第三回 浪人
浪人が多い。
そう思ったのは、
眼光鋭く、小汚い浪人の姿がやけに目に付く。それはまるで、飢えた狂犬の群れである。
自分も浪人であるから他人の事は言えたものではないが、こうも多いと百姓には難儀な事だ。浪人は歩く厄災とも呼ばれている。
(これも関八州の倣いか)
と、甚兵衛は地蔵を入れた行李を背負い直すと、進む足を速めた。
毛野郡は、大身旗本・
那珂を含む関八州は、治安の悪さで名高い。浪人のみならず無宿人・盗賊の類が跋扈している。幕府は関東取締出役を置いて対処をしているが、成果のほどは現状を見れば明らかなものだ。
(だが、冬になれば姿も消えよう)
季節は、秋である。それまでの辛抱だ。冬になれば、浪人は寒さから逃れるように那珂から去るか、体力の無い者は飢えて凍死する。
無宿人には無宿人の世界がある。地場の親分衆に草鞋を脱げば、寝床と飯には困らない。だが、浪人にはそれがない。飢えるがままなのだ。武士の誇りでは腹も満たされぬし、暖も取れない。勿論そうはなるまいと、秋には浪人による凶行が増える。
松牧に入った。
何の変哲もない陣屋町である。かつて、松牧に君臨した国人領主の陣屋を代官所にし、それを中心にして武家屋敷や商家が展開している。大通りには、買い物客や旅人の姿も多い。
この陣屋町に入れば、浪人の姿も減る。
〔
とも呼ばれている。
長右衛門は松牧一家の三代目で、代々城井家から治安維持を任されている。小汚い破落戸は町内から叩き出され、町民に害を為そうものなら、容赦なく血祭りにしてしまう。やる事は血の気が多いが非常に腰の低い侠客で、町内の清掃や
しかし、そうした長右衛門の影響力も松牧の中だけの話で、一歩外に出ると心許なくなる。それほど、今の関東は荒廃しているのだ。
取り引きしている商家に、頼まれた勝軍地蔵を三体収めた。主人は出来上がった作品を舐め回すように見定め、報酬の五両を差し出された。
「甚兵衛様、中々の作品でございます。これは高く売れましょう」
商家の主人は、嬉しそうに言った。それに対し、甚兵衛は多少の愛想で返し、その場を辞去した。次の依頼は、また後日という事だった。
五両という報酬が、作品の対価として相応しいかどうかは判らない。だが、殺し以外で生計を立てている、という事が今の自分には大事なのだ。銭の為に人は殺さない。それは妻の死に際して誓った事だった。
店を出ようとした時、強面の一団と行き当たった。皆が皆、縦縞の着流しに紋が入った法被を着込んでいる。
先頭の男。圧を感じて、甚兵衛は思わず足を止めた。
背が低く、目が細い。そして福耳である。その顔に、甚兵衛は見覚えがあった。
弥勒の長右衛門。
甚兵衛が一瞥すると、目が合った。
だが甚兵衛は、長右衛門に構わずに外に出た。
長右衛門には、ちょっとした恩がある。しかし、やくざ者と慣れ親しく付き合おうとは思わない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
晴れた日だった。どこまでも澄み渡る空に、鳶が鳴き声を挙げながら旋回している。
空腹を覚えた甚兵衛は、一膳飯屋に入った。店の女に、丼飯に味噌汁、それに香の物を頼んだ。他の菜はいらない。腹を満たすだけでいい。味を楽しむなら、山の飯の方がずっと旨いのだ。
昼時というのもあって、店は繁盛していた。多くは松牧で働く町民だが、中には武士や
丼飯に味噌汁をぶっ掛けて掻き込んでいると、町人達の話し声が耳に入った。
噂話だ。
その浪人は、村を襲った盗賊の群れを一人で始末し、村の用心棒になってからも度々村を救った。百姓達は浪人を守り神と崇めるうちに浪人も傍若無人となり、今では領主然として振舞っているらしい。
庄屋を足蹴にし、意見をする者は殺す。女も手当たり次第に手込めにして、今や門神に抱かれていない女はいないという始末。そうした話を、町人達は眉を潜めて語り合っている。
(どこまで本当なのやら)
と、甚兵衛は思った。
噂には尾ひれがつくものである。
(そもそも、狂犬を飼おうと思うのが間違いだろうよ)
盗賊を退治した時点で、銭を握らせて追い出すか、寝込みを襲って殺すべきだった。
(まぁ、儂には関わりない話だが)
笹川村は、甚兵衛の棲家とはかなり離れている。門神という戯けた男とも関わる事もないはずだ。
