9-1 僕が中心にしてまわるもの
春霞 たなびく山の 桜花 見れどもあかぬ 君にもあるかな
あ、これなんだ。
春霞。
さっき講義で聞いたばかりのの和歌が、頭に浮かぶなんて。
普段の僕にはまるでないこと。
でも。
今。
目の前が白くぼやけるようで、なのに見えにくいわけじゃない。
ピントはもうその一点に絞られていて、ほわほわと視界を綿の中に包む。
あんまりにもきれいで、あまりにも光ってて‥
『…あの??』
と、僕の方を見て首をかしげられた時、ハッと我に返った。
目の前では同級生の田所がくくくっと喉を鳴らして笑いを押し殺していて、その隣からは細い指の手が真っ白なタオル地のハンカチを差しだしている。
それがなぜかと気がついたときは、既に遅し。
僕の手には、紙パックのミニッツメイドのリンゴ味が握られていて、それはだらだらとストローから飛び出して手を伝う。
『わ!あの、えっと、ごめん!!』
被害をこうむってるのは、僕のジーンズと手だけだというのに、なんでだか突然に謝って立ちあがった僕に、田所はもう堪えきれないとでも言うようにぶわぁはははは!!と反り返って笑いだした。
喉の奥が見えそうなその姿と、その横で困ったように微笑んでる彼女が、どうしたってやっぱり春霞の中で、慌てて目をこすった。
『あ!!あんたっ!!もぅ!』
ひーひー笑いだす田所をチラッと見た彼女は、やっぱり困ったように微笑んだまま、
『これ。使ってください』
と、さっきのハンカチを僕に握らせた。
騒がしい学食の、いつもと同じ昼飯時。
春霞が連れてきた、きっとこれは恋。
『あのっ!』
ハンカチ握りしめながら、もうひとつのリンゴの匂いのしない手で、きれいな手を思わずつかんだ。これが衝動といわないで何という。でも、止まらないんだよ。
『好きになりました!!!今!!彼女になりませんか??』
目を真ん丸にした彼女は、かすかに口元だけで精いっぱい笑ったかと思ったら、
ススススーーーーっと僕の手から、その手を抜き取ると、
『…あ、無理です‥』
と、遠慮がちに言って足早に走り去った。
その後姿を呆然と見送る僕の横で、ひーひー喉を引きつらせて笑う田所は、もう目に涙をいっぱいためている。
春霞の連れてきた、僕の恋心。
『あー、もう。あんた、俺を殺す気かよ‥ふふっ』
まだ笑い足りずにまた吹き出した笑い声で、
どうやら今生まれた恋は、吹き飛んだらしい。と、
『‥あれ???』
リンゴの匂いの手と、
白くて綺麗なハンカチで、
…気が付いた。
backnumber 僕は君の事が好きだけど君は僕を別に好きじゃないみたい
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