4.闘技会

双 剣

 宴席を中座して、中庭に面するバルコニーに出る。

 冷えた空気が、体にまとわりついた不愉快な火照りをたちまち奪い去っていった。

 背後では、さんざめく客達の耳ざわりな笑い声がまだ続いている。


 ――くだらん戯れごとだ


 ランドーザ・ギュプレイは宴会が嫌いだった。

 中でも、今晩のような政治がらみのものはことに苦手と感じる。

 たしかに〈辺境の六郡〉の郡主達が一同に会するのは珍しいことではあるが、ランドーザにとっては、ただそれだけのことだった。


 ――政治のことは理解できん


 どうして人は権力などというものを握りたがるのか、それもすでに権力を持つものほど、もっと大きな権力を欲しがる。


 なぜもっと、まっとうな願いを持たないのだろうか。


 確かに国や郡を治めるものは必要だ。

 国王や郡主がいなければいいなどとは思っていない。

 しかし、人にはそれぞれ分というものがあり、天から与えられた才能や能力に応じて、治める範囲が決まっているはずだ。


 それが分かっていないのだ、とランドーザは思う。


 ――みんな自分がそれだ、我こそが支配者だと思ってやがるのだ


 今晩の宴席にいる連中の大部分もそういう輩であった。


 『〈辺境の六郡〉は今夜、郡主が一同に会したことを機に、ますます協調と連帯を深め、ルディラ王国北方の要として国王陛下に忠誠を尽くすべきである』


 宴の初めに、賓客代表として乾杯の音頭をとったデテラ郡主ガドロスの言葉に、ランドーザは苦笑した。

 全員もっともだという顔で乾杯していたが、腹の中じゃ、誰が〈辺境の六郡〉の盟主なのかをはっきりさせたいに違いない。


 ――おやじもそのひとりだもんな……


 ランドーザの主人、ガラテマク郡主ダクスは、発展著しいエリュンの情勢を気にして、闘技会に招かれたことを幸いとばかり、前もってランドーザをエリュン探索に送り出した。

 姪のルルザを一緒につけたのは、それを覆い隠すためであった。

 当然、ルルザには何も知らされていない。

 ダクスは、他の点では申し分のない主人と思うが、こと政治に関してだけは他のアホウどもと同じ、であるとランドーザは思っていた。


 ――いや、それでもここの郡主よりはまだましか


 エリュン郡主バパラマズの生気のない顔を思い出すと、苦々しい気持ちとなる。

 権力欲をがりがりむきだすガドロスのような男は、もうどうしようもないが、配下の者にしてやられていながら、何の手を打つこともできない無能さは、他者の哀れみを受けるに値する。


 ランドーザはバパラマズと対照的なエリュン郡主代行者ゾアス・ヴェーブのことを考えた。

 辺境の六郡の中でも、もっとも攻略しやすい、したがって価値のない郡といわれたエリュンを、わずか五年で周囲の郡の脅威となるまでに成長させた男である。

 ゾアスは今夜、諸郡の郡主に、改めてエリュンの発展ぶりと、自分の存在を印象づけるのに成功したようだ。

 客のもてなしをそつなくこなし、貴族の社交にも詳しいと、妻君づれで来たマイアサンの郡主ミカは、しきりに感心していた。


 ランドーザは、歯の浮くような言葉でミカの妻君に挨拶するゾアスの姿を見て、逆に嫌悪感を抱いた。

 俺にはとてもあんな真似はできない。


 ――奴こそ、分を超えすぎている


 いくら有能であろうと、主人をこけにするような男にはヘドがでる。

 ゾアスは巧みにそれを隠そうとしていた。が、その他の家臣達の態度から、実権はすでにバパラマズにないことは明白であった。


 今後どの郡主も、エリュンとの交渉は直接ゾアスに、と考えることだろう。

 突如、ランドーザはゾアスの狡智に気づき愕然とした。


 ――まさか、最初からそれを企んでいたのか


 郡内の掌握が完了し、対外的にも認められれば、あとは称号に関する問題だけになるだろう。

 〈郡代〉が〈郡主〉になるのにそう手間はかからない。


 手はいくつも考えられるが、最も手っ取り早いのは……

 口もとに気弱げな微笑を張り付かせた、バパラマズの娘の窮屈そうな姿を思い出し、ランドーザは暗い気持ちになった。


 ――そうなればあの娘も


 生きてはいまい、いや、婚礼に持ち込むほうが穏便に事が運ぶ。

 四十をいくつも越えているだろうゾアスと、まだ二十歳にもならない娘を結びつけるほうが、郡主の暗殺より、内部の混乱は起きにくい。

 けれど、あの男は、目的を達するためにはなんでもやりかねない。


 ランドーザは直感的にゾアスの性分を見抜いていた。


 ――郡主になって、そのあとはどうするつもりだ、ゾアス!


