第五回 覚悟
長右衛門率いる決死隊が、門神討伐に出たのはそれから二日後の事だった。
松牧一家から長右衛門率いる決死隊十名、そして城井家から、三名の武士が随行したという。その話は、山麓の村にある一膳飯屋で耳にした。珍しく、そこで夕餉を摂っていたのだ。
話していたのは茂吉という若者で、村一番の遊び人と知られる男である。博打が好きで、その関係から裏の事情に敏いのだと、日頃から自慢していた。
「茂吉」
甚兵衛は、名を呼び店の外に連れ出した。
「佐野様、何でしょう」
流石に怪訝な表情である。普段から村の衆と交流を持たない甚兵衛に呼び出されたのだから、不審に思うのも無理もない。
「先程、お前さんが話していた件なのだが」
「松牧の親分さんの事でございやすか?」
「そうだ。手短に言うと、その親分がどうなったか調べて欲しいのだ。勿論、銭は出す」
「あっしに仕事ですね」
茂吉の目が、一瞬光った。
「耳が
と、甚兵衛は一両小判を差し出した。
「お前さんにしか出来ない相談だ。長右衛門の他に、門神様って奴がどんな男か調べてくれるとありがたい」
「へへ。わかりやしたぜ。では早速」
茂吉は一両を懐にしまうと、その場から駆け去っていった。今から松牧の陣屋町まで駆けるのだろう。
茂吉が報告に現れたのは、翌日の晩だった。境内で白い犬と焚き火に興じていると、茂吉が山門から駆け込んできた。懸命に駆けて来たのか、息を切らしている。
犬はスッと身を起こし、宵闇の向こうに消えた。
「佐野様、調べて来やしたぜ。幾つかの線と子分衆から話を聞いてんで間違いないですや」
「ご苦労。で、どうであった?」
「決死隊の半分が斬り死にし、残りは手傷を負ったようで。城井の武士は一人が死んで、一人が重傷という事らしいです」
「半分と言えば、五人か」
茂吉が頷く。
「長右衛門は死んだか?」
「いえ、生きているみてぇで。しかし、かなりの重傷だという話です。命に別状はないとの事ですが」
「そうか、生きていたか」
死なずに良かった。と、素直に安堵する自分に気付いた。死なせてはならない者がいるとしたら、長右衛門はその一人に入る。ヤクザという日陰者ではあるが、その分を弁え堅気の迷惑にならぬように、松牧を仕切っている。町の外では、その力も及ばない。及ばないから治安も悪い。しかし、悪いと言って放置せず、また
(努力をしているのだ、あのやくざ者は)
こうした結果を招いたのも、その努力のせいだ。
「して、門神はどうなった」
「それが、傷ひとつねぇとか」
「無傷だと?」
「詳しく探れなかったんですが、生き残りがそう漏らしておりやした。少なくとも生きているのは間違いございやせんや」
「十三人で仕掛けて、傷無しか」
「さようでございます」
「一人で、十三人をのう……」
そう言って、甚兵衛は瓢箪を呷った。
「その門神という男なのですがね」
茂吉が言うには、経歴も全く不明。村人に自分の事を語った事がないという。それ以上の探りは無理だったと、茂吉は首を振った。
世の中には、いそうもない男がいるものだ。もしや、門神とやらは名のある剣客かもしれない。
茂吉が去ると、犬がまた闇から現れた。
甚兵衛の傍に寝転がる。その毛並みを撫でながら、甚兵衛は焚き火を見つめた。
(面白い……)
血が滾る。寝かせていたはずの、血が。死ぬなら、闘争の果てに死にたい、そんな憧れがある。妻が死んだ。後は朽ちて死ぬだけの人生である。ならば、ここで捨てるのも惜しくはない。勝ったしても、敗れたとしても、意味あるものになる。
「犬っころよ」
犬からの、返事はない。
「儂は決めたぞ」
刺客ではなく、剣客として人生を終える。その覚悟を決めた。
三十年ほど前。怡土藩の政争に巻き込まれなければ、植山甚蔵という剣客として人生を終えるはずだった。最後の帳尻合わせに、門神とやらを利用してやるのだ。
(他人の為ではない)
ああ、そうだとも。村の衆の為でも、長右衛門の為でもない。自分の為だ。自分が死ぬ為にだ。
(そして、銭の為でもない)
だから、妻も叱りはしないはずだ。
火を消した。庫裏に戻り、残った冷や飯で塩辛い握り飯を二つ拵えた。そして、素早く着替える。筒袖に野袴。その上から、袖無しの打裂き羽織だ。
万事準備が整うと、納戸に片付けていた大刀を佩いた。
脇差ではない。始末屋時代に愛用していた、銘刀である。もう使う事はあるまいと、片付けていたのだ。銘は、
月も無い闇夜だった。そこで、光明寺貞臣を抜き、三度ほど振った。
「お前とも最後か」
刀身を
山門から外に出た。そこで、犬が待っていた。
「ついてこい」
そう言わんばかりに、犬が先導してくれる。夜目は利く方だが、これはありがたい事だった。
山を降りても、犬は甚兵衛の前を歩いた。まずは、松牧に行く。そうした気持ちを知ってか、犬の足も迷わず松牧に向かっている。
途中、歩きながら握り飯を食べた。一つは犬に与えた。駄賃というものだ。
