確 執

 バパラマズは扉に向かって声をかけた。

「来たか。入れ!」

 取り次ぎも待たず、ゾアス・ヴェーブが部屋へ入ってきた。


「郡主さまには、ご機嫌うるわしゅう。お体がすぐれぬとのこと、いかがお過ごしで? や、これは! 昼間からそんなに飲んでいては、ますます体をおかしくなされますぞ!」


 家臣の礼を解きつつ、ゾアスは郡主に近づき、手から酒の入った器を取り上げた。


「何をする!」

 ゾアスはバパラマズの努声をものともせず、自分の主人をたしなめた。

「飲まれるのは、少しひかえられたほうがよろしい」

 器を取り戻そうと、伸ばしかけた手を引っ込め、バパラマズは憎々しげにうめく。

「わしの金で買わせた酒だ、自分の好きなように飲む! 貴様のように、自分のものでもない金を好き勝手につかうのとはわけが違うぞ!」

「これはまた、妙なことをおっしゃられては困ります」

「困る? ほ! これまでの闘技会に貴様は一体、いくらつかったのか知っておるのか? もちろん、知っておろう。だが、それらはみんなわしの金庫から出てゆくのだということまでは知らんようじゃな!」

「いえ、存じ上げております」

「ぬけぬけと!」


 ゾアスは細い目を大きく見開き、郡主に宣言した。


「私めのこれまでの所行。もとはといえば、郡主さまより賜った命に従ったまででございます。決してこのゾアス、その目的以外のことで、金庫より郡主さまの財産を持ち出したことはございませぬ」

「わしの命令だと!」

「はい。このエリュンを近辺に並びのない優れた郡郷ぐんごうとなし、その実力を持って、この地は辺境にあらず、と」

「だ、だまれ、だまれ! なんだそれは! 闘技会にわしの財産を費やすことと、それに何の関係があるのか!」


 激高したバパラマズに対し、ゾアスの目は再び細まり、低い声となった。


「エリュンが、辺境の六群の中でさきがけとなるためには、周辺他郡との協調、もしくは併合、が必須。」

「う、む」


 周囲の室温が急激に冷えたようだった。

 バパラマズは息をのむ。


「しかし、友好的に協調などと言ってみても、わが郡に得るものは少なく、主導権を握ることすら定かなものではない。そこで、武力によって他郡を抑え、時満つれば進出。そうしてわが郡の一部となす。あの時、確かにこう申されましたな」

 バパラマズは反抗的にゾアスから顔をそむけ、天井をにらみつけた。


 郡主は麻の肌着の上に、豪華な刺繍の入った丈の長い上衣をはおっていた。

 一方ゾアスは家臣の通常着るものより少し上等な、しかし郡代という立場の人物にしては質素に見える腰丈の上着をまとい、その上に軽い革装の胸あてを吊っている。

 身分の違いは服装によって明らかだが、服を除けばどっちが郡主か分からんな、とジュニンは内心、苦笑した。


「それゆえ、この五カ年はその準備の時とし、これまでいろいろ備えてまいったつもりでございます。」


 ゾアスは昂然と言い放つ。




 エリュン郡主バパラマズは、自分が郡主になる以前から、エリュン、デテラを含む、ドアース、ガラテマク、マイアサン、ルブリなど、いわゆる〈辺境の六郡ろくぐん〉と呼ばれる地域を、武力によって統一したいと考えていた。

 しかし、この野心は、バパラマズが郡主となってからも、ひとりの郷士ごうしのため、長年、実現にはいたらなかった。


 ラシ・クルスムはエリュン郡出身の、かつては諸国にそれと知られる、名高い放浪剣士だった。


 長年の修行から生国に突然舞い戻ってきたラシは、郡の中でも僻地へきちとして知られるリュグベルリヤごうで鍛冶屋を細々と営んでいたものの、ひとたび隣郡りんぐんデテラとの争いが起こると、剣士として勇猛果敢に戦った。


