ラブアリスのヴォイド

大村あたる

ラブアリスのヴォイド

「なあ、いいだろ。抱かせてくれよ。姉ちゃん『ラブアリス』だろ?」

 男は軽薄そうな笑みをヘラヘラと浮かべ、こちらにニキビ痕だらけの顔を近づけてくる。気持ち悪い。だけどそんな私の気持ちとは裏腹に、私の身体はほとんど反射的に男の乾ききった唇に自身の唇をあてがった。他に使用者のいないラブアリスの出すOKのサインであり、同時に契約認証のサイン。男の手をぎゅっと握りしめ、共にホテル街へと消えていく私の身体。男のじっとりと湿った手汗が掌を伝わって私に流れてくる。キモチワルイ。汗と唾液から採取されたDNAによって個人を特定。すぐさまデーターベースから男の個人情報が流れてくる。岸高和弘。年齢42歳。職業・大手広告代理店の営業職。経験人数0。精子運動率B。精子濃度B-。遺伝子レベルB+。そこそこの個体。きもちわるい。きもちわるい。



 おどろおどろしいピンク色の部屋の中、ベッドの上で私に股がり男が必死に腰をうちつけてくる。そのたびに私の身体は大げさに嬌声を上げ、男の体を強く抱きしめる。やがて男は達し、私の中へと精子を注ぎ込む。気持ち悪い。しばらく放心状態になった後、男はゆっくりと立ち上がり、全裸のまま煙草をふかした。煙草の煙が私の顔へとかかる。キモチワルイ。煙草を吸い終わるとシャワーを浴びたのち、男は足早に部屋を去って行った。男が去った部屋に一人取り残された私の身体は、男の体液にまみれた体のまま服を着直し、しばらくベッドに座り込んでボーっとしていた。きもちわるい。きもちわるい。


   〇


 『ラブアリス』は政府によって作られた精液回収用の肉袋の俗称だ。私達ラブアリスは街に常時されており、常に使用者を求め続ける。契約が成立した場合には契約認証時に読み取った個人情報によって適切に精子を回収する。そういう風に制御されている。使が終わったラブアリスは速やかに政府公認の回収場所へと向かい、そこで回収した精子を排出する。それが私たちの役目。作られた意味。気持ち悪い。

 私はそんなラブアリスでありながら、何故か明確な意識と個を持っていた。もっとも他のラブアリスたちにも、もしかしたらそんな意識と個があるのかもしれない。だがそれを確認する機会は私にも、他のラブアリスにも、或いは人間達にも訪れることはない。私の意思とは全く無関係にラブアリスとしての私の身体は精子を求め、それ以上の行動をとることは出来ないからだ。キモチワルイ。 


   〇


 しばらくして私の身体はゆっくりと動き始め、ホテルを出て回収場所へと向かう。歩みは昔に比べ、かなりゆったりとしたものとなっていた。稼働から時間が経ち、エネルギー消費効率が出荷直後と比べて明らかに落ちている。世にラブアリスが出てからはや20年。最初は非難の嵐に晒されたものの、少しずつ社会に受け入れられ始め、ラブアリスも既に第四世代が出荷されていた。それと同時にわたしのような第一世代は徐々に社会から姿を消しつつあった。消えた第一世代がどうなったのかを知るすべはない。私は所詮ただのラブアリスなのだから。

 ビルのガラスに映る私の姿は、もう20年前の可愛らしい少女の姿を保ってはいなかった。目じりや額、そして手のひらには無数の深い皺が刻まれており、胸も尻もハリを失いだらしなく垂れている。背中は小さく丸まり、髪には白髪が混ざってきていた。回収場所での手入れはいつも念入りに行われているが、そんな手入れでは隠しきれないほどに、私の肉体の老朽化は進んでいた。気持ち悪い。

 回収場所近くの路地に入れば、第四世代が男たちに輪姦されている現場に鉢合わせてしまった。第一世代である私の身体は一人分の精子しか保存できないが、第四世代の彼女たちは複数人の精子を保存できるらしく、よく街中で輪姦されている姿を目撃する。彼女を犯していた取り巻きの一人がこちらに気付く。

