6 ひしゃく星
冬のいいところは、空気が澄むとこだ。
こんな夜の明るい街でも、どうにか星を拝むことができる。
普段大して気にも留めないのに、ツンとした空気を吸い込んだ後は、どうしてか見上げてしまう。
空。
『おつかれさまです!』
後輩の声が届いて、それにおつかれーと俺と同僚の相本は軽く手をあげた。
入社以来同期としてやってきた相本は、小柄なことを気にしていつもバカみたいに高いヒールを履いている。
さすがに営業で歩き回った足には堪えてるのだろう。足元がふらついている。けれど先輩の意地なのだろうか。それを後輩に隠そうと、踏ん張るもんだから余計にぐらついてることに本人は気が付いてないらしい。
後輩も後輩で、なかなか苦戦したあとに、さらには俺からアレコレと怒鳴られまくったというのに。まるで忘れたかのように爽やかに駆けていく。
俺、あの感じをどこに置いてきたんだろうか。
キャリアを積むと、怒られなくなる。
それはありがたいことのようで、失っているのかもしれなかった。
自己責任、という名前の元に、無くしていることさえ気が付かないほどにさらさらと落ちていっているのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考え始めちゃうから、基本、俺は忙しく動き回ってるっていうのに。
『寒い。タクシーまだ?何時に呼んだの?車』
隣で相本が、唇尖らせて自分の腕をさすっている。飲みに行こうとノリで言ったのは良かったが、疲れたからタクシーで行こうと言ったのはこいつだ。だからタクシー呼べと、当たり前のように言ったのも。
はぁ…と返事の代わりにため息をついた。
予約したはずなのに一向ににやってこないタクシーを、道端で突っ立ちながら。
すっかり怒られなくなるほどにキャリアを積んできた俺を、こんな風にないがしろにできるのは同じように積み重ねてきた、こいつぐらいなのかもしれない。
『…まぁ、寒いね』
『何??ぼんやりしてないでよ』
いつもなら寒いとか、暑いとか騒ぐのは俺の方だから、同僚は首をかしげる。
鼻が赤い。なんだよ、いっつも偉そうに言うくせに。偉そうな口ぶりと、ふらつく足元や真っ赤な鼻がまるで合わなくて、思わず笑ってしまった。
『いや、見えるもんなんだなぁとおもって。星。』
ふいっと指さした先の、何万光年か先の光。
あの光が生まれた時、俺や相本どころか今立ってるこの場所さえ、どうだったのか想像もつかない。そんなものが、目に映る。不思議。
俺の指を辿るように見上げた相本は、じーっと黒い空を見つめながら、あ、あれ、と呟いた。
『ほら。あれ、ひしゃく星』
『へ?ひしゃく星?』
『そう。見えない?七個並んでるでしょ』
『へぇ。あれ、北斗七星って言うんじゃないの?』
子どもの時に習ったことのあるはずの、いつくかの星座。
覚えてるのは、北斗七星、オリオン座、あと‥なんだっけ、大三角形。
『そうだけど。知らない?ひしゃく星の話』
『何それ。七夕的な?』
『うん、まぁそう。』
タクシーはまだ来ない。
ため息のように吸い込んだ空気は、体を冷やしてしまうからコートの襟を口元まで上げた。
風邪ひかないようにするのも仕事なのだ。もう、怒られなくなっちゃったから。
その俺の様子を見ていたのだろう。相本は、ふんっと声を張った。
『昔、むかーし。』
『え?何?話してくれるの?』
『うるさい。聞きなさい?』
マフラーに首を埋めるようにうつむいていたくせに、すぽっとそこから顎を出してハキハキシタ声で語りだした。
『昔、むかーし。すっごい日照りが続いて、水がなくなって。で、あるお家にお母さんが倒れちゃって、女の子が水を探しにいくの。』
『…なんでそんな話知ってんの?』
おとぎ話とは程遠いタイプの相本はちらりと俺を見たあと、にやりと頬をあげた。
『けど、水はなくて。とうとう女の子も行き倒れちゃって。そうしたらさ、ひしゃくが落ちてて。その中には水が入ってるの。』
『ふぅん』
『女の子はさ、すぐに飲もうとしたけど、思いとどまって持って帰ることにしたんだよ。お母さんに飲ませたくて。でも、家に帰る途中で犬がさ、鳴いてんの。だからひしゃくの水を、ちょっと分けてあげるの。』
相本はふう――と白く息を吐いて、黒い空を見上げた。
何とか見える何万光年先の光は、チカチカと瞬く。
我儘なこいつの考えてることはいつもわからない。
なぜ、それに俺がしたがってしまうのかも。
わかった試しがない。
けど。
『残ったお水をねお母さんに飲ませて、あと少しだけ残ったのを、女の子は飲もうとするの。でもドアをノックする音がして、やってきた男の人が水を分けてっていうのよ。』
『…それで、どうしたの?女の子』
『その男の人に、全部あげちゃった。水。』
相本が足元ふらつかせながら、突然語りだしたおとぎ話で、相本が下手くそに伝えようとすることが、
『そしたらひしゃくが金色に光って、水がどんどん溢れ出る様になったんだって。』
『よく知ってるね。そんな話。』
『何でも知ってるのよ。私。』
『…そうか、そうかもな。』
なんなのか、わかってきて思わず笑みが漏れた。
『ちょっとしかない水、分け与えてなくなっても。また、溢れ出てくるんだよ。』
『そんなもん?』
『つまり、あんたは金色のひしゃくってことね』
『何だそれ!』
ははははって、派手に笑うと、ふふふって相本はその笑みをマフラーの中に閉じ込める。
冬のいいところは、空気が澄むとこだ。
あんまりに冷たく澄むもんだから、なんかもうすり減ってるのに、それが正解なのか何なのか訳が分からなくなっても、同じような同士が時々こうやって下手くそにすくい取ろうとしてくれたりする。
『あ。来た。』
やっと来た車のライトに照らされながら、二人して見上げた先にひしゃく星がきらりと光っていた。
SONG@ THE LITTLE MONSTERS FAMILIY 『星がきれい』
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