富士見のドラマタとキリランシェロ

 さて中学生の私には、当時、毎日小さな悩みがありました。

 まぁ今思えば、そんな小さな事で悩んでたんだろうって気もするんですが、結構真剣だったんですよね。

 あの日もちょっとしたことで、私は悩んでいました。竹刀を振っている間もその悩みのせいで気が重く、面の奥で何度溜息をついたことか。

 よくそんな悩んでいられたなって、今なら笑っちゃうんですけどね。結局一日が過ぎ、悩みは解決しないまま。日も暮れて夕方になりました。


 その時はもう冬が間近。日が短くなると剣道部の活動も少なくなり、3年生の先輩方が顔を出す機会も減っていました。

 ですが私に読書を教えた先輩はと言えば、どういうわけか成績は十分、推薦でほぼほぼ進学が決まっていたんです。

 本人は毎日の積み重ねが―なんてよく聞く言葉を言っていましたが、悔しいですが、出来がいいんです。

 なんで私に読書なんて勉強時間を使う趣味を教えておいて、成績を下げておいて、自分だけ意気揚々としているのか。私は理不尽に感じたものです。

 そんな先輩は、剣道がやっぱり好きなようで、剣道部に週に二日程度は顔を出していました。

 その日は(二年生、私と同学年)が休みだったため、先輩と新しく副部長になった私が剣道場の戸締りをすることになったんです。

 片づけは殆ど終わり、後は先輩と最後の戸締りを確認するだけ。

 私と先輩は、暗くなり始めた剣道場の中をゆっくりと確認していきました。その最中も、やっぱり私の悩みは消えずに、思わずため息がこぼれたんです。

 それに先輩は気が付いて「どうした?」と声をかけてくれました。


「いや、別に…」

「そうか?」


 先輩は首をかしげましたが、私は何も言えませんでした。

 そもそも男子に相談できる悩みじゃなかったんです。

 友達に相談しても答えが出るものでもないし、きっと母は私と同じ悩みを抱えていたかもしれませんが、あのお気楽な母に何か言えば、返ってくるのは「大丈夫よ」なんて台詞だけです。


「ふーん、そっか…あ、そうだ。お前に読ませたい本があったんだよ」

「また新しいの買ったんですか?」

「今度のは新しいのじゃなくて、古いやつだ。まぁ人気作だから読んでおいて損はないし、名前ぐらいは知ってるだろうけど」


 戸締り確認を終えると、先輩は私に一冊の本を手渡しました。

 元気づけてくれようとしたのか、それとも元から本を渡す気でいたのかは、正直分かりません。

 だけどこの本が、私の悩みを吹き飛ばしてくれたんです。


 本の名前は『スレイヤーズ』

 富士見ファンタジア文庫の名作です。

 これを語るのなら、きっと同時期に人気だった魔術師オーフェンも説明しなくてはいけないでしょう。


 この二作品で、富士見ファンタジア文庫はその名の通り、ラノベファンタジーで二大金字塔を打ち立てました。

 この二作の人気絶頂期は、ラノベといえば富士見=ファンタジーなんてことを言う人すらいたらしいです。


 私も名前だけは知っていましたし、土曜夕方にやっていたアニメを見たこともあります。”読書に夢中になる前の私”が、名前を知っているってだけで、ものすごい事です。

 だからこそ、当時のライトノベルを代表する名作と言えるかなって思います。

 まぁ同時に、ラノベ=あかほりさとる=キャラクター物と言う人も居たようです。


 それはさておき、この二作のあらすじから。


 スレイヤーズは、破天荒な天才魔導士リナ インバースが、何やかんやファンタジー世界を冒険して、時たま魔王の腹心とか倒す話です。リナインバースが本当に良い性格をしているんですよね。ほんとに、”いい性格”なんです。

 お金に困ったら盗賊を退治して路銀を稼いだり、食事は豪快だし、我は強いし…自由奔放なんです。

 それが魅力でもあります。


 対して魔術師オーフェンは、(リナインバースと比べると)クール系の魔術師オーフェンが旅をする話です。

 主人公がタイトルになるだけあって、オーフェンは格好いいんです。

 冒険もさることながら、私が一番大好きなのは話の最後。ハッピーエンド?なんですよね。それがすごくうれしいんです。なんででしょうね。


 この二作品の特徴としては、昨今の転移と違い基本異世界で完結する物語だと言う事です。

 何故これほど有名になったのかと言えば(勿論、面白いからですが)、私の仮説は二つ。

 一つ目は、それまでの本格ファンタジーと一線を画したことが挙げられると思います。

 前に挙げたフォーチュンクエストはゆるふわファンタジーというジャンルで新境地を開拓したのに対して、スレイヤーズとオーフェンは、ゲームっぽいカッコよさがありました。

 ファイナルファンタジーとか、ドラゴンクエストとか、ゼルダ、クロノシリーズ、ロマサガetc

 そんなゲームでファンタジーに触れた層が、すっごく入りやすかったんだと思います。

 例えば呪文。RPGの技名みたいなんです。

 オーフェンでは「我は放つ光の白刃」って台詞があるんですが、それまでのファンタジーであった呪文ナシやよくわからない言語の呪文ではなく、日本語としてのカッコ良さがあるんですよね。


 スレイヤーズでは、「黄昏よりも暗きもの、血の流れよりも赤きもの、時間の流れに埋もれし偉大なる汝の名において、我らが前に立ち塞がりし全ての愚かなるものに、我と汝が力もて滅びを与えんことを…」だったかな?ちょっと抜けてるかもしれませんが、そんな感じのドラグスレイブって呪文が出てきます。

 もうこの言葉を聞くだけでちょっとぞくぞくしたり。

 やっぱりあの当時の小説に出てくる呪文や前口上、台詞周りってのは、どうにも心を揺さぶられるものがあります。


 二つ目の理由としては、この二作品はアニメ化ラノベの先駆けであることがあげられます。

 どっちも本当に面白かったです。今見てもきっと楽しめるかな。展開が遅かったりするのはご愛敬だけど。


 勿論どちらの理由も、私の個人的見解に基づいた仮説です。

 ともあれ未だに根強い人気があるのは間違えありません。


 それで話は戻りますが、そのスレイヤーズを私は先輩に渡されました。

 その時に先輩は言ったんです。


「主人公が可愛いんだよ」


 ぽつりとこぼした後、しまったと先輩は口をつむりました。

 きっと先輩の本心でしょうが、しかし後輩とは言え女性に対して言うべき感想ではないと思ったんでしょうね。

 私も内心で「先輩もそんな事考えるんだなぁ」なんてちょっと軽蔑もしました。

 でも、この一言が私を助けてくれたんです。


 家に帰って読んでみると、挿絵はともかく、設定上は「リナインバースはまな板」と書かれていました。

 それを先輩が可愛いと言ったんです。

 だから私の小さな悩み何て消えてしまいました。

 まぁそうです。小さなことなんです。小さな悩みだったんです。

 先輩は気が付いていないでしょうが、軽蔑ついでに先輩を見直したわけです。

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