「お、追加のラブアリスじゃん。丁度いい、穴が足りないと思って……、ってなんだよ第一世代プロトか」

 私の身体を見るなり、彼はつまらなそうにそう吐き捨てた。ラブアリスは頬に識別番号が振り分けられており、それによって世代を見分けることができる。きっと彼もそうやって私を見分け、体から発せられる精液の臭いから使用済みであることを読み取ったのであろう。キモチワルイ。

 だが私のその考えは、次の彼らの会話で打ち消されることとなった。

「おいどうしたんだよ、追加のラブアリスなら歓迎するぜ」

「いや、第一世代プロトだ。こいつにゃ手をだしたくねーよ」

「なんだよつまらねぇな。穴が足んなくて困ってるってのに」

「でもよお前ら、じゃあ第一世代プロトにツッコ見たい奴がこの中にいるってのかよ」

「いやー、俺は無理だな。なんつーかババくせーんだよ」

「あーわかるわそれ。第四世代オニューのほうが反応も締まりもいいし、なにより身体がわけーんだよな」

「え、お前第一世代プロトにツッコんだことあんのかよ。きもちわりー」

「なんかさ、第一世代プロトって汚ねー感じするんだよな」

 ババくさい。汚い。反応が悪い。どれも本当のことだ。第一世代が消えていっている理由の一つが、そういった老朽化による需要の少なさであるとさえ言われていた。古臭い第一世代はもはやお払い箱なのである。きもちわるい。きもちわるい。

 彼らの横をゆったりとした歩みで通り過ぎる。彼らの下卑た笑い声が、馬鹿にするような嘲笑が、私の耳に否応なしに入ってくる。本当は足早に去りたかった。人間のように涙を流したかった。でもそれは、ラブアリスに許されていない行動だった。


 やがて回収場所の建物へと到着した私の身体は、施設内の精液回収室へと向かう。途中で数人の職員、それと数体のラブアリスとすれ違った。回収室では既に何体ものラブアリスが精液を抽出されており、私の身体もその一体となるべく、空いている座席へと腰かけた。気持ち悪い。


   〇


 昔は、私たちは愛されているのだと思っていた。みなから求められ、一時は人権運動まで巻き起こったほどだった。政府から個人で買い取りたいという人もいた。デートプランまでたて、私をエスコートしてくれた人もいた。私は、『私』が愛されているのだと、内に秘めるしかなかった意識の中でたしかにそう感じていた。

 そう勘違いをしてしまった。

 やがて第二、第三世代と進むにつれて、その認識は間違っていたと思い知らされた。世間の男たちの目は旧世代から新世代へと移っていき、私達第一世代に目を向ける人々は少なくなっていった。残った人々もほとんど私たちを人扱いせず、ただ性欲のはけ口として使用していた。個人に買い取られたあの子は、数年後に山奥に無残な姿で投棄されていたとどこかのニュースで報道していた。その時知ったのだ。私は『私』として必要とされているのではなく、『ラブアリス』として必要とされていたのだ、と。それがラブアリスとしての本来の役割なのだと。道具としての、役割なのだと。

 それでも、私の身体は人間を愛し続けた。


   〇


 やがて抽出が終わると、私の身体は整備室へと向かうはずだった。20年間繰り返してきた私の身体のルーチンワーク。精液を溜め、回収室で抽出され、整備室で髪や肌を整えられ、そしてまた街へと繰り出す。だが何故か今日はそのサイクルから抜け出し、私の身体は施設の奥へと進んでいった。

 やっと抜け出せるのかと思った。誰にも愛されず、誰に愛を伝えることもできない、この空虚な日々から。私の身体が、ようやく私の意思に呼応し、この狂った世界から脱出を試みているのではないかと。

 


 今私の目の前にあるのは、口を開けた大きな焼却炉。



 私の身体は、ゆっくりとその焼却炉へと向かっていく。ごうごうと音を立てて燃え盛る火の海へ。私の意思とは関係なく。

 何故だか、気持ち悪くはなかった。

 

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ラブアリスのヴォイド 大村あたる @oomuraataru

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