進路と空想科学とおいしいコーヒー
三年生の卒業―つまり先輩の―を間近に控えた頃…
先輩の卒業は、複雑な気持ちです。寂しいと言う気持ちがないわけではありませんが、週末に剣道場で会うこともありますし、元から先輩と後輩って関係は、よくよく考えると”仲がいい”と言えるかどうか。
友達ってわけでもなし、ちょっと不思議な関係なんですよね。
だから寂しくないはずなのに、ちょっとだけ胸がチクリとするのが、自分でも不思議だったんです。
まぁ会う回数はかなり減るから、読書話が出来ないのが寂しいのなか、と自己分析してました。
いつもそこで思考は打ち切り。どことなく目の前に差し迫った環境の変化から、目を背けていたんでしょうね。
鈍いにもほどがありますね。
物語の主人公たちと唯一の共通点かもしれません。
実際、先輩と会う機会はがらりと減ってました。三年生は自由登校で、あんまり学校にも顔を出しませんし。
だから珍しく雪が降ったその日、二週間ぶりに先輩を見かけて「先輩!」思わず声をかけたんです。
周りには先輩の友達が結構いて、廊下だったので私の声は勿論筒抜けでした。
後さき考えない行動の後に来るのは、恥ずかしさと後悔。
「どうした?」
って振り返った先輩と、周りでにやつく先輩の友達を前に、私は「えっと…久しぶりです」と小さくなりました。
まぁそれだけ言って、すぐに頭を下げてその場を後にしたわけです。
新しく読んだライトノベルの話をしたかったんですが、それよりも私はその場を後にすることを優先しました。
そしてまた後悔です。
もう恥ずかしい思いをしているのだから、そのまま先輩と話したって、これ以上恥ずかしい思いをすることなんてないのに…って。
恥の上塗りならぬ、後悔の上塗り。
その日は一日中、私はため息ばかりついていました。
結局家に帰っても気分は晴れず、仕方なしに読みかけだった”おいしいコーヒーのいれ方”の続きを読み始めたんです。
”おいしいコーヒーのいれ方”は、村上由佳による恋愛小説です。
主人公は、いとこの美人美術教師&その弟と三人暮らしをすることになり、次第に二人はひかれていく。大体のあらすじはそんな感じです。
元々ライトノベルではなく、”天使の卵”でデビューした恋愛小説家である作者の短編が、人気がでたのでシリーズ化したものです。
この人の恋愛小説はどこか現実味があるんですよね。
主人公がいとことの恋愛に悩みつつ、少しずつ成長していく様や恋愛が進展する展開は、ニヤニヤしながら見てしまいます。
それに主人公は素敵なんですよね。家事が万能の悩める高校生って、なんかいいです。
驚くべきことは、悩める男子高校生(主人公)の心理描写を書いているのは女性ってことです。
緻密な心理描写は、やっぱり貫禄の女性作家って感じです。
それを読みつつ、私は今日あった後悔を忘れようとしました。
ですが確かに後悔は何処となく現実味がある描写や、主人公が進路で悩む話もあって、私はふと―
「来年は先輩がいないんだよね…」
―今まで目をそむけていた事実に、ようやく目を向けたんです。止まっていた思考は先に進み始めました。
先輩が卒業すれば、次は私の番。すでに進路希望などは出していますが、ぼんやりと私の成績で行けそうな高校に進学するんだろうなってことしか、頭にありませんでした。
だけど”おいしいコーヒーのいれ方”に出てくる主人公は、そうではありません。自分の進路で悩み、葛藤し、決断して進むべき道を選んでいました。
私はどうだろう。適当に考えて、漠然とした将来しか見ていなくて、良いのだろうか?流されるままでいいのだろうか?