店を出ると、五両の銭で米や味噌を買い込んだ。必需品は町に出た時に仕入れるのだ。それら荷物は、仏像を入れていた行李に入れて背負う。ずっしりとした重みはあるが、それが老体を鍛えてくれているのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
道を塞がれたのは、その帰りの事だった。
そこは毛野郡松枚と
「儂に何か用かな?」
甚兵衛は足を止め、管笠の庇を上げた。
若い顔が三つ、そこにあった。浪人であろう。単衣と野袴は垢で薄汚れ、本来の色が判らなくなっているが、腰には武士の証である大小が差してある。
「ご老人」
声を掛けたのは、先頭の男だった。三人の中では幾分か
「何処に行かれる?」
「家まで帰る所だが」
甚兵衛は、怪訝な声色で答えた。
「ほう、してお宅というのは?」
「ここから暫く歩いた屯倉山だが、何か儂に用かい?」
「いえいえ。ご老人が心配なのでお声を掛けさせていただいた。屯倉山というと、此処からはちと遠いですな。この辺りでは賊が出るという噂がありますぞ」
「足腰は丈夫でな。それに慣れた道でもある。賊が出たら逃げればよい」
「ご老人、それは楽観が過ぎるというものですぞ。賊は多勢で人殺しは朝飯前の極悪人。ここからは、拙者達が護衛を仕ろう。荷物もお持ち致す」
「おっと、その心配には及ばんよ」
と、男を避けて歩きだそうとした時、後ろの二人がすっと動いて前に立ち塞がった。
「もしや……この辺りで出没する賊とは、お前さんらか?」
「ふふ。それは無体な言い草というものですな。拙者達は、報国の志を持つ者。一天万丈の天朝様の為に働かんと欲するも、恥ずかしながら手元不如意。賊働きは天下国家の為にならんと、こうして人助けをして軍資金を得ておる次第。人様の為にもなるであろうし、悪くはございますまい」
そう言うと、男達は一笑した。
(流行りの志士というものか)
最近は、志士と呼ばれる武士が増えている。彼らは、幕府よりも朝廷を尊重するという。詳しい事は知らないが、太平記に於ける悪党のようなものだろうか。
「善行で稼ぐという事は悪くない。だがね、生憎こちらに銭が無いのでな」
「嘘はいけませんなぁ。ご老人が貧乏人とは到底見えませぬぞ」
「なるほど」
甚兵衛は、自分の出で立ちを一瞥して、鼻を鳴らした。
軽衫と筒袖、それに袖無しの羽織姿である。地味な生地ではあるが作りは立派なもので、三人の出で立ちとは大きく違う。
「だからとて、銭はやれんな」
「人の親切を無下すると怪我しますぞ」
男の低い声は、かなりの威圧が隠っていた。賊働きに慣れている、そう感じさせるものがある。多くの者が、ここで銭を出す所だろう。しかし、自分は違う。こんな若造を恐れるような男ではない。
「奪いたければ儂を斬ればよかろう」
甚兵衛は、腰の二刀な重みを意識した。使う事になるかもしれない。無銘の大脇差と、小脇差の二刀。外出時は、大刀ではなく脇差を愛用している。
「何も殺そうってわけじゃねぇんだ、爺さん。大人しく銭を出せば怪我はしねぇよ」
男の口調が、がらっと変わった。地が露わになった、という所か。
「無いものは無い。先を急ぐのでな失礼するぞ」
「……残念だなぁ」
その刹那だった。
男が身を沈め、甚兵衛に拳を放った。
風。一歩退いて避けた甚兵衛の鼻頭で、太く鍛えた拳の風烈を感じた。更に、もう一発。二発。それを甚兵衛は巧みに躱していく。
(中々のものだ)
当たれば、六十になろうとする老体にはひとたまりもない。真面目に武芸に励んでおれば、
だが、この男は二つの過ちを犯した。一つは素手で挑んだ事。もう一つは、相手の実力を測れなかった事だ。
甚兵衛は最後の一発を掴むと、腕を捻りながら持ち上げ、容赦なく後頭部から地面に叩き付けた。
嫌な感触が手に伝わる。かつて嫌というほど味わった、命が消える感触だ。
「おい……」
残った二人が唖然とした。投げで人を殺せるとは、思いもしなかったのだろう。
「止めとけ、止めとけ。お前らじゃ儂に勝てん」
と、甚兵衛は転がっている男の身体を足で小突いた。
「首が折れて即死だな。相手の力量を見誤れば、このように死ぬ羽目になる」
「……」
「死にたくないなら、志士など辞めて故郷に帰れ」
甚兵衛は、そう言うと歩き出した。残された二人が、追ってくる気配はなかった。
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