3.ルルザ

往 路

 城に建て替えられた郡主バパラマズ・グ・リューフの館は、エリュン郡の中心から少し北側に位置し、リューフ・ブールフという丘陵地帯の、最も見晴らしの良い高台にあった。


 ナアイの住むリュグベルリヤ郷は、リューフ・ブールフよりもさらに北方へ山をひとつへだて、意外にも大人の足なら片道二日程度でたどりつける距離に位置していた。


 先代郡主バパナシオズ・グ・リューフは、リュグベルリヤ周辺で狩りをするために、リューフ・ブールフから、かの地までの路を切り拓いた。

 それはリュグベルリヤと山の向こうとをつなぐ、唯一の路らしい路にもかかわらず、往来する者は少なかった。

 北の世界へと先を急ぐ旅人でさえ、周囲を高い山に囲まれた山路を避け、郷を迂回していく。リュグベルリヤ郷は昔も今も変わらぬ陸の孤島だった。


 ナアイは切り拓かれたころの面影がかすかに残る山路を通り過ぎ、ようやくリューフ・ブールフ側のふもとにたどり着いた。

 五年前ラシとともに見たおぼえのある、くたびれ果てた道標は相変わらずそこにあり、南に目指す場所のあることを示す。


 山越えに手間取り、山中で一泊せざるを得なかったのは、大きな誤算だった。


 ――ひとりで郷を出るのは初めてだから、旅の要領が分からないんだ


 そう思うと、昨日の夜明け前、ひっそり出て行こうとするナアイを呼び止め、いろいろな装備品を持たせてくれたヘンニの心づかいに、一層、感謝せずにはいられなかった。


 ――ラフィ、今ころどうしてるかな……


 従姉妹にあいさつもなく出て来たことを少し後悔していた。


 ナアイは、毛布としても使える毛織物のマントを脱ぐと、きれいに巻いて背負子しょいこの上部にくくりつけた。これも叔母の心づかいの一品である。

 もしそれを着ていなければゆうべは絶対に凍えていたはずだった。

 山中で泊まることになるなど思いも寄らず、大袈裟な防寒具は必要ないと考えていた自分の甘さを反省する。


 携帯に便利でかさばらない乾燥肉や、子どもの掌ほどの大きさに焼き上げた、〈マジュー〉と呼ばれる丸形の干パン、食べると体中が熱くなり寒さを感じにくくなるボドの実は、バカ羊の油革に包まれ、水気を通さないようにしてあった。

 同じ油革で造られた紐つきの巾着には十エマル青銅貨が五枚、一エマル青銅貨も五枚入れてあった。


 しかし、もっともナアイが驚き、喜んだのは、食べ物の入った革包みの下に灰色の上着とズボンを見つけたからだった。

 それはかつてラシが着ていたお気に入りの服で、自分の体に合わせ、仕立て直してあった。


 ナアイはその服の胸ポケットにわずかの膨らみを発見し触ってみる。

 硬い、なにか丸みのあるものだ。

 取り出してみると、鈍く銀色に輝く、円形の小さな金属辺だった。上部にちいさな穴が開けられ、そこに糸と皮とで編み込まれた、細身ながら丈夫そうな革紐が通してある。

 人差し指の先ほどの直径。

 表面はなめらかに研磨され、ひんやりとした手触りの良い優美な曲面に仕上げられていた。丹念に作りこまれた感もあり、ちょっと高価そうな品物だ。

 革紐はちょうど首から下げるのにちょうどいい長さで、ペンダントの一種かも知れない。

 ――これはなんだろう、ヘンニはなんでこんなものを……


 装飾品を身につける趣味も習慣もないし、特に関心も惹かれないそれが、なぜラシの上着に入っているのか。

 ラシゆかりの品という可能性もないではないものの、叔父の存命中、こんなものは一度も見たことがない。

 仕立て直すときに、叔母が取り出し忘れた、というのも考えられなかった。

 

 ナアイはそれを値踏みするかのように、陽光へかざしてみる。

 ――あ!

 思わず声を上げた。

 金属片のちょうど中央部がぽっかりと丸く赤く、陽光を透過し、薄く輝いていた。

 見たこともないその仕組みに、ナアイの鍛冶屋見習いとしての好奇心が刺激され、もう一度見なおしてみた。

 