このまま進めば、先輩との読書談義も、今までよりガクッと減る。高校に進んだ後、更に大学とか就職とか…その時になれば、”中学校の先輩後輩”なんて薄い関係では、きっとほとんど話なんてしないんだろうな。なんて…
―
――
―――それはやっぱり嫌だと思ったんです。
私はこれからどこに向かって行けばいいのか?初めて将来について考えた瞬間でした。
そこで思い出したのが、”おいしいコーヒーのいれ方”の前に読んでいた空想科学読本でした。
ライトノベルではありませんが、アニメや漫画、小説などで出てくる空想の力(魔法とかハイジの巨大ブランコとか)を科学的に検証するって内容の本です。
空想を科学する。なんて夢がない本ではありましたが、それまで”空想だから”で片づけられていた受け手(読者や視聴者)の疑問に答えてくれた名著です。
それまでもルパン三世の解説書(五右衛門の斬鉄剣がこんにゃくを切れないとか)の単発本はあったのですが、いろんな作品を科学的にってのは、たぶん私が知る限りここまでしっかりしたのは初めてだったのかなって思います。
それを読んだ時、知識(理系全般)があれば自分もこんな視点で作品を見れるのかな?と好奇心を持ったんです。
私が将来について初めて考えた時が今なら、少し前に私が勉強に対して初めて好奇心を抱いたのは、”空想科学読本”を読んだ時でした。
元々、国語社会その他諸々は駄目でしたが、理系数学はそれなりに得意だったんです。
パズルを解くみたいで面白かったし、勉強の中では比較的に好きでした。
とは言え他の成績が散々だったので、総合的にはよく見て中ノ下だったんですよね。
そんな私がもし将来進むのなら、その理系方面がいいかもしれない。そして自分も空想科学読本とか、ライトノベル作家みたいに本も書いてみたい。
漠然と思い描いた将来に、先輩がいてほしい。出来ることならこれからも、読書談義を続けていきたい。
―どうして私は先輩をそこまで…
その答えが出るより先に「電話!聞こえてる!電話よ電話!」部屋の外から母の声が聞こえました。
ほんと、今思えば小説のような丁度いいタイミングですね。
私はごちゃごちゃになった思考をいったんやめて、呼ばれるがまま部屋を出て電話の前に立ちました。
私に電話がかかってくるのなんて珍しい事です。勿論、携帯電話なんて持っていませんでしたから、友達と遊ぶ約束は学校で。どうしても連絡が必要な時にだけ、お互いの家にかけます。
そういう時代背景もあって、私は首をかしげつつ耳に受話器を当てました。
「はいかわりました」
『元気か?』
電話口から聞こえてくるその声は、先輩の声でした。
驚いたし、焦りました。だってまさか先輩から電話がかかってくるなんて、予想していなかったんです。
携帯電話がある今より、親とかに受話器を取られる可能性が高い昔のほうが、よっぽど電話の価値(危険性)が高くて、家族に変な話だと勘ぐられようものなら、後で突かれて悶絶します。
それが先輩とは言っても、異性となれば尚更の事。
しかも大抵の家が、家族が揃う場所に電話を置いていますから、話の断片はどうしても聞かれてしまうんです。
その危険を冒してまで先輩が電話をかけてくるなんて、誰が予想できますか?少なくとも私には無理でした。
「あの、どうしたんですか?」
気の利いたことなんて言えず、詰まったような声が出ました。
『いや、昼間悪かったなって思って。話って何だった?』
「あ、その…大したことじゃないですよ。久しぶりだったから、本の話でもって思ったんです」
『そうか…なら明日も学校に行くから、放課後一緒に帰るか?』
「本当ですか!」
思わず声を上げてしまいました。その時の私には、近くに母がいることなどすっかり忘れていました。
それから一言二言、すぐに電話を切りました。ゆっくりと受話器を置いて、ため息を一つ。
それから自分の部屋に帰ろうとした私に、母が話しかけたんです。
「嬉しそうね」
母はニタニタと笑っていました。面白いものを見つめるようなその視線に、私は恥ずかしさを思い出し、「なんでもないから!先輩、剣道部の先輩!」それだけ言って、部屋に帰ったんです。
部屋に戻ってから、私はすぐに自分の顔を確認しました。
恥ずかしさで赤くなった顔、だらしのない口元―満面の笑みでした。
自分でも不思議な位、嬉しそうだったんです。
もう母の誤解を解くのは無理。というか、誤解などではないと、自分でも気が付いていました。
私は先輩に電話をもらって、嬉しかった。確かに、嬉しかったんです。
これからもどうして先輩と居たいと思うのか?その答えに、私はようやく気が付いたんです。認めたくはなかったですけどね。
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