 当然バパラマズもラシの働きを見過ごせず、村郷むらざとを治める郷士の地位を与えた。

 ラシの、剣士としての腕を買ったバパラマズは、自分のかかえている剣士隊の剣術指南を依頼し、ついで、有事に駆り出される郡民の指揮権を与えていた。


 ただ不幸なことに、ラシはバパラマズの野心には無関心だった。

 いや、むしろ他郡への進出には反対の立場を貫いていた。

 そのためふたりの間には越えることのできない溝が、月日を追うごとに大きくなっていったのだった。


 異国の放浪剣士ゾアス・ヴェーブがバパラマズの館を訪ねてきたのは、ちょうど、両者にはついに決定的な対立が生まれていたちょうどその最中の事だった。


 長年の私怨を晴らすべく、隣郡デテラへの進出を決定した郡主に、ラシは猛然と反抗し、対するバパラマズはラシの指揮権を剥奪しようとしたが、ラシは一切の戦いを放棄するよう、エリュン全ての村郷へ通達するといって、一歩も譲らなかった。


 ラシは長年の功績によって郡民達の信頼もあつく、バパラマズとしては歯咬みするより仕方がなかった。


 郡民達が自分のほうを支持するという自信はなかったのである。


 ゾアスはバパラマズの遠縁の親戚から、諸国修業中の優秀な剣士として紹介された男だった。


 バパラマズの苦悩を見抜いたゾアスは進言をもって、解決の道を指し示す。


「恐れながら、近ごろ、郡主さまは〈あること〉にお心を煩わしとのこと。一介の剣士に過ぎぬこの身ではございますが、いささか策を思いつきましたもので、よろしければ」


 バパラマズは思わず耳を傾けてしまった。


「ラシ・クルスムという男、私もかつて耳にしたことのある剣士でございます。ところで〈剣士の十法〉の第六項に〈つるぎ持つ者と戦い…〉というくだりがございます」

「うむ、確かその後は〈剣なき者のために汝の剣を振るえ〉であったかな?」


 思わぬ横入れに出鼻をくじかれ、ゾアスはわずか口をつぐむが、すぐ話を続ける。


「さすがは郡主さま、よくご存じで。ところでこの項は、剣士同士の私闘いさかいによく引用されてございます。つまり、剣持つ者とは剣士のことであり、剣士は剣士へ挑戦することが許されている、という解釈が成り立つのであります。」

「ふむ。……続けよ」

 バパラマズは手を振り、話をうながす。

「一般的な〈剣士の十法〉の解釈では禁じられておりますが、実際、諸国を巡っておれば、この第六項を元に私闘を行うことはむしろ適法とされております。そうでなければ、剣士が侮辱を受けたとき、己の裁量で戦いを始める機会が少なくなるからであります」

「ところで、貴殿の話の本題はどこであるのかな?」

「少々お待ちを。ここからが本題でございます」


 せっかちで我慢の足りない郡主は、もうゾアスの話に飽き始めている。


「ラシ・クルスムという男も、それがし同様、諸国を訪ね歩いたと聞き及んでおります。それならば、当然剣士が剣士に挑戦を受けたとき、必ず受けねばならぬことを知っているはず。もし挑戦を受けきれぬならば、その者は剣士の資格なしと見られるからでございます。なにしろ〈剣持つ者と戦え〉でございますからな。剣士の挑戦を受けぬ者は、剣士ならぬ〈剣持たぬ者〉なのです。」

「……ということは察するに、誰かをラシに挑戦させる……つまり、そちか!」

「ご明察、感服いたします」

「して、そのねらいは?」


 ゾアスは、軽く息を吸うと、一気に己の企図きとを開陳した。

 

、と仰せられればよいのです。おそらくラシは〈剣士の十法〉第三項〈汝の剣を義なきいくさに仕えさせてはならぬ〉とでも考え、郡民をいくさにかりだすことを阻止しているのでしょう。ですから私を郡主さまの手の者と見れば、指揮権を渡さないためにも、必ずや挑戦を受けるはず。また、もし万が一、私の挑戦を受けなければ、ラシに剣士の資格なしと言い広め、と仰せになればいいのです。」


 バパラマズは身を乗り出しかけ、思いとどまったように椅子へ座り直した。

 その目は虚空を泳いだ。


「なるほど。が……ラシは郡民に慕われておる。仮に勝ったとしても、みなはわしの言うことに従うかどうか」


 ゾアスは口の端を上げ、初めて表情を変える。

 肉食の猛獣を想起させるような尖った犬歯が、薄い唇の端から垣間見えた。

 

「なに、ラシが死ねば、後のことはどうとでもなるものでございますよ。」


「討つ……というのか、あのラシを? そちにできると?」

「自信がなければこのようなことも言えませぬ。」


 結果、ゾアスは勝ち、エリュンにとどまり、ラシの代わりを努めることになったのだった。

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