 赤いのはおそらく、何かの宝石だろう。一見、単に小さな金属の塊にしか見えないのは、うっすらと光を透過するほど極限まで薄く磨かれた表面で覆われているからだった。

 側面にはその宝石を挟み込んだ金属の接合痕もあるはずなのに見当たらない。

 どんな製法で作られたのか、よほどの手間暇をかけた巧妙な細工物と知れる。


 宝飾品の好事家なら、大枚をはたいても手に入れたくなるような、そんな品だという気さえする。


 ――お金に困ったときに、換金しろということかな……


 こんな高価そうなものをもとのポケットへ入れたままにしたり、首からかけたりはもうできなかった。

 考えあぐねたナアイは細い革紐の一部をほどいて長くすると、上着をめくって素肌をさらし、腰のあたりに直接それを巻きつけた。

 動いても解けないようにしっかりと結ぶ。

 万一、身体を探られてもこれなら気づかれにくい。


 背負子の中身を一通り整理すると、旅立つ直前のことへ再び思いを馳せる。


 ヘンニはこれら装備品の入った革袋をナアイへ手渡しつつ、黙って行ったほうがいいね、ラフィに泣かれると困るから、とだけ言って、あとは無言のままに見送った。


 叔母を力強く抱きしめると、ナアイはすぐさま郷を後にしたのだ。

 自分の用意したものだけでは、やはり、山を越すことはできなかっただろう。


 それにしても、出立にこれだけの気配りをしてくれながら、見送りは妙に冷淡ではなかったか。

 その前の晩のことといい、叔母の態度は不可解でちぐはぐに感じられた。


 だしぬけにどこからか人の声が聞こえた。


 思考を中断し、素早くあたりに目を配る。軽い緊張感も体を包んでいた。


 ――女の


 悲鳴のようだった。

 聞こえてきた方向を思い出そうとしたとき、またも声が聞こえた。


 今度はまぎれもなく女の悲鳴とわかる。

 その声は、か細く遠く、はかなげに響いた。

 いまいるところより少し離れた林から聞こえてきたようだ。


 ナアイは腰に差したヒコシュの木剣を左手で引き抜くと、背負子を脇の木の根元へ、山路から見えぬように置いた。

 ついでみちを降り、草むらを一直線に、声のした林のほうに進んでいく。

 走りながら、剣を利き手に持ち替えた。


 林に入ってすぐ前方に人影を認めた。

 男が複数、腰をかがめて何かをしている。走る速度を弱め、よく状況を探った。


 男たちの中心に少女が四肢を投げ出し、ぐったりとした様子に気を失っている。

 少女の半身は、中腰の男に後から抱きかかえられるようにして起こされ、正面にいるもうひとりが、しゃがんでその胸元をまさぐっていた。

 三人目の男は、地べたに腰を下ろし、少女の持ち物らしい、きれいな木箱を開けて、中のものをあたりに散らかしている。


 どう控え目に見ても状況が指し示していることは、ただひとつ。


 ――追い剥ぎ


 ナアイの気配に木箱を物色している男が気づき、じろりとこちらを見て、仲間に、おい、と声をかけた。

 鉤鼻で、あばた面の男。

 人を射すくめるような目の光だった。

 その声に少女の服を脱がそうとしていた男が振り返った。

 自分を見て一瞬、驚いたように表情を変えるが、すぐ不敵な笑みを浮かべ、しゃんと立ち上がる。


 大男だった。頭三つ分ほど、ナアイより高い。


「ひひ、お仲間が増えたぜ」

 少女を押さえつけていたのは野卑に笑う小男。

 腰に抜き身のまま短刀を差していた。


 小男は少女を乱暴に放り投げて立ち上がる。

 その行為に、体が、かっ、と熱くなるのを感じた。

「がきじゃねぇか」

「どうする?」

 木箱を荒らしていたあばた面の男は姿勢も変えず、ナアイを見上げた。

「おい、こぞう。見たからにゃふたつにひとつだ、さっさとどっかに行っちまうか、ここで死ぬかだ」

 かすれたような声、その中に命令を下すことに慣れた響きがあるのを、聞き逃さなかった。

 この男が三人組の頭らしい。

 ナアイは無言のまま木剣をそろそろと構えた。


「おいおい」

「本気か? こぞう」


 三人組は意外そうな声音で呼びかける。

 しかし、大男は腰に下げた大だんびらを、小男は短刀を引き抜いて、互いに目配せをすると、にやにや笑いで近づいてくる。

「なあ、考え直すんなら今のうちだぜ?」

「そうさ、女の味も知らずに死んじまうなんて、かわいそうすぎらぁ」

「きれいな娘っこだ。こぞう、いひひ、初物はおまえにやろうか?」

 下卑たせりふを口走りながら、ふたりはナアイをはさみこむため左右に分かれた。

 頭目らしきあばた面は、ゆっくり立ち上がると、背後にまわり込もうとしていた。


 三人組の機先を制し、迅速な行動に出た。


 いきなり走り出すと、左側の小男にせまる。

 小男の野卑な笑いが凍りついた。

 緩慢な動きで短刀を構え直すが、ナアイはもう小男を自分の間合いに捉えていた。


 ひと呼吸で短刀を払い、続けて首筋を打つ。


 ぐ、ひゅ、と異様な声を漏らし、喉をおさえて前にのめる小男の脇をすりぬける。


「こぞう!」


 怒声をしりめに走り続けた。

 背後にふたつの足音が迫る。大男とあばた面。


 充分ひきつけてから、くるりと振り返ったナアイの目に、大だんびらを振りあげた大男の姿が映った。

 振り下ろされる大だんびらが自分の頭に届くより早く、大男のふところに入り込み、下から木剣を振り上げ顎を砕く。

 大男は膝から崩れ落ちた。


 あばた面はナアイの動きに驚愕した。

 が、それでも手下を斃された頭目の意地からか、飛びかかってきた。

 型もなにもない執拗な攻撃だった。

 場数を踏んで鍛えたものらしく、細身の剣で的確にナアイの急所を突いてくる。


 胸元に来た突きを横に受け流しながら、そのまま木剣を相手の剣に沿って滑らせ、相手の手首を打った。


 浅い。


 あばた面は剣を取り落とす。

「ち、ちくしょう!」

 続けて憎しみと苦痛に顔をゆがめ、うなるように啖呵を切る。

「こっ、こぞう! おめえの面は忘れねえ!覚えてろ!」

 打たれた手をかばいつつ、林の奥へ逃げていった。


 ――こんなものか


 初めて実戦に臨んだ興奮がさめるにしたがい、剣の勝負が決まるのは、ほんの一瞬のことで、あっけないものだと実感した。

 たとえ悪人とはいえ、自分の木剣は、瞬時にふたりの命を消し去った。


 ――もう少し、何か感じるところがあっても良さそうなのに……


 ナアイは肩すかしを食らわせられた気分となった。

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