2 サンダルとひまわりと。





「ほんと、バカじゃないの!?」


耳につんざく捨て台詞を吐いた美緒を乗せた電車は、タイミングよくぷしゅーっとドアが閉じた。

さっきの台詞が、きっちり刺さった俺を笑って、噴き出したみたいだ。

緑の電車は、こぼれ出しそうな笑い声を耐えに耐えてホームを出てく。


‥‥え??バカ?!


周りの乗客が、ちらっと俺を見たのが感覚でわかる。俺は今間違いなく晒しものだ。

酔っ払ったサラリーマンも、デート帰りのカップルも、なんなら駅員さんまで、細かな視線を投げてくる。

でも‥どうやら、目を合わないように逸らしてくれているらしい。俯かなくても。

都会は案外優しい。


なんだ、何が起きたんだ、今。


脳みそは急速回転で、本日のメモリーを探り出す。ファイル名、kyounode-to.xls。

どこにバグがあったんだ?


今日は、久しぶりに恋人の美緒と会う約束にしていた。


社会人3年目。

仕事にも慣れて、周りがやっと少し見えてきた。今は仕事が楽しくて仕方がなかった。

闇雲に手さぐりで必死な頃より、内容や意味を理解して動ける今の方が、自信がつく。


俺にだって野心があるんだ。

今、気合い入れなくてどうすんだよ。


美緒と連絡が途切れがちの日も、確かに多かった。だからこそ!!と、必死に日にちをやりくりしたんだ。

休みを取ったから、と言ったときはあんなに喜んでいたじゃないか。


いつものように、昼前に待ち合わせて、

いつもよく行くファミレスで、ランチを取った。そのあと、ぶらぶら買い物したりして、カフェでお茶をのんだ。


いつもみたいに会社の愚痴とか、先輩の失敗談とかを、面白おかしく俺が話して、「なにそれー!!」なんて美緒は笑って聞いていた。

俺の話術も、なかなかのものだと自信すら感じてたんだ。


で、行きつけの居酒屋に行って、

またバカ話して。そこそこ呑んで。

そろそろ帰ろうと、美緒を送るために駅まで一緒にきた。


なんだ?


いつもと何も変わらないじゃないか。

確かに会うのは半月ぶり位で久しぶりだったが、なにも美緒にバカ呼ばわりされるようなことはなかったはずだ。

だって楽しかったもん、今日。俺。


なのに、なんで。

あんな鬼の形相で。

手までふり払われて。


改札を出て、さっき美緒と歩いた道を引き返す。

すっかり夜も更けた。


夏のじめじめした空気が、肌に張り付く。

こんな時間になっても、まだまだ暑い。


ぽつんぽつんと続く街灯が、とりあえず足元を照らしてくれていて、ぼんやりとした影がうつる。


一応、連絡したほうがいいのだろうか。

携帯を出して、美緒の名を出す。


ぱたん、ぱたんとサンダルの足音がいくつかなったけれど、なんだか「通話」を押せない。


なにを話すんだよ。

怒ればいいのか?

‥なにを?さっきのバカ呼ばわりをか?


でも、美緒のほうが今の俺より確実に怒ってた。


じゃぁ。謝ればいいのか?

‥で、だから何を?