払暁近くなる頃、松牧の町が見えてきた。犬が足を止める。
「ここまでだ」
と、言った風に踵を返す。
「さらば。生きていたら、また会おう」
そう言うと、犬が一つ吠えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
長右衛の屋敷は、松牧陣屋より西に広がる町家の中心にある。入口には、八角棒を手にした見張りが二人立っていた。
「野郎」
甚兵衛の姿を認めた子分が凄んできた。
「てめえが加勢を断ったばっかりに親分が」
勢いよく胸ぐらを掴まれる。騒ぎを聞きつけ、更に奥から二人出てきた。
「……」
気持ちは判る。あの時、自分が依頼を断らなければ、怪我をしなかったかもしれない。だが、それは結果論だ。そうは言っても、この者達は到底納得しまい。
「何とか言ったらどうだ」
甚兵衛は、子分をひと睨みした。子分衆の顔が強ばる。甚兵衛の凄みに気圧され、貫禄負けしたのだ。
「やめろい」
屋敷から、体格の良い男が出てきた。胸も肩も腰も太い。子分がすっと下がる。
「佐野甚兵衛様でございますね?」
と、男が訊く。
「そうだが」
「なるほど。流石、暗黒街で名を成らしめた、人斬り甚兵衛様。発する圧が違げぇや」
「そう言うお前さんは?」
「へえ。手前は長右衛門の第一の子分で、
「あんたが長右衛門の」
こいつが噂の、と甚兵衛は思った。
長右衛門には、弟がいる。その弟も兄に引けを取らない貫禄を持っているという。
ただ、弟にしては似てはいない。小兵の長右衛門に比べれば、寅七は遥かに体格が良いのだ。顔立ちも、目が細い長右衛門に対して、寅七は胡桃のように丸い。
「暫く旅修行に出ておりやした。昨日帰郷するとこの
「そうか。今回は大変な目だったな」
「いやいや、この怪我も十手を預かる身としちゃ当たり
「ほう、こいつはいい。その台詞を陣屋の侍どもに聞かせてやりたいのう」
「ま、こりゃ長右衛門の受け売りでして」
寅七が一笑したので、甚兵衛もそれに釣られた。兄はどちらかと言うと寡黙なところがあるが、この弟は明るく豪気だ。
「さて、今日は長右衛門の見舞いに来たのだが」
「ちょうど奥で起きております。ご案内しやしょう」
長右衛門の屋敷に入るのは、これが初めてだった。かなりの広さがあるが、これは子分衆が起居する為に、仕方なく広くしたという感じで、調度品に華美な所はない。むしろ、広さに比して質素すぎる気がする。
子分衆の敵愾心を感じながら、甚兵衛は奥の間に導かれた。
「こりゃ」
甚兵衛は、思わず声を漏らした。
長右衛門が、布団に寝かせられていた。顔半分と全身を覆う包帯が痛々しい。
傍には、若い女。見た事のない顔だ。寅七が目配せをし、女を連れて部屋から出て行った。
「佐野様」
寝たままの長右衛門が、目だけをこちらに向けてきた。
「目、逸らしゃしませんでしたぜ」
「そうか」
「佐野様の言いつけ通りでさぁ」
「だから、お前は生き残った」
「しかし、子分衆を多く死なせてしまいやした。情けねぇや」
長右衛門の口調が、どこが砕けたものになっている。これが地なのだろう。
「それが天運というものよ」
「左様でござんすか。なら、これも天運というもんでしょうねぇ」
長右衛門は、右手で布団を剥ぐ。露わになる、左腕。肘から下が無かった。
「左手一本と左眼を引換に命拾いしたと思えばよかろう」
長右衛門の口元が緩む。笑っているのだ。
「門神は儂が斬る事にしたぞ、長右衛門」
その言葉に、長右衛門の細い目が少し見開いた。
「何故?」
「戦いたくなってのう。それだけだ」
「それはなりやせんぜ、佐野様」
「なぁに、銭の為にではない。儂が儂の為にするのだ」
「ですが」
「妻も許してくれるさ。勝てば結果として人助けだ」
「もし、敗れたら……」
「死ぬだけだのう」
甚兵衛は苦笑いを浮かべ、左の鬢を掻いた。
「頼みます。村の衆を助けてやって下せい」
「自分の為だ」
長右衛門が苦しそうに頷いた。熱があるのだろう。今が一番辛い時かもしれない。
部屋を出たら、寅七が待っていた。
「暫く一間を借りてよろしいか? 昨夜は寝てないのでの」
「へぇ。朝餉も用意させやしょう」
「済まぬな」
客間で朝餉を平らげると、そのまま横になった。目が覚めたのは、陽が中天に差し掛かった頃だ。
握り飯と、竹筒の水筒が準備されていた。始め敵愾心を顕わにしていた子分衆も大人しくなっている。
「加勢はいらぬよ」
「立ち合いの邪魔はしやしません。俺は、佐野様が万が一敗れた時に骨を拾うんでさ」
「兄貴に言われたのか?」
「いや。ま、人斬り甚兵衛の段平捌きが見たいってのもあるんですがね」
「邪魔はするなよ?」
「勿論。男に誓いやしょう」
「よかろう。骨は拾ってくれよ」
寅七は深く頷いた。
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