4 スノードーム
出勤前に、たまってしまったポストの中身を慌てて鞄に詰め込んだ。昼休み、やっと一息つこうかと、天気の良さに誘われて会社前の公園の青いベンチに腰を下ろした。お気に入りのアーモンドミルクをチューチュー吸いながら、ぐちゃぐちゃに丸まったチラシを選別していると、
【同窓会のお知らせ】
人生で何度目かに見た、往復はがきが混じっていた。
いまどき、こんな手段をとる奴がいるなんて。SNSの発達した時代。もう少し、楽でスマートな手段を思いつかないものかと、とりあえず湧き出た文句は、裏の差出人の名で吹っ飛んだ。
驚きで、あまりに息を早く吸い込んだものだから、盛大にむせて涙目になってしまった。目じりの涙をぬぐいながら、はぁぁぁと吐いた息は、今度は少し桃色だ。
『左目、視力わりぃんだよなぁ…』
中学に入学して、ひと月経って。
帰ってきた視力検査の結果を見て、となりの席の遠野が呟いた。
あ。私とおんなじだ。
そう思って、隣を見たら顔をふにゃふにゃにして笑う横顔があった。
男の子が笑う。そんな、当たり前なことに私の心臓は跳ねた。
びっくりするよ、本当に。
それだけ。
たったその小さなきっかけひとつで、人は人を好きになってしまうんだから。
学校で学ぶことは、数式でも文章力でも何でもない。
小さな社会の縮図の中で、どうやって害なく生き抜いてくか、その術だと思う。
必要なのは、親友って呼び名の共犯者。
無いように見せて、絶対そこにある上下関係。
だから。
『え?遠野??あいつほんと暗いよね。変な奴』
そんな一言で、私の想いは最重要秘密事項へと変貌したのだ。
自覚した桃色は、一瞬で隠すべき闇になる。
好きだとか、彼氏だとか。
そんな脆いものよりも、
今をやり過ごす大きな力の方が、必要だ。
だから。
私の左目の視力は、上がらなければいいと思ってた。
同じだけ、見えなければいいと思っていた。
いつもより、少し遅くなった帰り道。
自転車を引き出そうとした、がしゃん、と鳴った音が耳に響く。
友人たちは先に帰った。
今は一人。
はぁ、一人なんだ。
ふーっと細くグレーの息を吐くと、
『おい。』
その声に、びくっと背が跳ねた。
『…あぁ、遠野か。なに?』
そっけないような声に、桃色が混ざらないように色を隠す。
想う人を前に、好きを隠し通すというのはつまり、嫌いを押しだす事だろう。そんなあほな誤解を、あの頃の私は必死に貫いていた。
とげとげしい態度に、口をぐにゃりとゆがませた遠野は、ぼりぼりと頭をかきながらじっと私を見た。
『何、っつーか、なんか最近しゃべってねぇし』
『…なにそれ』
『んだよ。…まぁ、いいけど。お前、大丈夫なの?』
『…は?何が。』
紺色のスカートが翻る勢いで、自転車にまたがった。
この足に力を込めて、漕ぎ出してしまえばあっという間に、遠野との距離は開くはずで。なのにそうしない。
『だって、なんかお前。いっつも機嫌わりぃ。』
『…うるさいな。なんかそれが、遠野に関係あんの?』
『ある。』
『はぁ?』
『となりの席でいっつも泣きそうな顔されたら、さすがに心配になんだろ』
お願い。
お願いだから。
もうなんにも言わないで。
『俺、左目視力めっちゃ悪りぃけど。右は1.0はあんだからな。お前俺の右側だろ』
『…なんの自慢よ』
へへって、遠野は笑った。
目元、ふにゃってさげて。
あの時みたいに、ふにゃふにゃの笑顔で。
人を好きになるには、力の大きな人の許可がいるの。
このスノードームより小さな世界では、
降り注ぐものは、作り物の綺麗さで埋めなくては生きていけないの。
『明日くらい笑えよ。』
私と変わらない背格好。
なのに、私よりずいぶん大きな手が私の頭でぽんと跳ねた。
じゃぁな、また明日。と、手を振って。
天気の良さに誘われた。
青い空の下で、真っ白のはがきを眺めた。そこをスクリーンに、映しだされる景色は楽しいだけのものではなかった。
あれほど必要にしていた力とやらは、不思議なことに卒業と同時になくなってしまった。
後悔はある。
ただ、ある。
言えなかったことがある。
遠野は来るのだろうか。この同窓会に。
いや、来るにきまってる。だって、幹事のところに名があるではないか。
会社の制服の、胸ポケットに差したボールペンを手に取った。
出席、に丸をしながら、少し。
手が震えた。
song@ サスケ「青いベンチ」
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