾアスはよく見知っている。

 今日見た黒髪の子どものたたずまいは、どこか、その人物と似ていた。


 ――しかし黒髪とは


 機会あらば、あの子の生まれを問いただす必要もあろう。

 ゾアスはナアイを記憶にとどめておこうと思った。






 走り寄ってきた従姉妹の姿を見て驚く。

「ラフィ! どうして……」

 ナアイは、ものも言わず抱きついてきた彼女の体重を胸で受け止めた。

 息が詰まる。

 ラフィの涙で上着に熱い湿り気を感じた。

「まあ、とんだ色男だわね」

 あきれ顔のトファーズにも、うまく応えられない。


 ナアイは午前中二番目の相手が剣を取り落としたため勝ちとなり、相手を斃すことなく控え所に戻れて、ほっとしているところであった。

 剣士志望者による午前の全試合は終わり、勝ち残った者たちはいよいよ午後の部で郡守備隊の剣士と相まみえることになる。

 ナアイは抽選の結果、午後行なわれる〈郡守備隊〉の剣士とは四番目に対戦することとなっていた。


「ナアイ、なんで、なんで闘技会のこと言ってくれなかったのよ!」


 ひと言の挨拶もなしに郷を出たことより、闘技会に出ることを打ち明けてもらえなかったことのほうが、彼女を傷つけていたようである。

 ナアイに会えた喜びと、思いつめた心がようやく解き放たれせいか、妹のような従姉妹は激しく泣きじゃくっていた。

 その背中をなでて落ち着かせながら、優しく声をかける。

「ヘンニは? ヘンニも一緒なの?」

 ラフィは首を振った。

「じゃ、一人で来たのか!」

 ラフィはナアイの出立を知ると、ヘンニにも黙って山を越し、ここまで来たのだ。


 従姉妹のその大胆な行動力と、無謀ともいえる勇気に、内心感動しながら、ナアイは思わず叱りつけていた。

「なんて馬鹿なことをする! 追い剥ぎに襲われたらどうするんだ!」

 おさまりかけていた泣き声は再び高くなり、すがりついた両腕にさらなる力が込められた。

 再びナアイの呼吸は圧迫される。

 道すがら通り過ぎる客達が、好奇心まるだしにふたりを見ていった。


 事情の一部を理解したトファーズは、見兼ねてラフィをなだめてくれた。

 少しづつ泣き声は小さくなった。

 わずかに顔を上げトファーズを見ると、嗚咽しながら、この人はだれ? とナアイに尋ねる。

 答えるより早く、彼女は自己紹介した。

「あたしはトファーズ。あなたは?」

「……ラフィ……です」

 その声は蚊の鳴くように細々として弱々しい。

 今度はナアイとの関係を探るかのように上目遣いでトファーズを見るが、その顔のあまりの痛々しさにすぐ目を伏せた。


 涙の収まった頃合いに、ナアイはふたりを引き合わせ、正式な紹介を終えたあと、これまでの事情をかいつまみ、従姉妹に話す。


 ラフィもようやく見知らぬ女を従兄弟の恩人と認め、膝を折った。


「どうも、ナアイがお世話になりました」

 唐突なその変化に、トファーズは思わず笑ってしまった。


「よう! 剣士殿。大した剣の冴えだったな! ……わ!」


 大声に振り返ったトファーズの顔を見て、ランドーザが驚きの叫びを上げる。

 彼女は途端に気分を害したようだった。

 かぶっていたショールの端を更に上げ、顔を隠す。

 布で覆ったその奥から、ランドーザをじろりと一瞥した。

 トファーズの顔は昨日より腫れが多少引いていても、初めて見る者には変わらずひどい印象を与える。

 そうなる前の美しさはみじんも想像できない。


 ランドーザの後ろにはルルザの姿も見えた。

 ふたりで陣中見舞いに来たのだ。


「いや、これは失礼。一体どうしたんです?」

「あんたみたいな〈剣士さま〉にやられたのよ」

 そのセリフに恥じ入る様子もなく肩をすくめ、ランドーザはナアイに話しかけた。

「ナアイ、よくやった。あのトルンドって奴は、デテラの剣士隊で十五人の部下をあずかっている男だぜ。この郡じゃ、小隊長ってとこだろうな」

 やっぱりそうか、とナアイは思った。でなければあれほど強いわけはない。


「なんでこんなところにいるのか分からんが、俺が思うにデテラのガドロスが闘技会をひっくり返してやろうとして、送り込んだんだろうな」


 ランドーザはそういう他郡の事情によく通じているらしい。

 自分といくらも変わらぬ歳のようでも、やはりすごい人だと、ナアイはランドーザへ素直な尊敬の眼差しを向ける。


 午後の試合には、まだ時間があった。

 一同はそろって昼食をとることにした。

 トファーズの持参した手作りの干しパンや、肉料理、果物と、ルルザがナアイのために持ってきたガラテマクの郷土料理の数々に、一同はこぞって賛辞の声をあげた。


 ラフィは歳の近いと思われる貴族の娘を意識してか、なにかと自分にくっつき世話を焼きたがる。

 ナアイはルルザの手前、都合の悪い思いをしていた。

 彼女はしかし、そんな従姉妹の態度を気にする様子もなく、親族同士の微笑ましい交流を控え目な態度で見つめているようだ。


 トファーズの素性がそれとなく知れても、ランドーザたちは気にも止めず、むしろ、トファーズの顔を腫れあがらせた男に呪いの言葉を浴びせかけたくらいだった。

「顔の腫れがひいたら、その、一度会いに行っていいかい?」

 ランドーザの誘いに、トファーズは、おあいにくさま、もう剣士はこりごりと答え、場の笑いを誘う。


 平和で楽しい時間は、早々に過ぎていった。

 そろそろ午後の試合が始まろうとしている。


 ナアイは表面上、平静を装っていた。

 実際は試合前の興奮に昼食もあまりとらず、時が近づくにつれ口数も少なくなっていった。


「心配いらないよ。トルンドを倒すほどの腕だ、そうそうおまえさんに勝てる奴はいないと思うがね。守備隊の一番手は、大きな男で、力だけはありそうなやつだったな。………他のはわからんが、あいつなら、たとえおまえさんが相手をするにしても、まあ勝てるんじゃないかな」


 ランドーザの軽い口調につられ、気分も多少落ち着く。

 だが、続くことばに声を失った。


「え――と……確かビルゴ、とかいう名だ」


 ナアイはトファーズと顔を見合わせる。

 彼女の顔は蒼白となっていた。

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