謝らなきゃならないことなんて、今日一日なかったはずだ。


ぱたん、ぱたん、ぱたん、ぱたん。


ぱたん、ぱたん、ぱたん、ぱたん。


美緒


とでた画面をじーーっと見つめてみる。



・・・・・・・


・・・・・・・


・・・・・・・


・・・・・・・


かかってこないじゃん。

なんだよ。本気かよ。


じめっとした、むせ返るような熱気が夜を包んでる。公園の草木から、もあっとした緑のにおいを運んできた。


夏だなー‥。


夜の公園は静かだ。

ところどころにいる猫は、暗黙の了解なのか、互いを干渉せず、思い思いに寝転がっていた。

ここも、朝になればラジオ体操をやってたりするんだろうか。

小学生のころの夏休みのラジオ体操は、すごく面倒だった。でも今思えば楽しかった。

毎朝、今よりもう少し澄んだ緑の香りを感じてた気がする。


地元の公園はここよりもうちょっと広かったか‥。

藤棚の下に、ラジオを置いて、みんなで体操して、スタンプもらって帰った。

不思議なもんだなぁ。あの頃は、あんなスタンプ1個で、俺はちゃんと満足していたんだ。


「懐かしいな」


思わず立ち止まって公園を眺める。公園、なんてものに立ち止まったのなんていつ以来だろうか。ふいに思い出した、夏休みの思い出。


そういや、自転車の練習したのも夏だった。


暑い中、膝から血を流して顔は涙と汗でべとべとで。それでも親父は、お構いなしに俺を自転車に乗せた。


「お前が乗りたいと言ったのだから、できるまでやり通せ」

と、容赦なかった。


親父のスパルタぶりは、近所で話題になったし、なかなか残念な身体能力の俺は、その頃には自転車なんかどうでもよくなっていた。もはや、親父の熱さにすら立ち向かう力も無いほどだった。

それでも、やむなくアホみたいに泣きながら、嫌々自転車を引きずって公園に向かう俺に、近所のおばちゃんが「がんばんなさいよーー」と応援してくれるようになった。

声をかけられて、とたんにぐしょぐしょに泣いてたことが、恥ずかしくなってしまったんだ。


親父に自転車を支えられて、ぐいぐいペダルをこいだ。

こけて、泣いて、血が出て、砂まみれになって。


ふとペダルが軽くなった気がして振り向いたら、親父はずいぶん後ろにいた。


満足そうに、パチパチと手をたたいて。



‥今年の盆休み、実家にでも帰るかな。


美緒と旅行に行こうなんて言っていたけど、‥行かねぇだろうな。


熱い風を切って自転車をこいだとき、公園中の木々の緑が鮮やかになった気がした。


あの時、俺は無敵だった。


なのに。

暗い公園で、寝転んだ猫たちが、ニャァと鳴いた。それを合図に、アーアーと数匹が体を起こす。どうやらこれから深夜の猫会議らしい。


さぁ。帰るか。

明日は俺も定例の会議があったはずだ。


いつもより早く出て、準備もしなくちゃいけない。


美緒の名が出たままの携帯の画面を、ホームに戻した。


広がるひまわり畑に、笑顔の美緒の写真。

美緒が世界で一番好きだと言っていた花。


その上で、でかでかと主張する日付。


23:45

7月29日(日)




29日。

あぁ、肉の日だ。



途端、目の前に現れた景色に、俺は唖然としてしまった。


「誕生日だ・・・・」


今日は美緒の誕生日だ。

そうだ。約束したんだ。


「25歳の誕生日って、大人の女性への節目だと思ってるんだ。若い女の子だからって甘やかされてきたことも、きっと通用しなくなると歳だと思うから」

「だったら、その日は盛大に祝おう。ちょっといいお店にいって、いい肉たべよう。誕生日、肉の日だもんな。で、大人の証にいいワインでものもうよ」

「なにそれーー。肉の日って!!」


そういって大笑いした美緒が、「でも、ありがとう。うれしい」と、はにかんだ。


その時の写真だ。このひまわり畑の美緒は。


なんだ、俺は本当にバカだ。

今日の美緒は、いつもよりきれいな格好をしていた。

淡いピンクのワンピースに、白いサマージャケットまで着ていた。いつものナチュラル系な格好からすれば、結構背伸びしてたのかもしれない。

サンダルに短パンで現れた俺に、きっと愕然としただろうに、


最後の最後まで、希望を捨ててなかったに違いない。

休みを取ったと伝えた時だって、あんなにはしゃいで喜んでたんだ。


ぱたん・・・ぱたん。


サンダルの足音が、恨めしい。


あの時の無敵な俺は、どこに行ったんだ。

傷だらけで自転車にまたがった、あの誇らしい気持ちは、今の俺の、どこにある。


社会人3年目。

俺は何をわかったフリをしてるんだ。


ホーム画面の写真をながめていた手の中で、携帯が鳴りだした。


メッセージ  美緒

23:59


今日があと一分しかないよ??


慌てて通話ボタンを押した。






SONG@嵐 「Hey Hey Lovin' You」

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