 ゾアスの野望は、このままではおさまらないという気がした。

 あの男はもっと大きなことを狙っている。

 辺境の小さな郡を乗っ取ったぐらいでは、とても満足できないに違いない。


 ――だが、今ならまだ間に合う。これを逃して奴を葬り去ることはできない。


 ランドーザは懸命にその方法を考える。

 しかしどれも成功は望めなさそうだった。

 郡内の勢力争いに乗じて攻めこみ、制圧したあとゾアスを討ち、主権をバパラマズに返すというやり方も方法としてはあるものの、バパラマズにはゾアスと争うだけの勢力もなく、おまけにゾアスが時間をかけて育てた剣士は優秀で、ちょっとやそっとでは打ち破れないだろう。


 何しろ五年の歳月をかけて練られた計画なのだ、今さらつけいる隙のあろうはずもなかった。


 ――それならいっそ、俺が今夜、ゾアスの首を


 赤毛の剣士は首を振る。


 ――いかんいかん、こんなことは俺の考えることじゃない。郡主どもの政治に関わり合うのはまっぴらだ。ただ、バパラマズの娘がどうしようもなく哀れに思えて、ふとそんな気になっただけだ


 いかんいかんと、今度は声に出して首を振ってしまう。


「いかん、と申されますかな?」


 背後から声がかかった。

 振り向くと見覚えのある痩せた老人がいた。

 バパラマズの家臣だ。


「あんたは、確か」

「郡主バパラマズさまの執事で、ケイルグと申すもの。お見知りおきを」

「ああ、思い出した。知ってるよ。……ええと俺は」

「ランドーザさま。〈双剣〉との通り名で呼ばれておられますな」

「まあね」

 ケイルグはランドーザに並ぶと、バルコニーの手すりに両手を預け、伸びをして夜の空気を吸い込んだ。

 ふたりともしばし無言のままだった。


「今日の宴、いかが思われましたか?」


 おもむろにケイルグが尋ねてきた。

「中座して失礼したかな? 俺は粗忽者ゆえ、ああいう席は苦手で」

「この郡には郡主がふたりいる、と思われませんでしたか」


 ケイルグはランドーザの答えを求めていたわけではなかった。

 ランドーザは老人の横顔をまじまじと見つめた。

 俺にそんなことを聞かせてどうする気だ、まさかゾアスを討ってくれなんて言うんじゃないだろうな。


「いずれ、この郡には新しい支配者が誕生するでしょう」


 老執事の顔は苦悩にゆがんだ。

 ランドーザはその時、理解した。


 ――誰かに、聞いてほしいのだ


 この老人は俺が予想するまでもなく、ゾアスの翻意を見て、その陰謀を身近かに知っているのだ。

 それを知りながら何の手出しもできず、ただ手をこまねいているだけなのだろう。

 ゾアスを退けることもできず、かといって主人をゾアスから守ることもできない。


 ――家臣としてこれほど無念なことがあろうか!


 ランドーザは努めて冷静な声を出した。

「執事殿、他言はせぬゆえ、何でも思う存分語られるがよい。俺も主人を持つ身、あんたの心持ちは分かるつもりだ。聞くことしかできんが、それでよければ、どうぞ」


 老執事は首を横に向けると黙礼した。

 目は少し潤んでいた。


「かたじけない。おこころざしはしっかり承りました。ありがとうございます。いずれ、話す機会もあるや知れませんが、……今はこれで」


 ――やはり、他郡のものには話せんということか


 弱々しげなケイルグの後ろ姿を見送り、ランドーザは少々寂しい気持ちになった。


 ――本心から出た言葉だったのにな


 ケイルグの口を押しとどめたものは何だったんだろう。

 俺が他の奴に漏らすとでも思ったのか? いや、もちろん〈政治〉だ。


 哀れだな。

 ランドーザは心から思った。

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