序奏 『さだめ』と名付けられた第四小節

 ルフサは夜毎、美しい妻たちを侍らせ、宴を開いた。

 正体のなくなるまで酒を浴び、だらしなく床に突っ伏して朝を迎える。


 ルフサは、自分の心が満ちたるものを得ない苦しみに捕らわれていた。すべてを手に入れても、それはなにか欲するものとは違っている。



 その夜、兄アシンタからの贈り物が傍らに置かれていた。美味い酒と、美しい絹衣。兄はルフサの生まれた日を年毎に祝ってくれる。


 だが、ルフサはアシンタに疑惑の心を持っていた――それは己のせいだ。兄をだまし、おとしいれた。兄の妻は凌辱りょうじょくの哀しみで命を絶った。兄の心になにがあるのか、知らぬなずはない。


  ルフサは、贈り物の酒を捨てさせた。しかし、衣は……。


 みごとな繻子織しゅすおりの絹の衣を着て、酔ったルフサは舞を舞った。右にゆらり、左にゆらり……くるりとからだを廻して、突然床に倒れ伏した。

 妻たちは誰もが、いつものことと思った。主人は酔って、そのまま寝てしまう。


 マローナの後ろで、ウワンデが囁いた。

「奥様、あれは毒です。ご主人様はお亡くなりに……」


 マローナが駆け寄ると、確かに、ルフサは息絶えていた。


「その衣に触れてはならない。あなたも同じ目にあう」

 ウワンデはマローナの手を掴んだ。

 マローナはそのとき、衣からたちのぼる香りに気付いた。夢で記憶に入り込んだ男の匂いと同じ。衣に擦り込んである毒草の香り。

 しかし、その香りが、マローナを、囚われの檻から救い出してくれる。夢の中ではそう思えた。



 期を待って、アルウと、彼に従える男たちがルフサの屋敷に乗り込んだ。


 すでに息絶えたルフサを取り囲んで、女たちが泣いている。召使たちは姿を消した。主人の死を悲しむ者はない。女たちは自分の運命に怯えているのだ。ルフサの存在を消し去るために、妻たちも殺されるだろう。


 アルウは、その場から逃げ去る男と女を見た。


 ウワンデに手を引かれて逃げるとき、マローナはアルウを見た。


「彼が追ってくる。わたしたちは殺されるわ」 マローナが振り返る。

「なにも見ないで。走るのです」 ウワンデは足を速める。

「お願い」 息を荒げながらマローナがいう。

「わたしを捨てて逃げて。あの人の足元に、わたしを置いていって。わたしは知っているの。あの人がくるのを待っていたのよ」

 そして、マローナはウワンデの手を離した。


 女を捕えざま、アルウはその胸に剣を突き立てた。

 女ははっと息を呑み、運命に抗おうともせずに、アルウの剣を受け入れた。

「あなたの名を教えて。あなたを知っているのよ。わたしはまだ、ルフサの妻には、なっていない……」 そして、女は息絶えた。


 女の声を聞いたとき、アルウはアカシアのざわめきを思いだした。


 

   『――時を超えて、運命を予言する神がいる。

   悪戯に、人の耳もとに囁きかける。

   夢に見せて、現世うつしよを虚しくさせる。

   だがそれは、たいてい、人の愚かさを知らしめるため。

   この世に、慈悲をもってする神は、ないにちがいない――』



 アルウは自分の胸に棘が刺さるのを感じた。胸の中で冷たくなっていく女の面立ちは、優しかった亡き母にも似ている。


 制裁のために振り下ろした剣は、真のさだめの糸を、断ち切った。


 アルウの胸は、手や足に枷をはめて重く引きずる心地がする。

 虚しい日々の繰り返しが、幻に、殺した女を見せるだろう。

 自分に死が訪れるまで、女は心に棲みつくだろう。それが唯一の妻となるかもしれない――確かにそういう予感がする。


          ―了―

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麒麟はアカシアの森の夢を見る 織末斗臣 @toomi-o

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